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番外編『同情するなら恋してね』

※桃瀬徹視点です。

 彼女が僕らの公園にいるのを見た瞬間、僕は腹の底から湧き上がった歓喜に我を忘れて駆け出した。大切な幼馴染。絶対に放したくない幼馴染。僕が傷つけてしまった、幼馴染。

 君の声でまた、僕の名前を呼んでほしい。ただそれだけなんだ。


*****


「恋をしたことがないんです」


 そう告げると、先輩はうっそりと笑い、恍惚とした表情で僕の手を引いて艶やかな誘惑へと導いた。

 しばらくして、僕が先輩と付き合っているという噂が学校で広まった。実際には彼女の気まぐれで手を出されたに過ぎないのだが、わざわざ訂正するのも煩わしくて放っておいたところ、何人かの女子に血走った目で「裏切り者」と罵られた。つい先日まで「私にはあなたしかいない」「私が1番あなたを愛してる」などと競い合うように口にしていた彼女達が、だ。笑える。こんなに面白いものが見られたなら欲望に従った価値があった。

 気がかりだったのはだだひとり、翠の動向だった。悍ましい女子生徒に翠が襲われかけたあの日から、彼女は明確に僕と距離を置くようになった。とても悲しかった。悲しくて苦しくて、泣いて縋り付くか、あるいは強引に振り向かせることさえ考えたが、しかし実行には移さなかった。

 彼女はモンスターに襲われかけてショックを受け、そしてそのモンスターは僕に執着していた。ならば、彼女が危機回避のために僕を避けるのは当然のことだろう。だから仕方のないことなんだ。君の安全のためなら、僕は君と一時的に離れることも、この内臓がぐちゃぐちゃにされたような痛みも、我慢できるから。

 そう、自分に言い聞かせていたのに。


「あんたに彼女がいたなんて知らなかったな。……ま、私には関係ないことか。よかったじゃん、お幸せに」


 繕った微笑みを浮かべて、掴んでいた手をするりと解かれる。わからなかった。何もわからなかった。彼女の背中が遠ざかるにつれて、血の気が引いて体温が低下する。今すぐに走り出して、追いついて、後ろから抱きつきたかった。だが動けなかった。呆然とする僕の脳内に、泣き叫びながら僕を罵った女子達のうちの、1人の言葉が駆け巡る。


「水谷の気持ち、考えたことないの!?あの子はずっとずっと徹のことだけ見てて、ずっと徹のこと好きだったのに!」


 何を当たり前のことを、とその時は思った。翠には僕しか、僕には翠しかいないのだから。むしろ部外者に僕らの関係を言及されたのが無性に苛立たしかった。そして何よりも、彼女の僕への想いをまるで恋愛感情かのように語らないで欲しかった。あんなものと同列にするなと、苦々しく奥歯を噛み締めた覚えがある。

 だけど。もし、彼女が僕に恋をしていたなら?そういった意味合いでの「好き」だったとしたら?悪寒がする。僕自身に。僕があの時、吐いた言葉に。


『翠だけは絶対、あんな風に、おかしくなったりしないで』


 傷つけたのは、僕だった?

 考えたくなかった。だって、仮に翠が僕を恋愛的に好きだったら、僕はそれに応えられないから。すれ違うなんて嫌だ。重なり合えないなんて嫌だ。ずっと一緒がいい。僕は一刻も早くモンスターになりたかった。でもどうしたって、翠は僕にとって唯一の、大切な幼馴染だった。だから一層、「恋」が憎らしかった。彼女と繋がるために必要なのに、自分には一生抱けないだろう、それが。

 決して手に入らないものを望むのは、気が狂いそうなほど苦痛で。

 そうして、もがき続けた果てに僕は、仄暗い光を見つけた。


*****


「ちょっと、徹!?明日はあたしとデートするんだよね!?」


 登校中の朝に通学路の曲がり角でぶつかった僕に因縁をつけてきて、奇しくも同じクラスだった勝ち気な少女、美玲(みれい)が右腕にしがみついて来た。彼女の泣き顔も、その強気な態度が自らを守るための虚勢であることも、恐らく僕しか知らない。


「は?冗談も休み休みにしなさいよ。彼は明日、私と美術館巡りをするの。ね?徹君」


 最初の定期試験で僕に僅差の点数で負けたことを根に持ち突っ掛かってきた、人を寄せ付けない毒舌家として有名な少女、莉乃(りの)が、美玲を睨みつけながら左腕に手を添えて来た。両親に厳しく制限された生活を送って来た彼女は、僕が初めて遊びに連れ出した時、静かに涙を溢しながらハンバーガーに齧り付いていた。

 容赦のない力で左右に引っ張られて、思わず口角が上がってしまう。それがバレたのか、周囲の男子共から妬ましげな視線と「モテ男がよ……!」「ニヤついてんじゃねえぞー!」などとヤジが飛んでくる。

 愉快にならない方が無理だろう、こんな滑稽な状況。自分の都合だけを考えて、僕のことなんてお構いなしに勝手に決め付けて競っているんだ。表面上は僕を求めているはずなのに!


