◯一筋縄ではいかない話
レイに払い除けられた伊織は、数メートルは飛ばされ着地後二、三回転してから起き上がる。
無茶苦茶じゃないか。さっきしがみついた腕は鉄骨のように一切動かなかった、振り払われたレイの腕は出鱈目に身体の全てを持っていった。伊織の手首、肘、肩がゴキゴキと音を立てた。幸い外れたりしてないが、違和感がひどい。だからと言ってそれが何の言い訳になるかというとなると、そんなわけは無い。そんなことは許されない。
今ここに晒された世界の欺瞞。それをどうするのか、今その決断はミカにかかっている。職責を全うして、ここで起こったことに対して、蓋をして戻る。それも一つの選択だ。言い訳はたくさんできる、だってこんなことになるとは誰も知らなかった。ここで下がってもまたチャンスはある。何がどうしてこうなったかをいろんな方向で考え直す必要もある。さぁ。
どうするんですか?先輩。
ミカの顔を見る、伊織は察する。今さらそんなこと言うわけないですよね。いつでも自身のマナを展開出来るように、伊織は自身の腕に力を込める。勝算なんか微塵もない。でも、やるんだ。
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ミカはレイを見つめる。少し物思いに耽る。
以前の、ここに来ると言い出す前、自身のマナで立つと決める前の、旅団の長としての、軍人としての職責に邁進する自分だったなら。堪忍なぁの一言で、自分を全部押し殺して、この世界の欺瞞に蓋をして帰る選択をするだろう。
世界の最大公約数に資する行動をする。軍人であれば当然の行動、ミカ自身にとってもそれは何の疑問を持たない行動であった。だってその方が賢いから。
今ここにいると言う時点でずいぶんとそれから逸脱しているような気がする。旅団本部砲撃の時に頭でも打ったのだろうかと、下らない疑問を浮かべる。
自身の職責や世界の最大公約数なんていう、後者に至ってはいま思いついたに等しい、そんな言葉に甘んじて、賢い振りして。今回だってきっとそう。このままみんなで帰って、みんな思うところはあるだろうけど、そのままにして、時が流れて。また新しい問題に向かい合って、生きていく。
でも、このままなら。
このままなら、気がついたら動けなくなって、後悔する日がきっと来る。
自分で立つと決めた時、ほんのちょっと誰かが自分の背中を押してくれたような気がした。その気配はまだいまここにある。別にそれが何かをしてくれるわけではない事ももわかっている。
だから自分で走るのだ、立ち止まることはもう許されない。
和泉は考える、そして感じ取る。
いまここで行われているのは、マナ無しの集団自殺とその幇助だ。
マナ無しと差別されながら、生きるコストを支払ってないとか、そう言うレッテル張りの中、自身たちは懸命に生きてきた。ただそこで一部の人間は気づいてしまった。
我々自身はマナが無いわけではない、マナの出力口がないと言う欠陥品なんだと。その自虐的気づきが、自らの自己犠牲と結びつき。生命そのものを捧げると言う歪んだ価値になっている。
いまはまだマナがあるから偉い、無いからそうでもない。それくらいのことだ。あってもなくても生きてはいける。それで良いのかと言われたら正直困る。現に困って我々は足掻いている。
ただ、ここで起こっていることは、マナが無い者に対して何しても良い。マナが無いから何されても仕方ない。そういう絶望的な、そして嗜虐的な価値観。マナ無しのマナを貪り食って、自分たちがのうのうと生きる、我々はそれを甘んじて受ける。それが正しいこと、当たり前の事となる未来が押し寄せることになる。それは正しい変化だとは思わない。マナを持たないとされた人間が家畜同然になっていく。
