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その二

「見て分からない? ここは監獄よ、監獄。それもヴェノンの第三監獄」


 短いようで長かった無意味にすら思えるやり取りを終え、ようやく一番聞きたかった『ここは何処だ』という質問に対して、彼女は素っ気なくそう答えた。

『ヴェノンの第三監獄』

 …………らしい。つまり何処なんだ。

 俺は肩透かしを食らった気分だった。

 ここは何処だ。

 そんな感じに尋ねた俺。

 俺としてはもっと広義的な意味での『何処』を知りたかったのだが、良く考えればそんな当たり前のことを尋ねられているとは誰も思わないのだろう。

 それは日本人が日本にいて『ここは何処ですか?』と尋ねられるのと同じことで、誰だってまずは地名や場所を答えるだろうし、そこで『日本です』と答える奴はもちろんのこと、ましてや『地球です』なんて答える奴は間違いなく馬鹿にしている。

 つまりこいつは、少なくとも俺を宇宙人や異世界人の類だとは認識してないってことだ。


「……」


 聞き方を間違えたか……。

 俺は小さくため息を吐いて、しかし尋ね直すことは後回しにした。ここが本当に『監獄』だとわかった時点で、最低限の目標は既に達成されていた。

 おかげ様でここが『地球』ではない別の星、もしくは異世界なのがわかってしまったからだ。

 何故か? 理由は簡単だ。

 ここは見た通り、そして聞いた通り、どう見ても牢屋の中だった。

 そして目の前には、『魔女』の格好をした女。

 もしここが地球だったら、此処が演劇か何かのセットでもない限り、この二つの取り合わせは絶対にあり得ない。

 俺の常識に、囚人生活を魔女のコスプレで過ごせる国なんて存在しない。


「……」


 最初はそれこそ、舞台のセットか何かだと思っていた。

 石を組んで造っただけの、学校の教室より丁度一回りぐらい小さい正方形の部屋。家具と呼べるものは何一つなく、ただぽつんとベッドが置いてあるだけの殺風景な部屋。部屋の明かりは壁に等間隔に設置してあるランプだけで、そんな頼りない光の中でも重々しい輝きを放つ鉄格子。

 まさに、『牢屋』。

 カビのしつこい臭いや細部まで凝られたディティール、見せ掛けではない壁や天井のリアルな風化、質感、どれをとっても完膚無きまでに俺の『ここは地球で実はこの牢屋は舞台のセット』説を粉微塵にしてくれた。

 どうやら俺は、別次元の世界へやって来てしまったらしい。

 俺の知っている『牢屋』より一世紀以上は古い造りをしたこの『監獄』に、魔女の格好をした少女。

 そして、そこに現われた俺。

 少女のインパクトが強過ぎてこちらに今まで気が回らなかったが、部屋を出たら牢屋の中だなんてのはある意味少女よりインパクトがある。

 これがもし異世界トリップした主人公の話だったら、活躍する前に公開処刑されそうな展開だ。そしてその主人公は、多分俺。


「……って、おいおい!冗談じゃねえぞ!」


 俺は自分の恐ろしい考えにぎょっとして、思わず日本語で叫んだ。

 死ぬ! 俺殺される!


「おい! アンジェリカ!」


 俺達は死ぬのか?  そう言い掛けた所で俺は口を閉じた。

 しまった、アンジェリカじゃなかった。

 俺は素早く距離をとって身構え、恐る恐る少女を見る。

 が、


「…………?」


 意外なことに、少女は怒っていなかった。代わりにこちらを、凄い勢いで凝視していた。

 まるで、俺の言った日本語が何一つ理解できないとでも言うような、怪訝そうな表情で。

 俺も同じく、怪訝な顔になる。と同時に、何か違和感を感じた。何かとてつもなく重大な何かを忘れている、そんな違和感を…………。

 俺が戸惑っていると、彼女は鬱陶しそうにこんなことを言った。

 そしてその一言は、俺の心臓に巨大な風穴を空けた。


「その言語はわからない。今まで通り────ステリア語で喋って」


「────!」


 …………。

 俺は思わずよろめいて、壁にもたれかかった。


「……俺は」


 大馬鹿野郎だ。 

 全部解った。頭で渦を巻いていた紐が、今全て解けた気分だった。

 何処? 何処だって? …………馬鹿か、俺は。ずっと待ってたんだろうが、俺は!


「……」


 傑作だ。

 今度は笑いが込み上げてきた。あんまりおかしくて、笑いが止まらなくなった。

 本当、傑作だ。

 ……どうやら俺は、最低の大馬鹿野郎だったらしい。

 こんなにも近くに答えがあったのに、俺は気付かなかった。

 キリカとの大切な絆に────全く気付けなかった。

 俺は、喋ってなかった。

 俺はここに来てから一言も、日本語なんか発してなかった。

 俺はずっと────


「ステリア語を」

『ステリア語────これは、私の世界での共通言語だ』




   ***



 キリカはいつも、僕の知らないことばかり知っていた。


『私の世界? それってくりなんとかって世界のことか?』

『…………クリトピエムだ。いい加減覚えろ』

『ふざけろ。僕は幼稚園児だ』


 ある、平凡な日のこと。僕もキリカも、幼稚園の中でお母さんを待っていた。他の子は皆帰っちゃったから、残ったのは僕達だけだった。だから僕たちはいつも通り外を眺めながら、『向こうの世界』の話をしていた。

 オレンジ色が空一杯に拡がっている。お母さんが帰って来るには、まだ時間が掛かりそうだった。


『それでもお前は、神童なんだろう?』


 キリカはにやりと、意地悪く笑う。悪戯に、僕の顔を覗き込む。キリカは調子に乗ると、すぐこういう顔をする。胸が苦しくなるから顔は近付けないでって、いつも言ってるのに。


