『パンの耳の揚げパン耳』
『パンの耳の揚げパン耳』
第一章 黄昏時の台所
夕暮れの薄明かりが台所の窓から差し込み、古いガスコンロの上で油がパチパチと音を立てていた。母の手は慣れた様子でパンの耳を油の中に滑り込ませる。きつね色に変わっていく様子を見つめながら、私は小さな椅子に座って母の横顔を眺めていた。
「また今日も遅くなったねえ」
母は独り言のようにつぶやきながら、揚がったパンの耳をザルに上げた。湯気が立ち上り、砂糖の甘い香りが台所に広がる。商店街の奥にある我が家は、朝から晩まで客足が絶えない小さな雑貨店を営んでいた。父と母が交代で店に立ち、私たち三人兄弟の面倒を見る時間はほとんどなかった。
「健一、砂糖持ってきて」
母の声で我に返った私は、戸棚から砂糖の袋を取り出す。母はそれを手に取ると、まだ熱いパンの耳に惜しげもなく振りかけた。白い砂糖が油の温度で溶け、きらきらと光って見えた。
「はい、できあがり」
母は皿に盛られたパンの耳の揚げパン耳を食卓に置いた。姉の幸子と弟の和也が店の奥から駆けてくる。三人で一つの皿を囲み、まだ温かい揚げパン耳を頬張った。サクサクとした食感と、ほんのりとした甘さが口の中に広がる。
我が家は決して裕福ではなかった。商店とはいえ、商店街の片隅にある小さな雑貨店で、生活はいつもぎりぎりだった。でも、この揚げパン耳だけは特別だった。どんな高級なお菓子よりも、どんな豪華なデザートよりも、私たちには何よりのご馳走だった。母の愛情がたっぷりと込められた、この世で一番贅沢な味だったのだ。
「うまいなあ」
弟の和也が満足そうにつぶやく。姉の幸子も小さな手でパンの耳の揚げパン耳をつまみながら、にこにこと笑っていた。母は私たちの様子を見て、疲れた顔に小さな笑みを浮かべた。
「明日はホットサンド作るから、また耳が余るわね」
母の言葉に、私たちは期待で胸を膨らませた。ホットサンドは特別な日の料理だった。運動会や遠足に行く時に母が作ってくれる。そして必ず余るパンの耳で、この揚げパン耳を作ってくれるのだった。近所の裕福な家の子供たちは、きっと高級なケーキやお菓子を食べているのだろう。でも、私たちには母の手作りの揚げパン耳があった。それで十分だった。いや、それ以上のものだった。
第二章 忙しい日々の中で
商店は朝の七時から夜の九時まで開いていた。父は主に仕入れと配達を担当し、母はレジと接客を受け持っていた。学校から帰ると、私たちは店の奥の居住スペースで宿題をし、時々店番を手伝った。
母はいつも忙しそうで、私たちとゆっくり話をする時間はほとんどなかった。それでも、夕食の支度をしながら「今日学校はどうだった?」と声をかけてくれたり、風邪を引いた時には夜中でも看病してくれた。
ある冬の夜、私が高熱を出して苦しんでいた時のことだった。母は一晩中、氷枕を取り替え、濡れタオルで額を拭いてくれた。朝方、熱が下がった時、母は疲れ切った顔で私の頭を優しく撫でながら言った。
「よかった、熱が下がったね。お母さん、本当に心配だったのよ」
その時、母の目に涙が浮かんでいるのを見た。普段は厳しい母が、こんなに心配してくれていたのかと思うと、胸が熱くなった。母は続けて言った。
「健一、あんたたち三人は、お母さんの宝物なのよ。商売が忙しくて、なかなか構ってあげられないけれど、いつでもあんたたちのことを一番に考えているからね」
まだ幼かった私には、その言葉の重みを完全に理解することはできなかった。でも、母の深い愛情だけは、確かに心に刻まれた。
ある日、私が学校でいじめられて泣きながら帰ってきた時のことだった。母は店の客を父に任せ、私を台所に連れて行った。いつものようにパンの耳を揚げながら、母は静かに話しかけた。
「健一、人生はパンの耳みたいなもんよ」
「え?」
「みんなパンの真ん中の白い部分ばかり欲しがる。でも耳だって、こうやって手をかければ立派なご馳走になるでしょ」
母は揚がった揚げパン耳に砂糖をかけながら続けた。
「お金持ちの家の子は、きっと高いお菓子をたくさん食べてるでしょうね。でもね、このお母さんの手作りの味は、どんなにお金を出しても買えないのよ。愛情の味っていうのは、そういうものなの」
母は私の頭を優しく撫でながら言った。
