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2話

『葉山(じゅん)君、だよね?』

 

 桜舞い散る四月の校門。入学式とオリエンテーションを無事に終えて足早に帰路へと向かっていた俺に、名指しの呼び掛け。揺れる瞳に映ったのは、桜の木の下で柔和に微笑む美少年だった。


『……そう、だけど』

『いきなりごめんね。あー、俺のこと分かる?』

『えっと、同じクラスになった……三輪君?』

『そう、三輪結翔って言うんだ。覚えてくれてて嬉しいな。それでね、実は俺、葉山君と話したいことがあって。よければ付き合ってくれない?』


『手短に済ますから。ね?』と小首を傾げ、胸の前で手を合わせる三輪結翔。確か、白王子とかいうあだ名が付いていたっけ。

 特に断る理由はないが、一方で警戒心はある。迷っていると、白王子に見惚れる帰宅途中の生徒たちの視線が、ついでのように俺にも突き刺さり始めた。ここで変に目立っても良いことはなさそうだ。

 了承の意を込めて頷けば、彼から軽やかな笑みが返ってきた。『少し場所を変えよう』という提案に従い、校舎裏に移動する。簡易的なベンチが1つと何本かの木があるぐらいで、人気がなく、何となく寂しい雰囲気の場所だった。すぐ本題に入るのかと思いきや、白王子は足を止めるなり、なぜか無言でスマホをいじり出した。


『葉山君はさ、』


 その様子を怪訝に眺めていると、視線を落としたままの彼に、不意に話しかけられる。困惑しながらも続きの言葉を待つ俺の眼前に、突然スマホの画面が突きつけられた。そして、そこに表示された写真を認識し、目を見開く。


『運命って信じる?』


 凡庸な顔立ちをした小学生ぐらいの男の子が、口を半開きにして呆けている写真。普段は三白眼の瞳はこぼれ落ちそうなほど見開かれ、とても無防備で、絵に描いたような驚愕の表情をしている。一見して、ただのありふれた子供の写真に思えるそれが、どうしようもなく俺の肌を粟立たせた。

 それはまさしく、幼少期の俺だった。


『あぁ、やはりお前だったか』


 得体の知れない気味悪さを感じ、後ずさって距離を取る。だが、奴の無駄に長い脚であっという間に詰め寄られ、気づけば壁際にまで追い込まれて身動きが取れなくなっていた。

 口調から雰囲気まで、何もかも一瞬にしてガラリと豹変させた奴は、心底愉快そうに口元に弧を描いている。壁に張り付く背中。全身が、じわじわと恐怖に浸食されていく。

 どうすれば逃げられる?殴る?蹴る?いや、非現実的すぎる。叫ぶか?だが誰かに届くほどの大声が出せるだろうか。武器なんてあるわけないし、あっても本当には使えない。いっそのこと自分で自分を殴って気絶させたい。何でもいいからとにかく、今すぐこいつから逃れるには、どうすれば、


『……落ち着け。何も取って食いはしない』


 奴が両手を伸ばしてくる。避けなきゃいけないのに、体がすくんで動けない。ここで死ぬのかな、俺。

 覚悟を決めて強く目を瞑るが、予期していた衝撃はいつまで経っても訪れず、代わりに人肌がそっと頬を包んだ。恐々と瞼を持ち上げると、真っ直ぐに俺を射抜く透き通った瞳に、意識が絡め取られる。


ーー僕から目を逸らすな!


 瞬間、脳裏に懐かしい声が響いた。次いで、シャッター音。理解が追いつかずにポカンとする俺を見て、悪戯っぽく笑うあの子。過去と現在、点と点が、線で結ばれていく。

 

『もしかして、あの時の転校生……?』


 三輪は呆れたように、けれど同時に嬉しそうに、ゆっくりと頷いた。


*****

 

 路地裏で三輪と一緒にいるところをヒロインに目撃された日の翌日は、朝から体が重くて敵わなかった。せめて学校が休みだったら家で惰眠を貪って回復できたかもしれないのに、残念ながら本日も平日で、二度寝さえ許されなかった。

 気もそぞろに登校し、眠い目をこすりながら教室へと向かった。道中、ろくに回らない頭で、もしヒロインに声をかけられたらどうしようかとシュミレーションする。

 昨日、彼女が現れた後、三輪はすぐさま王子モードへと切り替えて、何か言いたげな彼女が口を開こうとする度に巧みに煙に巻き、強引に解散させた。ゆえに、消化不良のまま終わったヒロインが今日改めて何らかのアクションを起こしてくる可能性は、極めて高いだろう。

