21 ひとつ屋根の下にいる
食堂まで料理運ぶよ? と声をかけられて、チェリーが「ひえっ!?」と焦っているうちに、バーナードがさっさと鍋を持って行ってしまった。
「止める間もない……」
全部準備ができてから起こそうとしていたのに、気がついたら裏口から入り込んできていて、作業台をのぞきこみ「どれ運ぶ? これかな?」なんて言っていたのだ。
マリアだけは「奥様方と一緒のテーブルでなんて、とんでもない」といつもキッチンで食事をすませているが、他の四人は一緒に食卓を囲んでいる。この日は、バーナードを加えての五人。
あっという間に食堂の長テーブルに配膳が済んで、晩餐となる。
「かぼちゃのクレープ美味しい……天才……!」
キャロライナが、かぼちゃと卵と少しの小麦粉で焼いたクレープを口にして、「レモンカードが合う」と早速いつものように褒め称えていた。パンを焼く小麦が足りないので、とにかく毎日何かで補ってかさ増し料理を考案しているのである。今日は新作を出したのだが、気に入ってくれた様子にチェリーはほっとした。
口に合って良かった、とキャロライナに言いながら、ちらっと隣に座ったバーナードの様子をうかがう。
順番に料理を出すといった貴族的な作法は始めから諦めていて、全部一度に並べてしまっているが、行儀よくトマトのスープを食べていた。チェリーの視線に気づくと、表情をほころばせて笑いかけてくる。
「美味しい。新鮮な野菜を口にすることが、あまりなかったから。普段は缶詰とかばかりで……」
言いかけて、笑みを浮かべたまま口をつぐむ。「材料が少なくても、工夫してこんなに美味しくできるんだね」と話を終えて、もうひとくち。
(あまり、戦場の話をしたくないみたい。思い出したくないことが多いのかも)
興味本位で触れてはいけない、と了解する。その話題に行き着くと、やわらかく拒絶される気配があるのは、思い過ごしではないはず。
キャロライナは晩餐の間ずっと、何を食べても「兄様、美味しいでしょう?」とバーナードにコメントを求め続けた。そのうちヘンリエットが「いい加減にしなさい」と怒り出すのではとチェリーはハラハラしていたが、今日のところは見逃すようだった。
デザートは、糖蜜パイ。「贅沢しちゃいましたが、今日は良い日なので」と言い訳しながら切り分けて出すと、ノエルは大喜びで、大人たちも笑顔になった。
「子どもの頃、あなたこれが大好きだったわね」
食事中にあまりしゃべらないヘンリエットが、ふとバーナードに話しかける。
「いまでもずっと好きですよ。帰ってきて早々に食べられるなんて、感激しています」
あっという間に食べてしまったバーナードに、チェリーは「まだありますよ」と声をかけた。
そこで、ハッと息を呑んだ。
「バーナードさん、『あれ』ってなんですか!? バーナードさんの好物!」
きょとんとしたバーナードであったが、少し考える素振りをして、それがいつの会話の続きかに思い当たった顔をした。「ああ」と相槌を打ちながらふきだして、そのまま笑い出す。「どうしたの? 兄様?」とキャロライナが不思議そうにするが、バーナードは「ごめん、待って」と断りを入れて、ひとしきり笑ってからチェリーに顔を向けた。
「ミンスパイもミートパイも『あれ』も、もしかして、俺?」
翠の瞳は、きらきらと輝いている。くもりのないそのまなざしに見つめられて、目が合っただけで息が止まりそうになった。どの時点で、チェリーがバーナードの素性に思い当たっていたか、正確に悟られたのだと直感した。
彼はそれを怒るのではなく、単純に面白がっているようだった。
「せっかく、なので、お好きなものを、つ、作りたいと思いまして」
噛んだ。声が裏返った。なんとか言い終えたときには、頬が熱くなっていた。
(男の人にこんな風に親しげに話しかけられること、ないんですってば……! うちには美人の姉がいたので、みんな姉しか見ていなかったんです!!)
穏やかに話しかけてくる、低い声。気さくな笑顔。自分に向けられている。その事実が、ここにきて急に意識されてしまったのだ。
彼の腕が、重い荷物もチェリーの体でさえも、軽々と抱えてしまうほどにたくましいことを、知っている。広い胸の、あたたかさも。
子犬ではない。全然違った。
ひとつ屋根の下に、男のひとがいる。
本当に帰ってきたんだなぁ……と実感した。「夫」が。
バーナードは楽しげな様子でにこにことしていたが、突然「あっ」と声を発して、心配顔になった。
「からかったつもりじゃないんだ、ごめん。俺が好きなのはええと……なんでも食べるし、嫌いなものが無いくらいだから、聞かれると難しい。『あれ』はりんごのプディング。庭のエルダーフラワーで作るアイスもまた食べたいなと。今日、部屋にあった花を見て思い出した」
「わかりました、作ります」
作ろうと思えば作れそうなもので、ほっとした。材料もなんとかなりそうだった。
言い終えたバーナードは、続けて真剣な口調で尋ねてきた。
「チェリーさんの好きなものは? 俺が作れそうなものかな?」
あの話題も、バーナードさんの中では終わってなかったんだ? と面くらいながら、チェリーは自分の好きなものを思い浮かべてみる。バーナードが料理を作ってくれるとは?
