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7、場末にて

 666大隊はジフ川に防衛線を張る第8機甲師団に従い、共に防衛戦を展開せよ、という命令に従い、かの川岸へ午後から進軍をしている。


 今は市街地。ここを抜けたらジフ川はすぐそこだ。すでに、彼の地には第8機甲師団の工兵隊が、防衛陣地やマシンガンバンカー、簡易のトーチカなどを設営しているはずだ。


 三方を山に囲まれた堅牢な地であるカーク市にとって、この川は「運河」としての役割ももっていた。川幅が広く、川船で物資を運ぶにも丁度いいくらいの流れだったからだ。


 また、この川から引かれた水は、住民達の飲料水や生活用水に活用されてもいる。


 そんな川が今はカーク市に籠る政府軍残党にとっては、最後の希望になっていた。


 大隊は人影もまばらになってきた、町の縁で小休止していた。

 

 街の表面には、秩序が戻ったような静けさがあった。整然と並ぶ屋台、兵士たちの哨戒、仮設の検問所。


 だが、それは張りぼての平和に過ぎない。街の奥底には、敗北の臭いがまだしつこくこびりついている。


 アンナ・ライトニングと、イーグル隊中隊長のオリヴィア・ランサーは、擦り切れた黒い軍服をまとい、スカートの裾を風に揺らしながら肩を並べて座り込んで一息ついている。

 

「……すげーな、カーク。主要都市はどこもかしこも世紀末状態だと思ってたが、ここはまだ『街』してる」


 アンナは途中にあった露店で買ったキャラメルを噛みながらつぶやく。まだ、この国の通貨が使えたのも驚きだ。


 オリヴィアは長い睫毛を伏せ、静かに答えた。


「クラリーチェ様の統制がきいているのでしょう。第8強襲機甲師団は、こういう場面でもぬかりありませんから」


「なるほどな。……流石はスカイの姉貴。後方でイキってただけの王族連中とは、格が違う」


 アンナは先ほど抜けてきた町の中心部の様子を回想する。わずかな食料を売る露天商が、声を張り上げていた。


 笑い声も聞こえた――だが、その笑みにはどこか張り付いたような硬さがあった。


 この街も、戦場になるかもしれない。


 反政府軍が「追討軍派遣」を大々的に宣伝したという噂は、先述の通り、すでに広まっている。


 そんなとき、アンナの耳が、耳障りな音を拾った。


 くぐもった呻き声と、低い笑い。


 ――路地裏だ。


「……なーんか、嫌な音がするな」


  アンナは短く言って、オリヴィア隊長と視線を交わす。


 アンナ達は戦友達に、少し花を摘みに行くと言って隊から離れ、路地へ足を踏み入れた。


 そこには――味方、第8強襲機甲師団の兵士二人がいた。


 どちらも若い。少年兵では無いが、せいぜい20歳前後だろう。そいつらが壁に押し付けていたのは、ボロボロのドレスをまとった一人の女だった。


 腰布一枚を乱され、必死に口を塞がれている。足元には「お恵みを」と書かれた高級そうな空の化粧箱。足元には幾らかのブラックバニアの通貨と食料が転がっている。


 虚ろな瞳。声にならない悲鳴が、押し殺された喉の奥から漏れ続けていた。


「……うわ。嫌なもの見ましたわね……場末の娼婦に落ちぶれた貴族令嬢、ですか」


 オリヴィアが、火炎放射器を背にしたまま眉をひそめる。


 その視線が、女の顔に止まった。


「歳は……私たちと同じくらいじゃありませんか……」


 アンナは、キャラメルを噛みつぶしながら肩をすくめた。


「ま、色々事情があるんだろうさ。……第8機甲師団の連中も全員が聖人って事も無いだろう。末端の兵士の欲望の発散くらい、見逃してやろうぜ。一応合意の上、っぽいしな。それに変にトラブルになるのも面倒くせぇよ。スカイの抱える面倒事を増やしたくない」


 そう言って、踵を返そうとした――その瞬間、アンナの足が止まった。


 女の顔が、はっきりと見えた。


 ――知っている。


 いや、忘れたくても忘れられない顔だ。


 王都の夜会。


 婚約破棄を突きつけられた、あの日。アンナを嘲笑った、あのしょうもない元婚約者と一緒にいた浮気相手――。


 自然、口の端が、にたりと吊り上がるのが分かる。


「……ははっ。世の中、分からねぇもんだな」


 オリヴィアが目を細める。


「ご存知の方ですか?」


「ちょっとな。昔、散々イキってたお嬢様さ。……見ろよ。今じゃ場末の路地で、男に腰振らされてる。天地ひっくり返るってのは、こういうのを言うんだな」


 アンナの声は乾いていた。笑いというより、冷笑だ。


「貴族令嬢なんて、権威が無くなりゃ、ただの生意気なだけの、か弱い女だ。平和な時代ならそれで通じたんだろうが……生まれる時代を間違えたってやつだな」


 彼女は皮肉な声で言って、新しいキャラメルを口に放り込む。


「内戦中も呑気に王都で高みの見物してたアホ婚約者も、今ごろどうなってる事やら……首をくくってるか、反政府軍に身ぐるみ剥がされて野垂れ死にしてるかって所か。ま、今の私にはどうでもいい事だ」


「……冷たいんですね。一応、顔見知りでしょうに」


 オリヴィアの声には、わずかな戸惑いがあった。


 アンナは肩をすくめる。


「助けたところで、あいつを養う余裕があるか? ない。あそこまで心が壊れてたら、666の補充兵としても役に立たん。なら、見捨てるだけだ。……誇ろうぜ、オリヴィア隊長。私も、あんたも、他の貴族出身組も、運が良かった。徴兵されず、のんきに王都でぬくぬくしてたら、ああなってたのは、私達だったかもしれんよ」


 アンナは、くつくつと笑い、火炎放射器を背負ったオリヴィアの肩を軽く叩いた。


「少なくとも、場末の娼婦よりは良い環境だと思うぜ。666は。スカイは良い男だよ。王都にいたヘタレどもと違って。面白い戦場を提供してくれる。……ま、個人的にあのクズ婚約者思い出すから、浮気性は好かんがね」


 路地裏では、まだ押し殺した声と、無神経な笑い声が交錯している。


 だが、彼女達二人は何も言わず、踵を返した。


「追討軍との戦い、負けたらどうします?」


 オリヴィアの声に、アンナは笑った。


「そんときゃ、また脱出して、今度こそ大隊長神輿にして亡命でもするか。……いずれにしろ、あいつについてきゃ、何とかなるさ」


 戦争は、まだ終わりそうにない。

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