「あの……」


 愉悦に浸っていると、ふいに後ろから制服の裾を控えめに引っ張られた。首だけで振り向けば、物静かな少女、琴音が、その大きな瞳で僕を見上げていた。


「うん?どうしたの、琴音」

「もし徹が明日、暇なら……私と、出かけて欲しい」


 意外な積極性に目を見開いていると、両側から「はぁ!?」「あなたもなの?」と苛立ちと呆れが混ざった声が聞こえた。無数の視線が突き刺さる中、それでも琴音は僕を見据え続ける。一見、いつも通りの無表情に見えるが、ちらりと視線をずらせば、裾を掴む指が小刻みに震えていた。なんで自発的に苦手なことするんだろ。変なの。

 でも、僕の予定を聞ける程度の気遣いがあるらしいのは気に入った。


「うん、空いてるよ。美玲、莉乃、ごめんね。明日は琴音と過ごすことにするよ」


 「えー!」「どうしてよ!」と左右から上がる不服そうなブーイングを笑って受け流して琴音を一瞥すれば、予想外にも何やら思案している様子で、俯き加減に「ありがとう」と小さく呟くだけだった。そこに喜びも安堵もない。なぜか妙に胸がざわついた。


*****


 見知らぬ男と手を絡ませて、翠が遠ざかっていく。本来ならば、あそこは僕がいたはずの場所。そうあるべきだった場所。知らず握りしめていた拳に力が入り、爪が皮膚に食い込む。あぁ、とてつもなく不愉快だ。


「……る、徹ってば!」

「……っえ?」


 近くからの呼びかけに、ふと我に返る。見れば琴音が不安げな表情で僕を見ていた。


「あ、ごめん。ちょっとぼーっとして、」

「あの子のことが好きなんでしょ」

「……え?」

「私、あんなに必死な徹、見たことない。いつもと違って変に動揺してて……ううん、違う、そうじゃなくて、」


 きっとあれが、本当の徹なんだよね?

 グラグラと揺れる瞳。こいつは、何を見透かそうとしている?まさか僕の心に踏み込もうとでもしているのか。


「急にどうしちゃったんだよ、琴音。嫉妬でもしてるの?」

「……普段の徹は、そんな直接的な物言いはしない」

「別に、僕はいつも通りだよ」

「嘘」

「……あー、まあ、多少は感情的になってたかな?でもさ、中学以来の幼馴染と会ったら、」

「嘘つかないでよ!」


 突然の大声。固まっていると、ハッとした様子の琴音がゆるゆると視線を逸らし、「ごめん」と蚊の鳴くような声で言った。


「……私ね、徹に救われたの。口下手で、人と関わるのが苦手で、だから高校でもまた、空気みたいに過ごすんだろうなって諦めてた。でも、徹が私に気づいてくれて、手を差し伸べてくれて、そしたら、視界が開けて、世界が変わった。大袈裟だって思われるかもしれないけど、本当だよ」


 顔を上げた琴音はゆっくりと腕を伸ばして来て、僕の胴体にそれを回し、遠慮がちに力を込めた。


「だから、今度は私が徹の力になりたい。お返しをしたい。迷惑、かもしれないけど、でも私、徹が好きだから」


 ぐり、と肩に頭が擦り付けられた。くぐもった声で、「力になりたいの」と祈るようなセリフが再度聞こえる。僕は、ふっと柔らかく笑って、仕方がないなといった風に琴音の頭に手を乗せ、彼女を優しく撫でた。


「ありがとう。そんな風に僕のことを思ってくれてるなんて、嬉しいよ」

「徹……」


 幸福に酔いしれたような、甘えた声。見上げてくる瞳は、先ほどの決意に満ち溢れたような意志の強いものではなく、溶けて潤んでいて、その奥にははっきりと桃色があった。

 なんだ、結局建前か。


「琴音、あのね、」


 口を耳元へと近づけると、吐息に反応したのかピクリと琴音の体が跳ねた。愛おしくてたまらない、といった感じでゆったりと頭を撫でると、耳が段々と朱に染まる。単純だなぁ。


「僕は、琴音が僕を好きでいてくれるだけで十分幸せなんだ」

「と、徹?」

「だから、何も心配しないで。琴音が僕のそばにいてくれるだけで、すごく安心するから。……ねぇ、これからも、隣にいてくれる?」


 意識して低めに囁くと、琴音は壊れたおもちゃみたいにブンブンと上下に首を振った。優しく笑いかけて、その体を引き寄せる。

 盲目的で、自分が報われることしか頭になくて、ちょっとしたことですぐに頰を染めて靡く。そういう君達が近くにいると、本当にすごく安心するんだ。

 あぁ、僕は恋ができない人間でよかった、って。


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