見た通りだ、中村、木原のようにマナ無しは死ぬかヒトガタにされ、そのヒトガタは私たちを襲うことがある。それはそうだ、彼らの経緯を知れば察するに余りある、むしろもっと怒りに身を任せて襲ってきても構わない。自分ならそうする。
でも、そうしないのは、彼ら自身の他者への敬意や持たざるモノだったと言う境遇に対する諦め、そしてその中で見出した究極の自己犠牲が。ヒトガタになっても本能で維持されている。これを世界が知らないままで良い訳がない。マナが無いとされた人々たちが勝手に自分たちで解釈して良い問題じゃない。そこに甘えて良い訳じゃない。こっちは付き合わされなるものか。
ただ、それはもう絶望的に大きな意志でもあった。それを理解して無用な混乱を招かないように、静かに死ぬ。それがナガイの教えか。その絶望を理解させる存在がいまこの目の前にいる。今から生き残る術はあるのか。わからない。ただ、ここでは死ねない。それだけは確固たる決意として和泉に刻まれている。
ミカは、一つ、呼吸をする。多分聞いてはくれないお願いをする。
(レイちゃんいつからこんなんになってしもたんやろか)
「レイちゃん、一緒に来てくれて、ぜーんぶ話してくれへんかなぁ。」
レイは微動だにしない。ミカは続ける。
(気づけなんだわ、堪忍なぁ、もし最初からやったらよぉ隠しとったな)
「だって、マナが無いって人っていうのは、おらへんのやろ。そうなったら、みんなが私たちが守るべきモノやん。」
レイはため息を一つつく。そして、答える。
「断る。そんなことをしたら社会の秩序が保てない。それにマナ貴重なんだ。」
レイが、貴重なんだと、言い終わる前に和泉が怒鳴る。
「お前は!さっき、もういっぱいとか抜かしただろ!!」
レイが冷たい目線を送る。
「その、拘束してる、されてるっていう演技、やめなさいよ。面白くない。」
茜も和泉もレイを睨みつけながら、和泉は茜から一歩離れる。
「ミカ。良いの?反乱の首謀者を拘束出来なかった部下がいるよ。」
レイがゆっくりと、ブレードの柄に手を添える。
「私なら、そんなヘマはしない。」
ミカが手で制す。目には涙が滲んでいる。
(相変わらず優しいのか、ちゃうんか、よーわからんなぁ)
「同期からのお願いやない。旅団の長としての命令なの。」
レイは小さく首を振る。やっぱりか。少し悲しいな。とミカは思った。しかしそれとは反対に、レイは笑顔で言う。
「断る。せっかくだからやろうじゃ無いか。そこで叩きのめしてくれるなら、ミカの言うことを聞いてあげる。」
言い終わるや否や、レイは改めてブレードの柄を今度こそ握る。その時だった。オレンジ色の矢がレイの手とブレードの柄を射抜いて、レイの手の甲に矢が刺さっている。その手の甲からはあのケバケバしい極彩色の血が流れている。
「汚いわね、そんなんで先輩に近づくんじゃないよ。」
伊織がレイの死角から射抜いたのだ。そしてニヤリとして、レイのマナの色をけなす。受けるレイは、どこ吹く風。顔を向けず、目線だけで伊織を見る。
「ふぅん、そうか、君のマナはこの色か。」
瞬きをする。開けた瞬間にレイはそこにいなかった。探す。伊織の前だった。
伊織は驚きつつも、武器を切り替えて二刀で斬りかかる。硬い鉄同士のぶつかる音がする。伊織の二刀に対し、レイは一本のブレードで受けている。しかも片手で。
「悪くは無い」
そう一言だけ言って、乱暴に蹴る。普通は蹴ろうとする場合はどうしても身体の重心がずれるから、ある程度の経験を積めば、その初動がわかるものだ。しかし、レイの身体はいっさいずれず一切ブレず、ただ蹴りが伊織の胴に入る音がする。
伊織が耐えきれず、呻く。レイが足を引く。相手を飛ばす蹴りではなく、痛みを効かせる蹴りだった。伊織の身体がその場でくの字に曲がる。二刀が力無く垂れ下がる。ブレードを握っていない方の手でレイが伊織を殴る。理屈を置いてきた乱暴な殴り方。鈍い音がしてまた伊織は数メートル飛ばされる。
