絶対に俺の名前を呼んでくれないクラスメイトの話
「鈴木くん、ちょっと良いかしら」
放課後。
ホームルームも終わり、下校しようとしていた俺に、クラスメイトの三ノ輪綾乃さんが話しかけてきた。
「どうしたんだい、三ノ輪さん」
「実は先生から、みんなの分の数学のノートを集めるよう頼まれたんだけどね」
「もしかしてまだ出してないのって、俺だけ? ……はい。数学のノート」
俺は机の中から数学のノートを取り出し、三ノ輪さんに渡す。
三ノ輪さんは「ありがとう」と言いながら受け取るも、一向に立ち去ろうとしなかった。
「どうしたの? 他に何か用事でもあった?」
「用事っていうか、お願いっていうか……。数学のノートを運ぶの、手伝ってくれると嬉しいなーって」
……成る程、そういうことか。
確かに40人分のノートを運ぶとなると、ひと苦労だ。
ましてや俺たちの教室は3階の東側。1階西側にある職員室とは、最も距離が遠い。
「いいよ。半分持てば良いのかな?」
「うん! ありがとう、鈴木くん!」
どこか頬を赤ながら、満面の笑みでお礼を言う三ノ輪さん。
だけどね、三ノ輪さん。君に一つだけ、どうしても言いたいことがあるんだ。
俺の名前は、藤原賢太。「鈴木」って苗字じゃないんだよね……。
◇
「高橋くん、ちょっと良いかしら?」
別の日の放課後。
明らかに俺の方を見ながら、三ノ輪さんは声をかけてきた。
このクラスに、「高橋くん」はいない。彼女の視線やこれまでの経験則から考えるに、ここで言う「高橋くん」とは間違いなく俺のことだろう。
だから俺は、名前が違うことを特に指摘することもせず、「どうしたの?」と応えた。
「実は今度、知り合いの男の子が誕生日なのよね。いつもお世話になってるし、何かプレゼント出来たらと思っているんだけど……男の子が何を貰ったら嬉しいのか、あまりわからなくて」
「確かに。異性へのプレゼントって、凄く悩むよね」
「……え? 女の子にプレゼントを贈ったことあるの?」
共感したのに、どういうわけか三ノ輪さんから若干の憤りとショックが感じられた。
因みに女の子に何かプレゼントした経験はない。
「あくまで一般論だよ。……その異性の誕生日って、いつ何だい?」
「……来週よ」
来週か。
余談だが、俺の誕生日も来週だったりする。世の中狭いというか、奇妙な偶然もあるものだ。
「来週なら、日持ちするお菓子とかが無難かな」
「それは私も考えたんだけどね。でも出来たら、形の残るものが良いんだよね。我が儘かもしれないけど、彼にそのプレゼントを使って貰いたい」
異性にプレゼントと言っていた時点で薄々勘付いてはいたけれど、やはり三ノ輪さんは好きな人に贈り物をするつもりのようだ。
自分の贈ったものを、好きな人が使ってくれている。こんなにも嬉しいことは、他にないだろう。
「我が儘じゃないと思うよ。折角プレゼントするなら、大事に使って欲しいよね。……わかった! どれくらい参考になるかわからないけど、俺も一緒に考えるよ!」
◇
ということで、俺と三ノ輪さんは一緒に学校近くのショッピングモールに足を運んだ。
放課後、制服を着た男女二人がショッピングモールで買い物なんて……なんだかデートみたいじゃないだろうか。
……まぁ、買い物の目的が三ノ輪さんの好きな人へのプレゼントなわけだし、その時点でデートにはなり得ないんだけどね。
「高橋くんは、どういうプレゼントを貰ったら嬉しい?」
「そうだなぁ……。考えるべきは、プレゼントを渡したい相手がどういう人間かじゃないかな。例えば運動好きだったら、キャップとかリストバンドなんか良いと思うし、読書好きならブックカバーなんて喜ばれると思う」
無難なものを渡しても喜ばれるけど、やっぱり大切なのは、どれだけその人のことを考えて選んだかだと思う。
恐らく100点満点の回答を示した筈なのに、三ノ輪さんはあからさまに不機嫌そうな顔をしていた。
「三ノ輪さん?」
「運動好きとか読書好きとかじゃなくて、君が好きなものが何なのかを聞きたいのよ」
「……どうして俺の好きなものを? プレゼント選びに関係あるのかい?」
「あるの! 大ありなの! だからさっさと答えなさい!」
なんだか理不尽に怒られた気がする。
もしかしてだけど、三ノ輪さんの好きな人って、俺と似たタイプなのかな? だからプレゼント選びでも、俺に協力を求めてきたとか?
