8、『赤い本』の試験
薄暮の中、ジフ川ほとりに設営された陣地で、スカイとマリーは静かにコーヒーを啜っていた。レーションの中に入っている安物だが、こうして落ち着いて飲むのは久しぶりな気がした。
先行していた第8強襲機甲師団の工兵隊の手で、すでに河原は防御陣地に作り変えられており、反政府軍の襲来にいつでも対応出来るようになっている。
666大隊の担当する防衛線は、ポイント35デルタという地点である。前線より少し離れた地点で、ニーナ率いる第二ヘリコプター旅団の野戦飛行場に近い。
彼らのヘリで敵の後方へ浸透、補給部隊を襲撃、離脱するという作戦にすぐに対応出来る。
「……それにしても、隊長。今更ですが、グレイシーのこと、よく生かしておく気になりましたね」
マリーが唐突に話を切り出す。彼女にしては、珍しく茶化したような口ぶりだった。視線の先にはまさに話題になっていたグレイシーの姿が。1人、趣味だというスケッチを黙々としていた。
「顔が好みだったし、俺に好意も向けてたからな」
スカイは肩をすくめてコーヒーをすする。冗談半分、本音半分、といった顔つきだ。
「嘘だぁ。それだけじゃない。顔が良くて隊長に好意向けてるのなんて、ここにはたくさんいるでしょうに。それだけで裏切り者許すはずがない」
マリーのツッコミに、スカイは肩をすくめ、やれやれといった表情を見せた。
「……まあ、『試験』に合格したのはデカかったな」
「例の、『赤い本』の……」
マリーが目を細めた。あの時、スパイの疑惑がかかった少女たちに対し、スカイは一人ひとりにカマかけである質問を投げかけていた。
「君は、赤い表紙の本を読んでいるらしいが……おもしろいか? 感想を聞かせてもらえるかい?」
赤い本。それはグレイシーの所持品の中から見つかった『毛沢東語録』。共産圏の革命指導者が記した、プロパガンダと戦術思想に満ちた小冊子だった。革命を掲げる反政府軍においては必読の書とされているらしい。
グレイシーの場合は問われた瞬間、軽く目を見開いたが、すぐに平静を装い、口を開いた。
――「僭越ながら、殿下の一撃離脱戦術は毛沢東やゲバラ、ザップ将軍のような共産圏のゲリラ指導者に近いものがあると感じました。あの本は、その分析の一環として……」
見事だった。スカイが好きそうな面白さと機転を、絶妙に含ませた答えだった。
「……機転が効く奴は好きだ。しかも、不意に投げつけられた質問にあの返し。殺すには惜しいって、自然と思えた」
「逆に……不合格だった子もいたわね」
「懐かしいな。レベッカちゃんとかな。シューティングスターじゃなくて、シードラゴンの方。レベッカ・シードラゴン」
スカイは軽く笑った。その口調は冷たいが、どこか哀れむような響きもあった。
「……レベッカちゃんかぁ、いたわね、そんな子。彼女、実際に読んでたのよね。『赤い本』。しかも日常的に、待機時間や戦場の片隅でコツコツと。無害そうに見えて、それが逆に怖かった」
「そう。無害に見えて、地雷だった。プロレタリア文学とか、そういう左寄りの本を読んでる姿がね……。仮にも王子が率いる部隊で、しかも戦友の中にも貴族出身者が多数いる部隊で、そんな本読んでるのは普通に空気読めないだろ。下手すれば、寝首をかかれる。そんな予感すらした」
スカイの脳裏に蘇るは、奇しくも彼の最愛の幼馴染と同じ名を持っていた少女兵の姿。それが涙を流しながら「今一度、チャンスをください!」と土下座をしていたのがフラッシュバックする。
「命乞いが見苦しかったのも逆効果だったな」
「……もしかしたら、ただ本が好きなだけだったのかもしれませんけど」
マリーはふっと寂しげに呟いた。
だが、それが「グレー」判定だった。
そしてその「グレー」の彼女は、「黒」がまとめて処刑されてしばらく経って、懲罰部隊に編成された。彼女の懇願通り「最後のチャンス」を与えられた形だった。
『シードラゴンの方のレベッカ』を含めた第5次パッセンジャーピジョン隊はヅール砂漠の戦いで囮として投入され、マーサ・スターファイターを除き全滅。彼女も帰ってこなかった。
「グレイシーみたいに俺のカマかけに面白い返ししてれば……あるいは、シューティングスター方ののレベッカが庇ってたら……。ワンチャン、あったかもしれない」
「でも、どちらでもなかった。キャラも薄かったし、最後の命乞いもただのテンプレ。残念だけど、あれでは残せない。「疑わしきは殺せ」があなたのポリシーだからね……せめて『最後のチャンス』から生還したら、また違ったかもだけど」
「ファーストネームが同じでも、えらい違いだったな」
スカイの言葉に、マリーは静かに頷いた。
コーヒーはもう冷めていた。だが、カップから立ち上るわずかな湯気が、ふたりの間に流れる戦争の空気を、ほんの少しだけ和らげてくれていた。