「あんたも、今は辛いかもしれないけど、きっと強くなれる。パンの耳みたいに、手をかければ光るものがあるのよ。我が家は貧しいかもしれないけれど、愛情だけは誰にも負けないからね」
その時の母の言葉は、幼い私には完全には理解できなかった。でも、温かい揚げパン耳を食べながら、母の深い愛情だけはしっかりと伝わってきた。後になって分かったのは、母は私たちに誇りを教えてくれていたということだった。貧しくても、愛情に満ちた家庭こそが本当の豊かさなのだと。
第三章 厳しさの裏にある愛
母は決して甘い人ではなかった。宿題をサボれば厳しく叱られたし、店の手伝いをいい加減にすれば容赦なく怒られた。友達の母親のように優しく抱きしめてくれることもほとんどなかった。
「甘やかしたって、この子たちのためにならない」
母は時々父にそう言っていた。私たちには厳しく接し、自分のことは自分でやるよう教え込んだ。洗濯物を畳むこと、食器を洗うこと、掃除をすること。小学生の私たちにも容赦なく家事を分担させた。
でも、母の愛情は別のところに現れていた。店が忙しくても、運動会の弁当は必ず手作りだった。そして、何より私たちが楽しみにしていたパンの耳の揚げパン耳を、どんなに疲れていても作ってくれた。
ある雨の日、姉の幸子が学校で転んで膝を怪我して帰ってきたことがあった。母は店を父に任せ、幸子を抱きしめて傷口を丁寧に消毒してくれた。
「痛かったでしょう。でももう大丈夫よ」
母は優しく幸子の髪を撫でながら、特別に揚げパン耳を作ってくれた。いつもより砂糖を多めにかけて、「痛いの痛いの飛んでいけ」と言いながら。その時の母の表情は、普段の厳しさとは全く違う、深い母性愛に満ちていた。
また、弟の和也が友達にいじめられて泣いて帰ってきた時も、母は黙って和也を膝の上に座らせ、温かい揚げパン耳を一緒に食べてくれた。言葉は少なかったが、母の大きな手が和也の背中をそっと撫でていた。
「お金はないけれど、この味だけは王様だって食べられないのよ」
母はよくそう言っていた。確かに、どんな高級レストランでも、この愛情の味は再現できないだろう。貧しさを恥じることはない、むしろ誇りに思うべきなのだと、母は食べ物を通して教えてくれていたのだ。
中学生になって反抗期を迎えた私は、母の厳しさに反発することが多くなった。ある日、激しい口論の末、私は家を飛び出した。夜遅く帰ってくると、台所にいつものように揚げパン耳が用意されていた。皿の横には小さなメモが置かれている。
「お疲れさま。明日も頑張ろうね」
母の字で書かれたその言葉を見て、私は涙があふれそうになった。母なりの愛情表現だったのだ。
第四章 時の流れと別れ
高校を卒業し、大学進学で家を離れることになった。母は特に何も言わなかったが、出発の朝、いつもより多めに揚げパン耳を作ってくれた。
「一人暮らしじゃ、こんなもの作る暇もないでしょうからね」
母はそう言いながら、タッパーに揚げパン耳を詰めてくれた。その時の母の背中が、いつもより小さく見えたのを覚えている。
大学生活、就職、結婚、子育て。人生の節目節目で実家に帰るたび、母は必ずパンの耳の揚げパン耳を作ってくれた。私の妻の美奈子も、このシンプルな味を気に入ってくれた。そして娘の由紀が生まれると、母にとっての初孫を溺愛し、いつものように手作りの揚げパン耳を食べさせてくれた。
「おばあちゃんの揚げパン耳は世界一よ」
由紀がそう言うと、母は珍しく照れたような表情を見せた。厳しかった母も、孫の前では少し優しくなっていた。
しかし、由紀が五歳の時、美奈子が交通事故で突然この世を去った。私は深い悲しみに暮れ、どうしていいか分からなくなった。そんな時、母は何も言わずに由紀を預かってくれた。
母の最期の思い出は、今でも鮮明に覚えている。母が倒れる一週間前のことだった。私は由紀を連れて実家を訪れていた。母は病気で体調が悪かったにも関わらず、台所に立って揚げパン耳を作ろうとしていた。
「お母さん、無理しなくていいから」
私がそう言うと、母は振り返って言った。
「健一、お前は一人で由紀ちゃんを育てて本当によく頑張っているね。美奈子さんもきっと天国で見守ってくれているよ」
母の目には涙が浮かんでいた。続けて母は言った。
「この子にとって、お父さんであるお前が倒れたら困るでしょう。だから、お母さんがいなくなっても、この揚げパン耳の作り方だけは忘れないでね。由紀ちゃんに、おばあちゃんの味を伝えてあげて」