 そして問題は、彼女がその接触相手に俺を選ぶかもしれないということだ。というか、十中八九そうなる気がする。昨日の彼女の注意はもっぱら俺に向いていたし、俺の顔を見ながら何か伝えたそうにしていたから。たぶん、三輪に終始、腕を掴まれていたのがまずかったのだろう。そんなのを見れば誰だって勘ぐりたくなる。例え、実際には深い意味なんて皆無だったとしても。

 そんなこんな考えて、結局、対策なんてまるで浮かばないまま扉の前に辿り着く。俺とヒロインの登校時間は同じ早めの時間帯で僅差だから、どちらが先に着いてもおかしくない。昨日は俺の方が早かったが今朝はどうか。祈るような気持ちで扉に手をかけ、力を込める。

 

「おはよう、葉山君。待ちくたびれたわ」


 視線の照準をバッチリと俺に合わせたヒロインは、自席で緩く手を組みながら花が咲くような微笑みをたたえた。思わず引き攣りそうになる顔を、何とか抑える。


「……おはよう、水谷さん。別に待っててくれなくても良かったのに」

「あら、冗談を真に受けないで頂戴。貴方とお話しがしたくて、私が勝手に待っていただけよ」

「……そうですか」


 全く勝てる気がしない。

 仕方なしに重い足取りでヒロインへと近づこうとしたが、それを見留めた彼女は、「とりあえず、近くの空き教室にでも移動しましょうか」と言って椅子から立ち上がった。まさか、わざわざ場所を変えなければできない話なのだろうか。不穏な予感に手汗をかく。

 

「あの、ここじゃ駄目かな?俺達以外には、まだ誰も来てないし」

「駄目ね。話の途中に他の人が登校してきたら困るでしょう?私は誰にも邪魔されずに、葉山君と2人きりでじっくりとお喋りしたいもの」

「……長くなる予定なの?」

「まぁ、葉山君次第かしらね」

 

 中途半端に前方に踏み出していた俺の足は、肩に添えられたヒロインの手によって呆気なく後方へと方向転換させられた。移動中、やんわりと彼女の手を退けようと試みるが、なかなか上手くいかない。かといって女子に対する力加減が分からないので、迂闊に剥がすこともできず、ただひたすら、置かれた体温を意識することしかできなかった。

 幸いにも他生徒と遭遇することなく目的地へと辿り着き、安堵したと同時にパッと手が離れる。それによって、もしや俺が逃げないように添えられていたのか、と思い至り、何とも言えない苦い気持ちなった。

 ヒロインによって隙間なく閉められる扉。俺は手近な椅子を2脚引き、その片方に腰を下ろす。せめてもの抵抗で入り口に近い方を選んだ。

 

「……さてと。時間も限られていることだし、単刀直入に聞くわね」


 緩慢な動作で彼女は俺を見据える。知らず溜まっていた唾を飲み込むが、喉は相変わらず乾き切っていた。

 

「貴方と三輪君は、どういった関係なのかしら?」

「……どういう意味?」

「言葉通りよ。率直に答えて頂戴」

「……ただの、クラスメイトだよ」

「それ以上でも以下でもないと?本当に?」


 僅かに前傾姿勢になったヒロインは矢継ぎ早に追及してきて、その偽りが許されないような雰囲気に、言葉が殊更詰まる。が、意を決して口を開いた。


「……昔、ちょっとした縁があったけど、でもそれだけ。だから実質、ただのクラスメイト。少なくとも、水谷さんが勘ぐってるような特別な関係ではないよ」


 一息で言い切れば、「……そう。分かったわ」と彼女は小さく呟き、背もたれに身を預けた。その様子にホッとしたところで、ほんの少しの違和感。数秒後、その違和感の正体に気づく。

 教室でのヒロインの席は前列で、だから自然と俺の席からでも授業中に後ろ姿が目に入る。そして彼女はいつもピンと背筋を伸ばしていて、椅子の背もたれを必要としない。なのに今、目の前の彼女は、体を脱力させて背もたれに頼り切っている。

 普段は気にも留めなさそうなその些細な変化が、やけに俺の中で引っかかり、何故だろうと自分でも戸惑っていると、


「じゃ、話が早いよね!」


 砕けた口調をしたヒロインの声が、耳朶を打つ。


「……は?」

「ねぇ、葉山君さ、」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まっているであろう俺のことはお構いなしに、つい先程までの凛と張り詰めた雰囲気を霧散させた、恐らくヒロインであるはずの目の前の美少女は、溌剌と明るい調子で喋り続ける。