『わかってて言ってるんだろ。僕はキリカほどじゃない』

『当たり前だ。私は魔王だからな』


 そう言うとキリカは立ち上がり、仁王立ち。長い髪を大人みたいに掻き上げて、自信満々に笑った。

 僕は少し、見とれてしまう。でも恥ずかしくなって、すぐに目を逸す。

 絶対にキリカには言わないけど、僕はその笑顔が大好きだった。

 自信満々なキリカが、僕は好きだった。


『……そ、それでそのステリア語だっけ? それが一体どうしたんだよ?』


 僕が尋ねると、キリカは即答した。


『覚えろ』

『…………!』


 僕は大きくのけ反った。そしてそのまま、後ろに勢いよく転がった。

 急にしゃがんで顔を近付けてくるから、僕は驚いてしまった。

 さっきまで立って笑っていたはずなのに、何でそんな良く動くんだろう?

 僕は急いで座り直すと、何事もなかったかのように振る舞った。本当は思い切り頭を打って、少し泣きそうだったけど。


『覚えろって…………、ステリア語を?』

『そう、ステリア語を』


 キリカは真面目な顔をして、僕に顔を近付けたままだった。大きな黒い瞳の中に、僕が落ち着きなさそうに映ってる。僕は床に頭をぶつけた仕返しに、ふざけた答えを返してみた。


『僕は、ひらがなを覚えるだけで精一杯だ』

『嘘を吐け』


 どすっ


『…………いっ!』


 僕は今度こそ泣きそうになる。ひどい。

 殴られた。お腹を手加減なしで殴られた。普通の幼稚園児だったら割りと普通のことなのに、勝手に決め付けられた。

 でも実際、嘘なんだけど。


『あんな当て字としか思えない自分の名前をすらすらと漢字で書けるお前が、ひらがな程度に苦戦するはずないだろう』


 僕は黙る。

 もっともだった。僕の名前は先生だって最初は読めなかったぐらい、難しい漢字だった。それを当たり前に書ける僕が、ひらがなを覚えていないわけがなかった。自慢じゃないけど僕は、そこら辺の幼稚園児とは違う。

 それでもキリカには、何一つ敵わないけど。

 僕は後悔する。これは全く、仕返しになっていなかった。


『……とにかく、私はお前にステリア語を覚えて欲しい。この世界の誰一人として、この言語を知らないのは別に構わん。ただ、お前には知って欲しい。お前にだけは────覚えておいて欲しい』


 僕がお腹を押さえながらキリカを見ると、キリカは何だか寂しそうな顔をしていた。

 哀しい色に染まった夕焼けが、僕にそう見せただけかも知れないけど。なんて。

 それが僕の考え過ぎじゃないことは、次の台詞ではっきりした。


『頼む。私の声を────聞いてくれ』


 私の、本当の声を。

 僕の心が、どくんと脈打った。

 頼むって……僕に? キリカが?

 僕の手のひらが、じわりと汗で滲んだ。

 ずっと一緒だったのに、初めてのことだった。キリカが僕に頼みごとをしたのは、これが生まれて初めてのことだった。

 僕は初めて、キリカの暗い部分を見た気がした。


「……」


 キリカはやっぱり、寂しい瞳で僕を見つめていた。 

 僕はただ黙って、キリカを見つめ返す。

 僕は恨んだ。前世を忘れさせるのが仕事なのに、それをしなかった神様を恨んだ。

 やり残したことがある。帰らなくてはならない。キリカはいつも悩んでる。

 キリカはこのままじゃ多分永遠に、この世界で幸せになれない。


『僕がずっと側にいてやるから、そんな顔するなよ────』


 僕は言う。

 何だか、遠い気がして。僕とキリカの距離が、本当はずっと遠い気がして。

 僕はほどんど、僕に向かって言い聞かせていた。


『心配しなくても、僕は聞いてやるつもりだ。この世界の人間になりきったキリカじゃなくて、本当のキリカの声を、キリカ魔王の声を聞いてやるから。だから、だから……そんな顔するなよ。────僕まで悲しくなる』


 キリカが辛いなら、僕がクリトピエムの人間になりきってやる。

 こんな恥ずかしいことは口に出さなかったけど、僕は決めた。

 僕を孤独から救ってくれたキリカを、今度は僕が救ってみせると。

 せめて僕一人だけでも、彼女の故郷を信じてやると。

 それを聞いてキリカはしばらく黙ってしまうと、やがて豪快に笑い出した。

 僕は安心する。

 キリカはやっぱり、笑顔が一番だった。 


『…………ふふ、そうか! なら安心した。私は嬉しくて思わずむせび泣いてしまいそうだ。ふふ、よし! だったら今日から早速レッスンだ。自分が日本語とステリア語、一体どっちを喋っているかわからなくなるぐらい鍛えてやるから覚悟しておけ』

『え? 今日から始めるのか?』


 当たり前だと言って、キリカは僕の隣りにちょこんと座った。そして僕に右手を差し出してくる。

 握手をしろ、ということらしい。

 僕が渋々、真っ白でふにふにな柔らかいキリカの手を握ると、キリカは今度、左手の人差し指を口に押し当てて言った。

 自分の言葉を噛み締めるみたいに、ゆっくりとこんなことを吐き出した。

 それはまるで、魔法の言葉。

 二人を結びつける、オレンジ色の魔法。

 ────良いか? ユウシャ。

 キリカは言う。

 ────これはこの世界で二人だけの、


『大切な絆だからな────』


 と。

 僕が初めて、キリカの魔法に掛かった瞬間だった。

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