その時、母は震える手で揚げパン耳を皿に盛りながら、もう一度言った。
「愛情は、こうやって食べ物に込めて伝えるものなのよ。美奈子さんもそうしてくれていたでしょう?今度は健一が、由紀ちゃんにその愛情を伝えてあげなさい。お金がなくても、これだけは誰にも負けない宝物なんだから」
母が倒れたのは、それから一週間後の夜だった。入院生活が続き、最後は自宅で静かに息を引き取った。母の最期を看取りながら、私は幼い頃のことを思い出していた。忙しい中でも私たちのために作ってくれた揚げパン耳の味、厳しい言葉の裏にあった深い愛情、そして最後に教えてくれた愛の伝え方。
第五章 受け継がれる味
母の葬儀の後、遺品を整理していると、古いレシピノートが出てきた。そこには母の字で「パン耳揚げパン耳」の作り方が丁寧に書かれていた。油の温度、砂糖の分量、揚げ時間まで細かく記されている。
「こんなに丁寧に書いてあったのね」
きっと母は、私たちが大人になっても、この味を忘れないでほしいと思っていたのだろう。
それから数年が経ち、由紀がソフトボールを始めた。応援に行く時には、ホットサンドを作るようになった。そして余ったパンの耳で、母から教わった揚げパン耳を作る。最初はうまくいかなかったが、何度も作るうちに母の味に近づいていった。
由紀は、この揚げパン耳が大好きだった。一人で皿を囲んで食べながら、時々こう言った。
「お父さん、お母さんもこの味、知ってるかな?」
その言葉を聞くたび、私は胸が締め付けられた。美奈子も母も、もうこの世にはいない。でも、この揚げパン耳の味には、二人の愛情が込められていることを、由紀にいつか話そうと思っていた。
「お父さん、これおばあちゃんが作ってくれたの?」
由紀がそう聞いてくる。私は母のことを話して聞かせた。厳しかったけれど愛情深かった祖母のこと、小さな商店を夫婦で切り盛りしていたこと、そして忙しい中でも私たちのために作ってくれたパンの耳の揚げパン耳のこと。そして、由紀の母である美奈子のことも。
「お母さんも、このパンの耳の揚げパン耳が好きだったんだよ。由紀が小さい時、一緒に食べたこともあるんだ」
由紀は静かに頷きながら、パンの耳の揚げパン耳を大切そうに食べていた。
第六章 今日という日
今日、仕事から帰ってきて、いつものようにパンの耳の揚げパン耳を作った。先週の日曜日、由紀のソフトボール応援のために作ったホットサンドの余りだった。油で揚げて砂糖をかけただけの簡単な料理。でも、一口食べた瞬間、母の記憶が鮮やかによみがえった。
母の厳しい横顔、疲れた背中、そして私たちを見つめる優しい眼差し。商店の奥の小さな台所で、夕暮れ時に作ってくれた揚げパン耳の味。あの頃は気づかなかった母の深い愛情が、今になってよく分かる。
決して甘やかしてくれる母ではなかった。でも、私たちが本当に困った時、悲しい時、そっと寄り添ってくれた。言葉ではなく、行動で愛情を示してくれた。パンの耳の揚げパン耳は、母なりの愛情表現だったのだ。そしてそれは、どんな高級なお菓子よりも、心に響く特別な味だった。
「お父さん、また作って」
由紀がそう言いながら、最後の一切れを口に入れる。私は微笑みながら答えた。
「ああ、またホットサンド作る時にな」
母から受け継いだこの味を、私は由紀に、そしてきっと将来の孫たちにも伝えていくだろう。簡単な料理だけれど、そこには三世代にわたる愛情が詰まっている。美奈子の分も込めて、この愛情を次の世代に繋いでいきたい。
台所の窓から夕日が差し込み、空の皿がオレンジ色に輝いている。母が作ってくれたあの日々のように、今日もまた父と娘の笑い声が響いている。
パンの耳のパンの耳の揚げパン耳。それは私たち家族にとって、ただのおやつではない。母の愛情の結晶であり、美奈子の思い出であり、家族の絆を繋ぐ大切な宝物なのだ。
母は厳しい人だったけれど、誰よりも私たちを愛してくれていた。そして最後に、愛情の伝え方を教えてくれた。美奈子も短い間だったが、由紀に深い愛情を注いでくれた。そのことを、今、心から理解している。そして感謝している。
ありがとう、お母さん。ありがとう、美奈子。あなたたちの愛情は、このパンの耳の揚げパン耳の味と共に、永遠に私たちの心に残り続けるから。