 

「私のこと好きになってよ。あ、恋愛的な意味でね!」

「…………はぁ!?」


 あまりにも突飛すぎるセリフを浴びたため明らかにボリュームを間違えた声が出てしまい、慌てて口を塞ぐと、「わ、大きい声だねぇ。びっくりしちゃった」などと鷹揚なツッコミが聞こえ、次いで、コロコロとした笑い声。完全に、俺のことを面白がっている。思わず眉間に皺が寄り、たまらず声を遮って「それはこっちのセリフだよ」と言い返す。


「どうしたの、水谷さん。さっきからキャラが崩壊してるけど」

「あははっ、それはほら、いつもの私はペルソナっていうか。あるでしょ?そういうの!」

「はぁ……?」

「めっちゃ生返事じゃん、うける!ね、そんなこと置いといてさ、」


 置いといて、の部分で左から右に物を移すジェスチャーが挟まる。無意識に目で追いかけると、それに気付いたのか、置いた物を叩き潰す動作も追加された。今のヒロインは随分と陽気らしい。

 

「葉山君、君に私のことを好きになってもらいたいんだよ」

「……本気で意味不明」

「や、結構簡単だと思うよ?ほら、私って裏で高嶺の花って呼ばれてるし」

「え?いや、簡単とかそういう話じゃなくて、えっと、目的が謎っていうか」

「目的?」

「だからその……、仮に、俺が水谷さんを好きになったとして、その後どうしたいのかなって……」

「そしたら、それで終了だね」

「は?」

「終わり。ミッション達成。君が私を好きになることは、何かのための手段じゃなくて、それ自体が目的だよ」


 頭が痛くなってきた。そもそも、好きになるどうこう言っているけれど、ヒロインは白王子と交際しているのではないのか。そうでないにしろ、あの距離感なら互いに憎からず思っているように見えたが。気になるが、しかし、そこまで踏み込んで聞いてもいいのだろうか。

 グルグルと悩み、尋ねあぐねていると、「何か聞きたそうだね」と彼女は口の端を吊り上げた。


「いいよ、言ってみて?」

「……その、答えたくなかったら、無視して欲しいんだけど、」

「うんうん」

「水谷さんは、三輪君と付き合ってるんじゃないの……?」


 膝の上で拳を握りながら問い掛けるも、すぐには肯定も否定もされなかった。長いこと訪れていなかった沈黙が、その場を支配する。やはり気分を害してしまっただろうかと思い、謝罪の言葉が喉まで出かかった瞬間、


「……ふ、ふふっ、あははっ!」


 ヒロインがいかにも堪えきれなかったという様子で吹き出し笑い始め、出鼻を挫かれてしまった。


「え……」

「あは、あははっ、ひぃ、苦しい……、いやまさか、現実でも通用するなんてね。あははっ、すごいなぁ!」

「な、何がそんなに面白いの」


 1人で爆笑の渦に巻き込まれている彼女は、それはもう楽しそうであったが、置いてけぼりにされた俺は狼狽するばかりである。だがとりあえず、傷ついた様子ではなさそうな点には安堵して良いのだろうか。

 そして一頻り笑い続けたのち、ようやく俺の存在を認識したらしいヒロインは、未だ苦しそうに呼吸を整えながら「ごめんごめん」と片手を縦にして軽く振った。


「やー、防波堤協定がさ、存外上手く機能してたから面白くなっちゃって。ラブコメ漫画だけのファンタジーじゃなかったんだなぁ」

「防波堤協定?」

「そ。もっと可愛げある言い方すれば、偽恋人?意味深な距離感で親しさを演出して、あわよくば周囲に恋仲だと錯覚させられたらいいねーって感じ。……ほら、私と三輪君ってお互い人目を惹きつける容姿だからさ、入学当初から、ミーハーな矢印を向けられることが多かったんだよね」


 そこで一旦、声を途切らせ、遠い目をするヒロイン。どうやら当時のことに思いを馳せているようだった。


「そういうの全然嬉しくなかったけど、でも、振り切り方も分からなくて……、もし変に失敗してみんなから嫌われたらどうしようって思うと、現状維持しか道がなかった」


 俯き加減に訥々と心境を語る彼女に、俺は何も言えなかった。ふさわしい言葉が見つからないし、そんなもの存在しないのかもしれない。当事者でない俺は、静かに耳を傾けることしかできなかった。  