ブレードで切られない、まだ殺すつもりは無いようだ、だったらなんとかなる。伊織は飛ばされながら次の手を考える。着地をする。顔あげる。遅かった。自分の顔面にレイのブーツが刺さる。遊び飽きたおもちゃを乱雑に扱う子どものように、レイは伊織を蹴り飛ばす。
「マナ有りは殺さないんだけどね、どこまで耐えれるかな。」
ただ弄ぶだけ。そんな宣言をするレイ。伊織は壕の壁に叩きつけられズルズルと崩れる。ただすぐに起き上がる。
「そんな使い方もできるのか」
レイは感嘆する。伊織の顔の前、ちょうどレイのブーツが刺さった箇所に、金色の皿のようなものが展開されている。 少し息を整えるようにしながら伊織がいう。
「ありがとうございます、先輩。」
ただし、伊織は動けないようだ。レイはその伊織を吟味しながら、あえてミカに語りかける。
「ミカ。ずいぶんと、贅沢にマナを使うようになったね。」
嬉しいよ。そう言って今度はミカの方へ駆けて行く。相変わらず瞬きより早いが、慣れればそんなもの怖くない。そう思い込む。
ミカはブレードを抜き構える。レイの剣撃が唸る。激しい音が響く。左からの横薙ぎがミカを捉え、吹き飛ばす。力に抗わず、飛ばされてながらも空中で向きを直し、着地する。レイと正体しブレードを構える。
レイは、まだその場にいた。一つの好機。ミカはマナを展開する。伊織や茜までは届けない、レイと自分の間だけ濃密に繋ぐ。レイの一挙手一投足全てをマナで探知する。
ふぅん。とまた、物珍しそうに言ってから構えを解くレイ。そして出血が止まっていない手を振る。ケバケバしい極彩色が飛び散る。ミカが敷いた金色のマナに、極彩色が混じり汚い黒に変化うする。
探知できへん!
さらにその黒い点を飛び飛びでレイが飛んでくる。さっきの数倍は速い、慣れるとかいう次元ではない。レイの体勢も挙動も次の動作もわからない。
ミカは前足に力を入れて、状態を起こしたまま。後ろに飛ぶ。回避しつつ、視界を確保するためだ。距離をとりつつ出鱈目に飛んでくるレイを捉えようとする。黒と黒の点の間は自分のマナの範囲内のはずだ、でも。
わからへん!探知できへん!理由がわからへん!
考えられる可能性の一つを思いつき少し絶望する。レイは点の中を移動してる。ならば最寄りの点はどこだ。探す。目に前しかないはずだ。
「いらっしゃい。」
背筋が凍る。真後ろだった。そう、最初に伊織が射抜いたところだ。その足元にはすでにレイから垂れたものが落ちている。
しまった、基本的な戦略、情報把握すら失念していた。
近所の知り合いに挨拶するような声がけの後、レイはあえて、ブレードではなく、左拳でミカを突こうとする。黒い点から右足を踏み出し、反対の手に握っているのブレードを下げ、反動で左拳を突き出す。基本的な、それでも今のレイから繰り出されるそれは、人の認知限界を超える速度の突き。
聞こえないはずの唸りに合わせて拳が迫る。伊織に使った防御壁か?躱せるか?両方か?間に合うか?迷いで思考が止まる。しまった悪い癖だ。
そう認識したがもう遅い、避けられない拳を受ける覚悟をしたが、それは当たらない。ミカの顔の横にそれていった。ミカの視界の端にはオレンジの矢。
レイが大きく舌打ちする。彼女の手にはまた伊織の矢が刺さっている。ぼたぼたとケバケバしい極彩色が落ちる。
「舐めんじゃないよ。この怪物風情が。先輩には触らせないわよ。」
威勢はいいがやはりダメージを負っている。朔望団による旅団本部強襲、03小隊との駆け引き、首相官邸突入、そしてここに来てこのレイとの戦闘だ。消耗した体力とそのダメージが伊織を蝕んでいる。しかし彼女は気丈に振る舞う。若干引き攣った笑顔で吠える。
「先輩!大丈夫です!任せて下さい!」
レイの目が冷めたように見えた。構えを解きミカと向き合う、お互いの間合いなのにお互いが仕掛けない。
「あー、そう言うことか。」
