10、至宝
「作戦開始時刻まで、あと30秒……」
静かな声が4月の寒い夜の空気を震わせる。ジュリア・ハリアーは、スコープ越しに敵の見張りを捉えながら、相棒の観測手――サラ・フォージャーの報告に耳を傾けていた。
スコープの先、警戒心のかけらもない敵兵が、小銃を脇に煙草をふかしている。前線からやや後方に位置しているためか、妙にのんきな態度だった。まさか、自分の命が30秒後には無くなるとは夢にも思うまい。
暗闇の中で、煙草の火だけが赤く、よく目立つ。見逃すわけがない。
「通信手、いただくよ? ……はっ、のんきにあくびしてやがる。この狙撃に題名をつけるなら『突然死』あたりかしら?」
戦友のシモーヌ・タイガーキャットからの物騒な通信を聞いて、ジュリアは次の獲物を再設定した。
――次は、その隣。さらに、左後方の見張り台にもう一人……。
ジュリアは頭の中で、効率的な殲滅ルートを静かに組み上げていた。狙撃に関しては彼女は異常なまでの才能と執着を発揮する。
すでに各隊は定位置に展開済みだった。特にヴァルチャー隊――666が誇る精鋭狙撃部隊は、作戦開始の合図を待ちながら、それぞれの標的に銃口を向けている。ここまで生き残ったスナイパーは、ジュリアを含めてわずか4人。だが全員が、文字通り一騎当千の強者だ。
しかし、だというのに敵のこの様子ときたら。完全に気が緩んでいる。警戒に立つのは数人程度。残りは今頃、夢の中か――あるいは、泥酔してでもいるのだろう。王都陥落の報せに浮かれるのも理解できるが、それにしても軍紀が緩みすぎている。……スカイのファンクラブ化している666大隊が言えた義理では無いが。
「こいつらはアホなのか?見張りもほとんどいない」
そう呟くと、戦友から通信が入る。テレサ・トーネード。ヴァルチャー隊の戦友の一人で陽気な奴だ。……『地雷』である彼女の姉が絡まなければ、だが。
「王都が落ちて、やっと家に帰れるって安心してんじゃない?」
「……可哀想になぁ。押し込み強盗に狙われなきゃ、もう少しで家に帰れたものを」
「……だからこそ、『強盗』のターゲットとしてはちょうどいい。ケイティやマスタング姉妹が生きてれば、絶好のキル稼ぎチャンスだったのに。残念だったな」
「あいつらめ、今頃、幽霊になってこれを見ながら悔しがってるだろうさ」
ジュリアは、わずかに唇の端を吊り上げた。
――今日もスコアを稼がせてもらおう。
隣では、サラが淡々と作戦タイムを読み上げ続けている。彼女の声は落ち着いていて、どこか優雅ですらあった。
彼女たちの出自は対照的だった。
ジュリアの母親は歌うたいだった。まだ羽振りの良かった時代の父に囲われジュリアを生み……。彼が政治的に『大負け』して没落してからは捨てられた。だが、ジュリアだけは政略結婚用の駒として父の手元に残された。
と言っても落ちぶれた男爵家。幼少期は常に空腹を抱えていたし、正室やその子達からは厄介もの扱い。夜会のドレスも、舞踏会も、彼女には縁のない世界だった。
貧困と絶望に苛まれた日々を変えたくて、半ば自暴自棄的に学徒兵として志願したが……まさか、戦場で『至宝』などと呼ばれるようになるとは、夢にも思わなかった。貧乏貴族令嬢の頃には絶対にかけられなかった賞賛と畏怖の声。
もう常に脳内麻薬で酔っている様な感覚だ。
……正直、もうこの大隊からあの冷たい実家に戻りたくない。まぁ、王都にあった実家が残っているかは微妙だが。
戦争がなければ、自分はきっと、父か親族の誰かの都合で嫁入りさせられ、名ばかりの夫と冷え切った屋敷で一生を終えていただろう。ジュリアはそう確信している。だからこそ、この期に及んで、あの自分に似た傷を持つ王子に、頼まれもしないのについてきている。
一方、サラは違った。爵位を買った成金の家に生まれ、豊かな暮らしの中で何不自由なく育った娘。だがその言動は、決して甘やかされて育った子供のそれではなかった。
おっとりとした口調の奥に、冷静さと狡猾さが潜んでいる。
そんなサラだからこそ、心に常に飢えがあるジュリアとも、かえって相性が良かったのだろう。時に彼女を励まし、時に奮起させて100%の力を発揮できる様におだてる。500人以上の敵兵を二人で始末してきた名コンビ。通称、666大隊の至宝。
ジュリアを、サラはいつも少し楽しそうに見ている。多分、彼女からするとおだて甲斐煽り甲斐のある「おもしれー女」という感じなのかもしれない。
「――0300、作戦開始」
サラの声が、夜闇を切り裂く刃のように響いた。
ジュリアは瞬時に引き金を引いた。
沈黙の中で、M21狙撃銃が唸る。煙草をふかしていた兵士は、自分が死んだことすら気づかず、眉間に穴をあけられ、その場に崩れ落ちた。
すぐさま次の標的。左の兵に照準を合わせ、再び引き金を絞る。
また脳天に正確な一撃。綺麗に、静かに仕留めた。
いつもなら、あえて急所を外して救護に来る兵士を誘い出し、数珠つなぎに葬っていくのが彼女たちのやり方だったが――今夜は違う。今回は速度が最優先。
ほぼ同時に、ヴァルチャー隊による一斉射撃が始まった。周囲の見張りが一瞬にして死んでいく。
それと同時に――地面が揺れた。
「来たな……」
ジュリアが呟いた直後、敵集積地の中央部――兵舎の周辺に火の手が上がる。
グース隊。砲兵部隊の奇襲射撃だった。
激しい轟音と共に、地獄の幕が上がる。炎と悲鳴と破壊の連鎖。闇夜が一気に朱に染まる。瓦礫と化した兵舎から、何が起こったかすら分からず、ばらばらと這い出てくる敵兵。
ジュリアはその様子を、どこか冷めた目で見下ろしていた。
「さて、始めましょうか。……今日も、スコアを稼げる仕事よ。頼むわよ、あなたの手に今回の作戦がかかってるんだから」
横で双眼鏡を覗くサラが、獲物だ、と言わんばかりにつぶやいた。その声は、舞踏会にでも来たかの様にウキウキしている。
「ああ、いつも通りに。……ほんと、性格が悪いな。お前は」
そう言って、ジュリアは柔らかく笑う。そして、銃を構えて、サラの観測に従い、一人一人仕留めていく。鳥が地面の虫を啄むが如き、いつものヴァルチャー隊の日常の風景。
ジュリアとサラ。ふたりの関係は妙に心地いい。
常に心の中で他人からの賞賛を求めるジュリアと、それを理解して、彼女の中の火を煽って燃やし続けるサラ。完全にサラに手玉に取られていることなど分かっているが、それでいい。彼女が隣にいるから、自分は100%の力を発揮出来る。そうジュリアは完全に理解している。
「サラ、お前は、誰より優しそうな顔してるくせに、私よりよっぽど残酷だな」
「あら、今更気づいた?」
ふたりは、そんな言葉を交わしながら、次の引き金に指をかける。増援到着予想まで、ざっとあと2時間。まだ小鳥達による『狩り』は始まったばかりだ。




