第1話 another side:宮廷魔術師の剣
王城の一角にある練兵場で、近衛騎士団の新人が10人、訓練用の木剣を握って顔をしかめていた。
彼らの前に居るのは、たった1人の魔術師だ。
「お前たちはこれまで寝食を惜しんで努力を重ね、今日より晴れて近衛騎士の仲間入りとなる。
だが、国王陛下の玉体を守るには、お前たちの実力ではまるで足りない」
近衛騎士団の団長が、新人たちに向けて淡々と述べる。
新人たちは黙って聞いていたが、明らかに反発していた。近衛騎士になるほど向上心の強い連中である。人一倍の努力を常としてきた自分たちが、まだまだ弱いと、確かめもせずに一蹴されるのは、団長といえども「はい、そうですか」と素直に聞き入れるわけにはいかない。
「どれほど足りないのか、今からお前たちに、身をもって体験してもらう。
こちらは宮廷魔術師のニグレオス殿だ。ローブにとんがり帽子。見たまんま、魔術師である。見たまんま、研究職だ。
それでもお前たちは、このニグレオス殿1人に勝てない。ニグレオス殿が魔法を使うからではない。お前たちの剣の腕が低いからだ。お前たちは――」
「団長殿、もう十分なようだ」
ニグレオスと呼ばれた魔術師が言った。
近衛騎士の新人たちは、今にも暴発しそうだった。
「ふん……我慢が足りん連中だ。
お前たちなど虫けらに過ぎん。今まで他より優秀だったからと調子に乗っているようなら、今から地獄を見るだろう。
では、ニグレオス殿。お願いします」
団長が下がる。
ニグレオスがローブから片手を出した。
その手には、木剣が握られていた。
「かかってこい。俺は強化魔法とか付与魔法とかは使えない。他の魔法も今回は使わないから、純粋な肉弾戦だ」
ニグレオスの言葉を合図に、10人の新人が一斉に襲いかかった。
直後、ニグレオスは木剣を横薙ぎに振るい、10人をまとめて吹き飛ばした。
防御も回避もできない。誰も反応すらできない。動きが素早いわけではない。怪力なわけでもない。しかし気付いたときには、もう終わっていた。カードマジックやコインマジックのように認識できない動きで、合気道のように筋力では抵抗できず、結果だけが現れた。いわゆる居合である。それも凄いレベルだ。身体能力は凡人なのに、動きの質だけが異様に高い。
「根性みせろよ? 俺だって暇じゃあないんだ。お前らの代わりに陛下を護衛しろとか言われたら困るんだよ」
やれやれ、とニグレオスが肩をすくめる。
だが、それから1時間後、新人たちは1人残らず地面に倒れ、起き上がれなくなっていた。
「……ふむ。まあ、よくもった方か」
「ありがとうございました。
腑抜けども! 明日から地獄の特訓を開始する! さっさと立って、装備の手入れを始めろ!」
団長が叱り飛ばすように吠えた。もちろん演技だ。こうなる事は予定されていた。だからこそニグレオスと戦わせたのだ。
新人たちがヨロヨロと立ち上がる。
「発言してよろしいでしょうか!」
新人の1人が叫ぶように言った。
「いいだろう。言ってみろ」
団長が答えると、その新人はニグレオスを見た。
「剣でこれほどの実力なら、魔法を使ったらどれほどの事ができるのでしょうか!
後学のために拝見できれば幸いです!」
その言葉に、他の新人たちがハッとした。
そうなのだ。ニグレオスは宮廷魔術師。戦士ではないのだ。剣を使って肉弾戦など、本業ではない。
「良い着眼点だ」
団長はニヤリと笑った。
こてんぱんにやられた直後である。手も足も出ずに負けたことに意識が向いてしまうのは当然のこと。ゆえに、この重要な点に気づけるヤツは、毎年1人いるかどうかだ。
「今年も見どころのあるヤツがいて何よりだ。
それじゃあ、しっかりと学んでいくといい」
ニグレオスが指を鳴らすと、日が陰った。
新人たちが空を見上げると、正方形の黒雲が見えた。明らかに自然のものではない。
正方形の黒雲は徐々に大きくなって――否、近づいていた。落ちてきている。
その凹凸が分かるようになると、新人たちは戦慄し、顔面蒼白となった。
ズドン!
無数の鋭い先端が見えた直後、あっという間に「それ」は地面に突き刺さった。
1本だけが地面に深々と突き刺さり、その威力のほどを示している。
それ以外の無数の「それら」は、新人たちの頭上1mの高さでピタリと静止していた。
「い、岩の柱……?」
新人たちが腰を抜かして地面にへたりこみ、青い顔でつぶやく。
それはまさに岩の柱だった。わかりやすく言うなら、無数の電柱である。
そんなものが雲の高さから凄まじい速さで落下してきた。
しかも、避ける場所もないほど密集した絨毯爆撃だ。
死を連想するには十分すぎる光景が、すぐ頭上で静止している。
「わかりやすい所だと、こんなものだな。
勉強になったかね?」
ニグレオスが再び指を鳴らすと、無数の岩の柱はあっさりと消えてしまった。
魔法で生成したものだったのだ。詠唱も魔法陣も使わず、指を鳴らすだけという驚異的な魔法能力――いや、おそらくは指を鳴らすことも不要なのだろう。分かりやすいように、わざと鳴らして合図したのだ。
「「ありがとうございました!」」
新人たちは即座に立ち上がり、一糸乱れぬ動きで敬礼した。
これで「わかりやすい所だと」ということは、分かりにくい所だと、どうなる?
これほどの実力者が、分からないように攻撃しようと思ったら、誰が気付けるだろうか?
それがどんな方法なのかは一切わからないまま、「ありえる」という恐怖だけが新人たちに刻まれた。
◇
「ふー……いい仕事したっ」
逃げるように新人たちが出ていって、俺は額を拭った。
これで彼らは今後も努力を怠らないだろう。
俺に対する恐怖心も植え付けたので、よほどの用事がなければ話しかけてこないはずだ。嫌われないように距離を取るというのは、けっこう気を遣う。
「毎度のことですが、やりすぎですよニグレオス殿」
「いいんだよ。お前の部下じゃないか。気になるなら面倒見てやれば?」
「まったく……ニグレオス殿の人嫌いにも困ったものです」
「嫌いっていうか……まあ、単に苦手っていうか? ストレスなんだよね」
家庭環境があんまり良くなかったせいだな。長男教の教祖みたいな祖母が支配する家で、長男として祖母の洗脳教育を受けて育った。我が家が異常だと認識できたのは、35歳になってからだ。
それから10年たった今でも、人に合わせる経験が少なすぎて、誰かと一緒に過ごすのがストレスだ。友人もいない、恋人もいない、妻子もいない。誇るようなものもないくせに「家のために滅私奉公せよ」と洗脳してきた祖母の願いは、こうして「家」そのものが滅ぶという結末になるわけだ。
「そんな事より、約束のものは?」
「王国で一番と言われるビール『夕闇マイルドウェット』を樽で、ですね。
ご自宅に届けるように手配しています。今日には届くかと」
「よしっ。
今日はいい仕事もできたし、うまいビールが飲めるぞ」