レイが突然合点が言ったように気付き、邪悪な笑みを浮かべる。
「ミカが、私と戦う理由が、弱いんだな。だからまだミカは本気じゃない。」
ミカが見透かされたという証左と言うように、たじろぎ、半歩下がる。その顔は少し顔は少し沈んでいる。
それに気付き、レイの口角が上がる、しかし目つきは冷たいまま。
「そうか。」
ブレードを鞘に収め、パチンと指を鳴らす。するとぼたぼたと落ちていたケバケバしい極彩色が、ミカの四肢を拘束する。きつく締められミカは小さく苦悶の声を上げる。
「まぁオマケよ、オマケ」
レイがそう言うと、さらに、茜と和泉もマナで拘束する。ミカの拘束とは違い、手と胴体をまとめて拘束する。二人とも勢いで倒れる。それを見届けたレイは踵を返して伊織の方へ歩いて行く。
向かってくるレイに対して、伊織が奮い立って吠える。
「そうよ!私と闘いなさい!」
本人は力強く立っているつもりのだろうが、そうは見えない。肩で息をして、前傾姿勢というより、ただの前屈み。それは先ほどの蹴りのダメージ。片目は半開き、表情は笑っているが力無い。それは、先ほどの殴打のダメージ。ミカの防御壁すらも超えてくる衝撃だった。腕は垂れ下り、二刀のブレードは持てないのか地面に刺してある。そのブレードに逆転の策があるとは思えない。要は疲労で握力がないのだ。
ただ、それでも、レイが一歩、歩みを進める事に、伊織は懸命に、震える手でマナの矢をつがえて放つ。矢は正確にレイの目や首、そして心臓を射抜こうとする。
しかし、その一矢、その次の一矢はと、レイに素手で払い除けられる。
レイの手により霧散する伊織の矢。オレンジのマナの色が砕け散る。繰り返す。伊織が射る、レイが弾く、砕ける矢、それが幾重にも重なる。お互いに無駄のない動き。レイがオレンジの紙吹雪の中を歩くように。伊織のマナで演出された花道を進む。
「地獄のような花道だな」
和泉が呟き、茜はただただ見る事しかできなかった。本心では、見ていられないが、目を背けるわけにはいかない。むしろ背けることすら許されない。がんばれと願いつつ茜は策を考えるが、このケバケバしい極彩色はマナを吸い取っているようだ、茜は力が抜けて、起き上がれない。
一方、和泉もどうにかしようと立ち上がるが、ケバケバしい極彩色が和泉の足首を捕らえてしまい、和泉はまた倒れて、ただその場でもがくだけであった。
ミカは四肢を拘束され、マナを吸い取られている。
あかん!助けへんと!せめて、せめて防御壁でも!お願いや!なんとかして!
しかし慌てれば慌てるほど、マナは霧散する。かろうじて紡ぎ出しても、伊織に届くまえに、紙吹雪に紛れてしまう。
届かへん!なんで!ちょっとでも、届いて!お願いや!
いくつものミカの弱々しいマナが、紙吹雪に紛れていく。伊織のマナの残滓と、ミカのマナが触れあう、伊織が押し返しているようにも見えた。
良いんです先輩。ここまでです、なんとか時間を稼ぎますから。
伊織の意志が伝わる。
あかん!そんなんあかん!
ミカは叫ぶ。マナを通して、自身の声でも。
レイは止まらない。射抜こうする伊織も止まらない。
「良いね、とても美しい。」
その場にいるレイの形をした邪悪が呟く。
一拍の間を空けて、続ける。
「マナも、人を思う純情も。」
邪悪が歩みを止める。伊織が真っ直ぐ伸ばした腕の真ん前だ。弓を握った手をひらけば届く距離。伊織は乱れた息のまま軽口を言う。
「流石にここだと、当たるんじゃない?」
マナで形成した矢はレイの鼻先に触れる。
「さぁ?どうだろうね。」
今日はどちらへ?というような声の調子。とても優しい声だが、この場には全く相応しくない声の調子とその笑顔。その笑顔を受ける伊織。その目にはまだ光が宿っている。諦めてはいない。そう見える。
ミカは相変わらず、防御壁を送ろうとするが、伊織は受けない。
あかんて!伊織ちゃん!言うこと聞いてよ!ねぇ!