「わ、私は……。私も、べつに嫌いなものがなくて、なんでも食べるので……。あれ? そうして考えてみると、好きなものって難しいですね。なんだったかな」
ごまかそうとしているわけではない。
いざ具体的に聞かれてしまうと、戸惑うだけだ。
(チキンは好きだけど、ここでそれを言うと、アンドリューズをしめる話になりそう……)
あの子はあの子で、まだまだこれからのびしろがあってと思い浮かべて、屋敷の一部を改造したことを言い忘れていたと、気づく。焦る。
「すみません。鶏、屋内で飼ってまして」
話が飛躍した。しかし、バーナードは落ち着いたものだった。
「鶏? そうだ、今日会ったな。彼は、放し飼いなのか? つまり、あれでも愛玩動物の立ち位置ではないのか?」
「いえいえ、れっきとした食べる用と申しますか。いつかは食べるとは思うんですが、それで部屋をひとつ、鶏用に模様替えをしていまして……。掃除をすれば、きちんと復旧できると思います。他にも、屋敷の中も外もいろいろ変えてしまったところがあります。勝手にすみません」
頭を下げるチェリーに対して「それは構わないけど。顔を上げて」とバーナードは前置きをし、チェリーと目が合うのを待って、相好を崩して続けた。
「いまは、チェリーさんの好きなものについて話をしていたはずだな。連想がアンドリューズに飛んだのは……。さては、チェリーさんはアンドリューズを食べることを前提に料理を考えたな、と。チキンか」
にこっと、片目を瞑っていたずらっぽく言われて、チェリーは「あぁ」と間抜けなうめき声を上げた。
頭の中を見透かされたかのように、連想の道筋を言い当てられてしまった。
「勘が、良いんですね」
「いまのは勘、ではないな。チェリーさんがわかりやすかった。君はあまり隠し事ができないタイプなんじゃないかな……」
バーナードの視線が逸れる。チェリーも「ん?」とそれを追いかけて、ひっと息を呑み、がたがたと椅子から立ち上がった。
「奥様! 何をなさっているんです!? キャロライナさんも! ノエルはやめて!」
三人で、皿を片付けてワゴンに積み込み、食堂を出ていこうとしていた。
「チェリーさん、気にしないで。キッチンに下げてくるだけよ。おやすみなさい」
ワゴンを押しながら、キャロライナが満面の笑みで答えた。
お手伝いのつもりらしく、フォークとスプーンを手にしたノエルが、頭上にかかげてぶんぶんと振ってくる。
「おやすみ、チェリー。今日はぼく、キャリーのお部屋で寝るんだって」
「そうなの? 騒がないで、ちゃんと寝るのよ?」
ノエルがキャロライナの部屋に行くのはよくあることだったので、チェリーは忠告だけにとどめた。いかめしい顔つきで燭台を持ったヘンリエットは「ごゆっくり」と言い残して、子どもたちを先導して出て行く。
ぱたん、とドアが閉まったとたん、急に場が静かになった。
片付けを任せて良かったのかな? と不安になりつつ、チェリーはバーナードがまだ席に残っていることを思い出して、言い訳をした。
「冬の間、ノエルがキャロライナさんのお部屋に何度もお邪魔しているんです。『子どもとくっついて寝るとあたたかい』とキャロライナさんも喜んでくれて、やめさせにくくて。でも、貴族の習慣では本当は、子どもは早いうちから乳母が面倒を見て、お母様やお姉様と寝ることはないって聞きました。すみません、今度よく言ってきかせますね」
「寒い時期、満足に暖房もなかっただろうから、良いんじゃないか。キャリーの具合が良くなったのは、そのおかげかも。チェリーさん、お茶のおかわりは?」
ごく自然にバーナードに尋ねられて、チェリーは苦笑してしまった。
「立っているので、私にさせてください。おかわりいりますか?」
「では、そのお言葉に甘えて」
デザートの糖蜜パイをふるまう前にいれたハーブティーは、ポットの中でぬるくなっていたが「さめている方が飲みやすい」とバーナードに言われて、そのままカップに注いだ。
燭台は残していってくれているが、数が減ったせいか、窓の外の月明かりの方が強いくらいだった。
「今日は月が明るくて、綺麗ですね」
「うん」
カップを傾けつつ、バーナードがのんびりと相槌を打つ。
その安らぎに満ちた優しい声を耳にして、遅れて数秒後に、チェリーはようやく現在の状況に気づいた。
(これ、もしかしなくても「若い二人でごゆっくり」だ……!)




