22 手紙の置所
さてどうしたものか、というのが残されたバーナードの正直な所感である。
なにしろ、赤毛の若奥様は、可愛い。
(…………俺が彼女に何かをすると、母上さまやキャリーはそこまで考えたわけではないと思うが)
まずはゆっくり話をしなさい、という圧をひしひしと感じている。何かをするにしても、それからだというのは、バーナードもよくわかっているつもりだった。「夫婦」として重ねた時間は、まだあまりにも少ない。
二人とも、茶を飲んだりポットを持ったまま窓の外を見たりして、家族の配慮に関しては素知らぬふりをしているが、チェリーがひどく緊張しているのは、空気を通してしっかり伝わってくる。
会話を切り出すのは自分からだろうと、バーナードはそこで声をかけた。
「市場で会ったとき、気づいたきっかけは『手紙』?」
立ったまま、カップに自分の分の茶を注いでいたチェリーは、ひゃう、と変な声を上げた。手元が狂ったらしい。「大丈夫?」と尋ねると、慌てた様子で「大丈夫です、大丈夫大丈夫」と何度も繰り返された。
そのまま、隣の席に戻ってくることはなく、ポットをテーブルに置く。月光の差す窓へと目を向けながら「そうですね」と、かすれ声で呟き、バーナードが問いかけた内容を認めた。
バーナードとしては、この流れで「離婚の話はどこから出てきた?」と聞くつもりであった。だが、チェリーがバーナードと目を合わせぬまま言葉を続けたので、黙って耳を傾けることにした。
「手紙、大切に持っていてくださったみたいで、ありがとうございます。私は、自分あてに手紙を頂いたの、はじめてなんです。お返事も。頂いた手紙は、部屋の引き出しにしまって、大切にとってあります。私も、何度も読み直しました」
完全なる不意打ちを受けた。
あ、そうなんだ。という間抜けな呟きすら、とっさに出なかった。
(送った。俺が送った内容に返事がきた以上、彼女の手元にも俺の手紙は届いている。それはそうだ)
その手紙がどうなったかなんて、少しも考えていなかったのだ。
まさかこのタイミングで、突きつけられるとは。
戦場を離れたとはいえ、死角から撃たれることを何一つ予期していなかったなど、気を抜きすぎではないか。
絶句して、額を手でおさえたバーナードをかえりみることなく、チェリーは明後日の方向を見たまま「ありがとうございました」ともう一度言った。
バーナード、沈没。
音もなく、テーブルに倒れ伏した。
沈黙が続いたせいだろうか、チェリーが独り言を口にするのが聞こえた。
「寝てしまったわ。お疲れなのね」
気配が近づいてくる。
バーナードは顔を上げた。
「起きてる。寝てはいない」
きゃっ、と悲鳴を上げてチェリーは足を止める。二人の間の距離がまだあることに安堵しながら、バーナードはカップを手にして傾けた。空だった。
飲んだふりだけをして、テーブルにカップを戻した。
「ろくな内容の手紙を書けなかった。すまない」
「そんなことはないですよ。私、そこまで字が得意ではないので、十分でした。長々と書かれるよりも、何を言いたいのかよくわかりました。ずっと大切にします」
大切に? バーナードは真顔になって「もう用済みだ」と告げる。いささか厳しい声になってしまったせいか、チェリーは顔をこわばらせたが、気丈にもまっすぐ目を見て尋ねてきた。
「用が済んだ手紙は、処分するものなんですか? 手元に取っておいてはいけませんか?」
澄んだ目をしているな、と思った。赤毛の若奥様は、とても可愛い。幾度も思い描いた想像以上に。
こんなに近くで見つめ合っていて、自分は大丈夫だろうか? と落ち着かない気分になりながらも、言うべきことは言った。
「本人がここにいるんだ。もう必要ない」
「では、私の手紙も、バーナードさんは捨てますか?」
またしても、声が出なかった。二度目の絶句だった。
(なんてことを言うんだ。捨てられるわけがないだろう。あれが俺にとって、どれだけ大切なものか、君はわかっていないようだが)
差出人本人に、大上段に構えて言う内容ではない。同じことを言い返されるのも、言う前からしてすでに明らかだ。
さらに言えば、彼女がもう少し上手であれば「どれだけ大切なものかわかっていないって、どういう意味ですか?」と詰められるおそれもある。
聞かれたら答える心づもりはある。生きるよすがだった、と。
バーナードは、戦場での癖で、胸ポケットの辺りに手をあてた。ジャケットは身につけておらず、馴染んだ手応えはそこになかった。布越しに指先に伝わったのは、シャツのポケットに収めた小さな金属の感触だった。そこにいまあるのは、肌身離さず身につけていた手紙ではなく、市場で入手したばかりの指輪だった。
これ以上彼女から攻めこまれる前に、攻勢に転じるべきだと決断を下した。
「手紙は捨てない。君と同じように、これからは引き出しにでも入れておく」
質問に答える形で、自分の思いを正直に告げてから、チェリーにわかるように胸ポケットを手でぽんと軽く叩いた。
「今まではずっとここにあって、銃弾の直撃を防いでいた。その役目を終えた」
「手紙が、銃弾を防ぐんですか?」
「そう」
飲み込めていない様子のチェリーに、真面目くさった調子で答えて、ポケットの中から指輪を取り出す。
チェリーを見つめて、ひといきに告げた。
「いまはこれが入っている。市場で買い求めたもので、自分で選べなくて、親切なひとに選んでもらった指輪だ。渡そうと思っていた相手が目の前にいるんだけど、いま渡しても構わないかな?」