10、裏切り者に与える鉄槌
夕陽は沈みかけ、ジフ川の水面が赤く染まり始めていた。イーグル第5小隊は小高い丘の上で足を止める。風は肌寒く、空気はどこか張り詰めている。
「……あの日?」
とシルヴィアが呟く。
「ええ」
ユリシアは静かに答えた。
「私らで大隊の裏切り者たちを銃殺した『あの日』ですよ」
「懐かしいですわね」
とファルナが遠くを見るような目で言った。
「……グレイシーが売ったスパイどもをまとめて処刑した日、ですか」
オクタヴィアも頷く。
「ヅール砂漠の戦いの直前でした」
彼女たちはその瞬間、歩みを止め、吹き抜ける風の中で記憶を辿る。
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――銃殺刑執行の日――
ヅール砂漠へ発つ前、一時的に張られた野営地。夕暮れ。風は乾き、赤く染まった地面はまるで血のようだった。
捕らえられたスパイたちが縛られ、膝をつかされて整列する。彼女たちと大差ない年齢――十四、十五、十六。
だが、スパイと判断されてしまった今、その少女たちの軍服は急に安っぽく見え、背中も小さく、目だけが恐怖に縋っている。目隠しはされていたが、それ越しにも彼女らの恐怖が見て取れた。
彼女たちイーグル第5小隊は、本来処刑役となる予定ではなかった。銃殺刑は督戦隊――オードリー隊の任務だった。
だが、スパイの銃殺をスカイが発表した瞬間、シルヴィアら四人は迷うことなく立候補したのだ。
怒りがあった。
そして、狂信とも言える忠誠が。
一人、シルヴィアより三つ下の少女が口を開いた。
「お願い……撃たないで。私たち、味方だったんだよ……家族だって言ってたじゃない……」
シルヴィアはそれを聞き、微かな笑みを浮かべる。だがそれは慰めではなく――静かな怒りだった。
「あなたたちは『黒判定』。ここには、もう戻る場所はないんです。裏切りものは家族じゃない」
オクタヴィアが銃を構えながら言う。淡々と――しかし、そこには深い失望があった。
一度だけ目を伏せた。
処分対象の中には、共に訓練を受け、気の置けない会話をした知人もいたからだ。
「裏切り者は銃殺刑。……鉄の掟です。終わるのが嫌なら、裏切らなきゃよかった。それかグレイシーみたいにさっさと転向すればよかったのに」
ユリシアは淡々とノートに記録している。いつものスカイの迷言集ではない――今日は公式の『処刑記録』。
撃つ役はシルヴィア、オクタヴィア、ファルナの三人。
ユリシアだけは後方に立つ。それは最年少だからというより、シルヴィアの「せめて汚れ仕事は年長者がやれ」という意地によるものだった。
「何か言い残すことは?」
ファルナが問う。
「いやだ! まだ死にたくないッ!」
「今更命乞いしても、もう遅いんですわよ。間抜けスパイ」
ファルナは、命乞いする標的の胸元に視線を移す。その目は射撃訓練の時と変わらず、澄んでいた。
シルヴィアが小隊長として号令をかける。
「イーグル第五小隊。構え、狙え」
銃を構えた。
相手の顔を見るのはよくない。訓練ではそう習った。だから胸元を見る。
乾いた夕陽の中、世界が一瞬だけ静かになる。
「――撃て」
引き金が絞られ、砂地に赤い飛沫が散る。音は短く、鋭く、すぐに風にかき消された。
一人が倒れる。
似たような流れで二人目。
三人目以降は観念したのか、恐怖で声も出せなかったのか、何も言わなかった。
――こうして十人ほどが処理され、静寂が落ちた。
ファルナは銃を下げ、いつもの冗談の調子で言った。
「戦車長撃つより簡単でしたわね」
オクタヴィアも、乾いた笑みを浮かべる。
「……裏切り者のこいつらが悪いですよね?」
ユリシアはノートを閉じた。
「今日のことは殿下語録には載せません。少し、エグすぎる」
最後に倒れた少女を見下ろし、シルヴィアが小声で呟いた。
「こいつらの死体はその辺に埋めましょう。墓標はいらないわ。砂で十分」
そして――唇を吊り上げる。
「さぁて、少しは殿下の覚えもめでたくなるかしら?」
「まさか、それが理由で立候補したの?」
オクタヴィアが呆れたように聞く。
「そうですよ?」
シルヴィアは胸を張る。
「忠誠を示すには、裏切り者の処刑が一番手軽です。こういう日が来ないか、ずっと待ってたんですよね」
「恐ろしい女ですよ、貴女は」
「オクタヴィアだって拒否してないじゃないですか」
「……まぁね」
「私らが惚れてる相手が「まとも」なわけないですから。それに惚れてる私らも、ねぇ?」
とユリシア。
「あはは、それね。さっさと、埋めましょう。いつまでも恨めしげに見られちゃ、かないませんわ」
ファルナが笑った。
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――回想終わり/現在――
「……あの時撃った恩賞って考えると、私のクソ婚約者を殿下が処分してくれたのも、その延長なのかもね」
シルヴィアが言う。あの暴力男は、スカイの謀略によって戦場に誘導され、無謀な突撃の末に蜂の巣になった。
「そうかも。変な所で律儀ですから、殿下」
ファルナは微笑む。
「唯一不満なのは、あのクソったれがミンチにされるのを、直接見られなかったことですね」
ユリシアがさらっと言う。
「怖いんですよ貴女は……まだ十三歳でしょう……」
オクタヴィアが額を押さえる。
丘を越えた瞬間、視界がひらけた。
そこは、見事な平原。補給拠点として最適な地形だった。
「……読んでた通りね」
シルヴィアが双眼鏡を構える。
「殿下に献上するのにちょうど良い土地だわ」
「献上、ねぇ……ポイント36ゴルフ、カナディフ地区。農地。農民達は逃げたのか、人気は無し……」
ユリシアが地図に記入する。
「本当に良い発見をしましたね」
オクタヴィアが頷く。
「抜け道と死角も調べましょう。ちょっとくらい汚れてもいい手柄ですわ。ルシアに言ったら悔しがるでしょうね」
ファルナが不敵に笑む。
シルヴィアは夕陽の中、髪をかき上げながら高らかに宣言する。
「――これで帰ったら殿下のキスはいただきです!」
「死亡フラグを立てないでくださいよ……」
オクタヴィアの低い声が、風に流れた。