それなら、色々合点がいくものだ。
「夏場だし、水筒なんか嬉しいかも。あくまで個人的な意見だけどね」
「わかったわ。それなら、水筒を見に行きましょう」
ひと口に水筒と言っても、様々な種類がある。
どこのメーカーの、どんなデザインの、何色の水筒にするのか? それらに関しても俺に一任されていたので、少々ハードルが高かった。
手頃な値段の黒い水筒を選ぶと、「本当に黒が好きなの?」と詰められるし。結局青色の、スポーティーなデザインの水筒を購入することになった。
100パーセント俺の好みである。
会計が終わり、店の外に出たところで、ふと三ノ輪さんが尋ねてきた。
「そういえば、喉乾かない?」
「言われてみれば。帰る前に、飲み物でも買おうか」
「だったら、高橋くんは座って休んでて。付き合ってくれたお礼に、ジュースくらい奢らせてよ」
お礼と言われたら、断ることも出来まい。
素直に彼女の厚意に甘えることにした。
三ノ輪さんが自販機に向かったところで、俺は失態に気が付く。
……しまった。
俺が炭酸飲めないこと、伝え忘れたな。
戻ってきた三ノ輪さんは、炭酸とりんごジュースを1本ずつ買ってきた。
申し訳ないけど、ここはりんごジュースの方を選ばせて貰おう。
そう思って、俺が口を開くと、
「はい、高橋くんの分」
俺が言う前に、三ノ輪さんはりんごジュースを差し出してきた。
「……」
「……あれ? もしかして、りんごジュース嫌いだった?」
「そんなことはないけど……俺、炭酸飲めないって三ノ輪さんに言ったことあったっけ?」
「うん。1年くらい前に、教えて貰ったわよ」
前に同じようにジュースを買って貰うシチュエーションがあったのか、或いはちょっとした雑談の中で教えたのかわからないけど、よくもまぁ覚えていてくれたものだ。
欲を言えば、炭酸が飲めないことを覚えていてくれたのなら、俺の名前もきちんと覚えていて欲しい。
「プレゼント、喜んで貰えると良いね」
「君は、どう思う? 喜んでくれると思う?」
「誕生日に女の子からプレゼントを貰って、嬉しくない男はいないよ」
「そっか。なら、きっと大丈夫よ」
嬉しそうに笑う三ノ輪さんに、俺は心の中で「頑張れ」とエールを送るのだった。
◇
1週間後、俺の誕生日がやって来た。
俺の誕生日ということは、三ノ輪さんの好きな人の誕生日も近いということで。
三ノ輪さん、きちんとプレゼントをあげられたのかな? 相手には喜んで貰えたのかな?
ひょっとすると、関係性は順調に進み、既に交際にまで発展していたりして。
登校中、そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか学校に到着する。
下駄箱を開けると……中に見たことのある小包があった。
この包装は、ショッピングモールで使われているやつだ。なんなら、三ノ輪さんが水筒を買った時にラッピングして貰ったやつだ。
小包のそばには、手紙が置かれている。
まさかなと思いながら、手紙を読み始めると、
『藤原賢太くん
面と向かって渡すのは恥ずかしいので、手紙をしたためました。
お誕生日おめでとう。あと、ずっと前から好きでした。
三ノ輪綾乃』
……やっぱり。
これは三ノ輪さんが、好きな人の為に選んだ水筒だ。
そしてその好きな人とは、他ならぬ俺なのであって。
……ていうか、俺の名前知ってるじゃん。
いつもは恥ずかしくて呼べないだけとか……なんていうか、素直じゃない三ノ輪さんらしい。
教室に入った俺は、彼女の姿を見つけるなり「おはよう、三ノ輪さん」と声をかけた。
三ノ輪さんもまた、「おはよう、藤原くん」と、ちゃんと俺の名前を呼んで、挨拶を返すのだった。