35 安らぎの夜の先に
*タイミング的には本編の終わりすぐ後から始まっています*
月明かりの照らす道を、二人手を繋いで歩く。
暗いのに明るく、どれほど光の向こう側に夜の闇を感じても孤独ではなく、恐れもなかった。
長い間、時間をかけて少しずつすり減り失われてきた感情の容れ物に、いままたゆっくりと優しく注がれるものがあるのを感じていた。
胸の奥に、それはたしかな温もりとして存在している。
「夜の空気が気持ちいいですね」
チェリーは、肩を並べて歩くバーナードに向けてぽつりと呟いた。
賑やかに二人で話しているのも楽しいが、ふとした瞬間に訪れる沈黙もまた好ましい。
何者にも脅かされず、安らぎだけがある時間。
時々吹く風は心地よく頬をくすぐり、草木と花の混じり合ったアストン家の庭の匂いで胸がいっぱいになる。
(家族の年長者として最後にお母さんが死んでしまって、私はノエルをひとりで「守る側」になった。アストン家に来てからはヘンリエット様という家長がいたけれど、まずは自分が頑張らなければとずっと思っていたから……)
頼ってはいけないと、言われたことはない。むしろアストン家の面々は、チェリーが「助けて」と言えば、いくらでも知恵を絞ってくれただろう。
だが、チェリーにとってこの家の家族は頼るべき相手というよりも「そこにいてくれるだけで良い」存在だった。大切な人はもう誰もいなくならないで欲しい、そのために自分はできることをする。そこに苦など感じる隙もない。
ただ、どうしようもなく疲れることはあった。
言葉も出ないほど体が重い夜、誰かに寄りかかってみたいと漠然と願った。
思い浮かべるのは、一度も会ったことがなく顔も知らない旦那様。
もしその人が、本当に愛する人として横にいてくれれば、取るに足らない存在としていつも不安に押し潰れそうになっている自分でも、受け入れてくれるのだろうか……。
心が弱く脆くなったときに、声に出さずに名前を呼び続けていた男性。いまは、現実に自分の隣にいてくれる。
バーナードさん、と声に出して名前を呼ぶこともできる。
一人で過ごしてきた夜を思い、少しだけしんみりしながらチェリーは隣に立つ相手に目を向けた。
視線に気づいたバーナードが、見下ろしてくる。
目が合うと、星空を背にふわりと穏やかに微笑みかけてきた。
「もう少し、その辺を歩いてみようか。こんなに静かな夜は俺も久しぶりだ。家に帰って来てから、いつも夜は静かだったけどね。今ほど、この時間がこの先ずっと続くんだと実感することはなかった……」
あまりにも声が優しくて、胸が締め付けられるように痛む。
(バーナードさんは自分が通り抜けてきた場所や時間、そこで目にした光景を自分から話すことはない。でも、目の動きとか話し方にときどき滲む。未来を感じられず、心が休まらないまま泥のように眠った夜があったであろうことが……)
思わず繋いだ手に力を込めて、チェリーもまた笑いかけた。
いまは自分が隣にいて、夜は恐ろしいものではなく、新しい朝は必ず来るのだと触れ合った指先から伝えたい。
「なんと、この時間は続くんですよ。明日も明後日も、この先ずっと。来年、再来年、十年後。そのときは、そうですね。たとえば家族の形は変わっているかもしれませんけど……」
「家族の形? 子どもが生まれたりしているだろうってこと?」
楽しげに聞き返されて、チェリーは真剣に答えた。
「アンドリューズ一家は世代交代が進むでしょうね」
「ああ……。卵よく生まれているからね。孵るまで待って、育っても食べなければそういうこともあるかな……」
なぜか、バーナードの目が遠くへと向けられた。唇から「またあいつの影が」という呟きがもれたが、チェリーとしてはこの件に関してはまだまだ言いたいことがあるため、力説をした。
「卵は美味しいですし、料理にもいろいろ使えます。若鶏は本当の贅沢ですね。もちろん、年を取ってからだって工夫次第で美味しい料理になります。アストン家だけで消費せず、増やして売るのもいいでしょう。チキンが嫌いなひとはいません。ああ、明日はローストチキンもいいかもしれませんね」
「贅沢だなぁ。夕食は食べているのに、なんだかお腹が空いてきた」
ざわっと風に揺れた梢を見上げて、バーナードがやけにしみじみと言う。
チェリーは「でしたら!」とハキハキと申し出た。
「お夜食を用意しましょうか。さすがに今から鶏部屋に忍び込むのも気が引けますので、チキンは難しいですが」
旦那様のお役に立てるのであれば! と目を輝かせたチェリーを前に、バーナードは慌てたように「本気でやらなくていいよ!?」と早口にまくしたてた。
「アンドリューズたちも疲れているだろうからゆっくり寝させてあげよう!? なんかこう……かわいそうだよ。せっかくこんな安らかな夜に家族揃ってゆっくり寝ているのに、同居人に子どもをさらわれて食べられるなんて。うっ、惨い。美味しそうだと思ってしまったことにも罪悪感が」
そのまま胸を片手で押さえて、悲しげに目を伏せてしまう。チェリーはバーナードの複雑な心中を思い、ここは自分がしっかりするところだと気持ちを新たにした。
「バーナードさん、ご安心ください。そのへんはですね、私もすっかり慣れましたので。すべて私にお任せ頂いて大丈夫です」
「……う、うん。俺の奥さんが頼もしい……。でも今はもう夜だからね。そんなに意気込んで重い夜食作ろうなんて思わなくていいよ」
「軽いほうが?」
「なに、いまの『それならそれで考えがありますが?』みたいな顔。大丈夫だよ、明日の朝を君と一緒に迎えて、楽しく食事できればそれで満点です。焦って夜にイベントを全部詰め込まなくても、新しい朝はくるのだから」
言いながら、バーナードは繋いでいない方の手を伸ばしてチェリーを抱きしめてきた。
「……たしかに、世代交代する前に食べ尽くすわけにはいきませんからね」
「食べるときがきたら、骨も無駄にしない。羽は枕にしようか」
抱きしめ合いながら、二人で鶏の行く末に思いを馳せる。少しの時間を置いて、バーナードがチェリーの顔を覗き込んだ。
「それでね、今晩のところは……」
そのとき、さほど遠くないところで馬のいななき声がした。
ハッとバーナードが顔を上げて耳をすます。
うわっ、という男の声で悲鳴が上がり、すぐにどさりと鈍い物音が続いた。
チェリーと触れ合っていたバーナードの体が緊張して、身にまとう空気ががらりと変わった。
「玄関でしょうか」
「チェリーさんは、裏口から屋敷に入って戸締まりをして。俺が見てくる」
小声で指示をして、バーナードは物陰に向かう。その姿を不安な気持ちで見送り、チェリーもぐずぐずしてはいられないと裏口へ向かって走り出した。
*2026.4.4~コミカライズ連載スタート*
漫画家:伊南ミナト先生
サイト内応援コメントやSNSでの感想で盛り上げていただけると嬉しいです!
(@arisawamahiro 検索苦手につき、メンション歓迎です!)
カドコミ
https://comic-walker.com/detail/KC_008519_S
ニコニコ
https://manga.nicovideo.jp/comic/76987