ミカは声にならない声で叫ぶ、想いはマナに乗せて伝える。しかし伊織は受け付けない。
伊織は力を抜いて、照れ臭さそうな視線をレイではなくミカに向ける。
こんな時に言うべきもじゃないかもしれないが、いま言わないと、もういう機会がない。
大好きです、先輩。
ミカの声にならない絶叫が響く。
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「挨拶は済んだかい?」
オレンジのマナの紙吹雪が舞う中で、空気を読まない邪悪がニタニタしながら問いかける。
「うるさいわね。これでも一世一代の告白なのよ。」
矢を握る手に力を込める、ボロボロなのに顔は別理由で真っ赤っかだ。
「一つだけ良い?」
伊織が言う。なんだ?と邪悪が答える。
「あんたにできるってことは私にも出来るってことよね?」
なんのことだと思ったがもう遅い。
伊織が叫ぶ。いわゆる気合い。それに合わせて、伊織のマナの紙吹雪が意思を持って邪悪に取りつく。四肢を拘束し、首と頭も押さえつける。
ぐ、とだけ邪悪がうめき、その口の隙間に猿轡をするようにオレンジが滑り込む。
「ここまでしたってあんたには当たる気がしないんだどね!流石に当たってくれるよね!!!」
さらにもう一段大きな声を上げ、矢を放つ。ゼロ距離だ。外れるわけがない。矢を放つというより、全力で矢尻を押し出して叩き込む。何かに当たる。その感触は人ではなくとても気持ちが悪い。矢を全部押し込んでレイの鼻っ柱を殴る形になる。その感触も人の肌ではなく気持ち悪い。殴った手を引く事も出来ず、力尽きた伊織は膝から崩れ落ち、顔を上げて、自身の全力の結果を確認する。邪悪は伊織のマナに支えられてた立ったままだった。
どうなった?上手くいったか。
邪悪はただニタニタと笑っていた。
そしてその鼻先には、邪悪が精製した、小さな小さな、極彩色。
それを見上げ、伊織は絶望する。表情が曇り、あ、あ、あ、と小さく声が漏れる。
「そうね、外れるわけはないんだよ。」
邪悪が、さも当然というように答える。猿轡はいつの間にかなくなっている。
邪悪はまず軽く右手を振る。伊織のマナが砕ける。まるでガラスが砕けるように、ガシャガシャと落ちて行く。
次に左手に力を入れる。伊織のマナが爆ぜる、これもガラスのように。しかし霧散して消える。
足を片方ずつ振り上げる。伊織のマナは柔らかい新雪のように、サラサラと、溶け落ちる。そして最後、首の拘束を手で引っ張る。まるで紙が破けるように簡単にマナがちぎれる。
ふぅ、と一息。
「まぁ。初めてにしては上出来だな、だけど初めてだからマナが安定しないな。」
大上段からの物言い、まるで評論家のようにいう。伊織はまだ絶望の淵にいる。全力以上を出して何も出来なかった。その事実が彼女の自信を崩壊させた。
さて、と一言間をおいて、レイが何かを話そうとした時だった。レイの視界が赤くなる。レイの額から血が流れ、目にかかる。ケバケバしい極彩色ではなく、人としての血。何が起こったか誰もわからない。
「ふぅん。そうか。」
明らかに機嫌が悪くなる。そしてもう一言。
「そうか。」
それを見て伊織の口角が上がる。
「へ!やってやったわ。この怪物風情が。」
少し自信を取り戻した伊織が仰向けのまま後ろに倒れる。彼女の華奢な身体が地面に倒れるとても小さな音がする。その音と同時に、何故かミカたちの拘束も解ける。
拘束が解けた理由を考えるよりも早く、彼女たちは声にならない声を上げ、ミカと茜は伊織に走りよろうとする。しかし、レイが右手を振り上げる。そして再び現る極彩色。しかし今度はただの塊だった。その塊は乱暴に二人を足止めする。そして、レイは足元にいる伊織をボールを蹴るように振りかぶってから蹴る。ただ己の憂さ晴らしをするかのように。伊織は何もできず動かない。右足の次は左足で蹴る。そのあとは助走をつけて蹴る。まるで子どもだ。しかし、このままでは、伊織が死ぬ。マナ有りは殺さないなんかは最初から嘘に決まっていた。
茜がどけ!と叫び彼女の手持ちの武器の短刀型のブレードを突き立てるが、歯が立たない。一方でミカはただガムシャラに殴るだけだった、自身の手足にマナ乗せ、とにかく殴り、押し除けようとする。彼女たちはわかっている、感じている。この不機嫌になったレイの形をした邪悪が何をするのか、させるわけにはいかない。邪悪が地面に突き立てられている伊織のブレードを発見する。血の気が引く、目の前の極彩色を殴る手を強める。何かしないと!どうにかしないと!
でも、
でも、
自分にできる事がない、でも、それは認めたくない。認めない。
叫び、足掻き、押し除ける。しかし、邪悪が二刀のうちの一つを拾う。
邪悪が肩で息をしながら、何かを喚いている。まるでかんしゃくを起こした子どもだ、本当にあれはレイなのか、そもそも彼女は傷つくことを厭わない。彼女はあんなかんしゃくなんか起こさない。
最悪だ、最悪の可能性が浮かんできた。
なぜもっと早く気付かない!自分の間抜け!せっかくここまで来たのに、自分の間抜けでこんなことになった。後悔が止まらない、叫んでいるのか願っているのかわからない。ただ感情が怒涛のように漏れ出して行く。
誰か!
誰か助けて!お願いや!なんでもするから!
自分の言葉に気づいて後悔する。この後に及んで助けを求める事に、自分が動けない事に。
でも、なんで?なんで今後悔するの。と誰かが問うた。
気づく、まだや。まだなんとかなるはずや。
うちはミカや。やるんや!!
伊織ちゃんを助けるんや!!
身体の真ん中に小さな小さな火が灯る。
出鱈目や!もうなんでもええわ!伊織ちゃんが助かるならなんでもええわ!!
ミカは改めて大地を踏み締める。力を込め直す。動く世界が遅くなる、音が消える。
なすべき事がわかる。己のマナの残量を確認する、ずいぶん少ないがなんとかする。
目の前の極彩色、レイの形をした邪悪、そして伊織ちゃん。
探知する。見えないなら、見えるまで重ねがけするだけ、どれだけでも。
見つけてやる。まずは極彩色、これの小さな小さな小さな核を発見する。
感覚だけでマナを刺す。弾ける極彩色。
走りだす。自分も世界に合わせて遅くなっている。
届かない。たぶん届かない。でも諦めない。せめて、邪悪と伊織の間にでも。
でも、諦めへん!骨が軋む、自身の力でマナの力で、加速する。
一歩ごとに何かしらの骨が折れる、振り上げる関節が耐えきれずの外れる。筋繊維がちぎれる、マナで繋ぐ、無理矢理でも走る。
邪悪がブレードを振り上げる。ミカは飛ぶ、せめてぶつかれ!
届け。地面を踏み切る。
届け。手を伸ばす。
届け。指先から足先まで、全て伸ばす。
届け。飛んでいる時間がもどかしい。
音のない世界で、邪悪が気づきこちらを見る。
ニヤつく。アレはレイちゃんの顔じゃないわぁ。
あぁ、届かへんか。
一筋縄ではいかんなぁ。
せめて、このレイの形をした邪悪を打ち倒して。
せめて、すぐ伊織ちゃんの後追いするか、茜ちゃん、あとは任せた。
いつも堪忍やで、許してや。
空中で集中が切れる、音が戻る。
そして最初に聞いた音は、伊織にブレードが刺さる音ではなく。金属音だった。
その後のミカは伊織に覆い被さる。急いで振り向く。
その姿を見て、心配より安心する自分はつくづく情けないなぁと感じるミカであった。
「レイちゃん、ありがとうやぁ。」