「……でね、わりと鬱屈とした気持ちで日々を過ごしてたんだけど、」


 パンッと手を叩く音。驚いて数回瞬きを繰り返すと、一刻前とは打って変わった、晴れやかな表情で笑いかけられた。


「そんな折!私は三輪君が女子から告白されている現場に、意図せず遭遇してしまったのです!」

「……ほう」

「覗き見なんてよろしくないとは思いつつ目を離せずにいるうちに、三輪君の返事が済んで、女の子は泣きながら去って行って、その場には気まずそうな顔をした彼だけが残ったわけです。さて葉山君、ここで問題。三輪君は次にどんな行動をしたでしょう?」

「えっ」


 突然の出題に面食らう。それでも何とか頭のエンジンをかけようと必死になっていると「シンキングタイムは5秒間でーす」と追い討ちをかけられた。刻まれていくカウントダウンに焦らされながら、「えっと、普通に帰った?」とかろうじて答えたが、無情にも人差し指を交差させたバツ印が目の前に示される。いつの間にか立ち上がっていたヒロインは、妙に俺の近くに来ていた。


「正解はー、」


 するり、と腕が取られ、弾かれたように見上げれば、目が笑っていないヒロインが威圧的な雰囲気を纏っていた。同一人物のはずなのに、何だ、この変わり身は。 


「『趣味が悪いね、水谷さん。俺のことがそんなに気になる?俺達って、似たもの同士だと思うけどな』」


 確かに彼女の口から発されたセリフが、全く別人物の声で再生される。蛇に睨まれた蛙の如く、身動きができない。

 ピリリと肌を刺すような緊張感は、しかし、またしても彼女の吹き出し笑いで引き裂かれた。

 

「結構似てた?正解はね、私がいることに気づかないまま普通に帰ると見せかけて横切る時に腕を取って圧をかけてきた、でしたー。三輪君って、意外といい性格してるよね」

「……それは同感」

「あははっ!」


 朗らかに笑う彼女を見ると、先程の豹変は幻覚だったのではないかと思えてくる。そのまま腕をグイグイと上に引っ張られたので、「水谷さんって物真似も得意なんだね。マジで威圧感あって怖かった」と軽口を叩きながら自力で立ち上がれば、「まぁ、本人には到底及ばないけどね」と苦笑が返ってきた。

 その後の彼女の話曰く、件の防波堤協定とやらは、彼女が白王子の圧に屈して素直に白状した後、何やかんや気を許した雰囲気になって話しているうちに、『互いのメリットになるはずだよ』と彼が提案して持ち上がったものなのだという。

 そうして、ヒロインは大勢の男子生徒からの好意を抑制するために、白王子は女子生徒からの絶え間ない告白の回数を減らすために、協力して親しい仲を演じるという約束が結ばれたそうだ。

 所々端折りながらも、とりあえず話が一段落し、ふと腕時計に視線を落とすと、時刻は予鈴5分前を指していた。横から覗き込んできたヒロインもそれに気づき、どちらともなく扉へと足を進めたところで、ある懸念が浮かぶ。 


「そういえばさ、」

「うん?」

「水谷さん、かなり爆笑してたけど、外に聞こえてたりしなかったのかな」

「あー」


 この空き教室の辺りは比較的人通りがない場所ではあるが、それでもちらほらと通る生徒もいたはずだ。俺も一度、驚いて大声を出してしまったから人のことはとやかく言えないが、しかしあの水谷翠ともなると笑い方ひとつを取っても十分ゴシップの種になる気がする。


「んー、大丈夫でしょ!だってさ、考えてもごらんよ」


 一足先に扉に手をかけていたヒロインが、くるりと振り返り、次の瞬間、凛とした佇まいの美少女が麗しい微笑を浮かべた。


「この私が大声で笑って騒ぎ立てるだなんて、天地がひっくり返ったとしてもあり得ないもの」

「……なるほど」


 例え耳にされていたとしても、それがまさか水谷翠のものであると辿り着ける生徒はいないということか。

 納得すると同時に、彼女の芸当にひっそりと感心していると、「それに、葉山君が廊下側に座っててくれたおかげで私の姿は見えにくかっただろうし」となんてことないように付け足され、思わず鼻白んだ。一体どこから計算していたのだろう。深くは考えないようにした。

 そして今度こそ教室に戻るのかと思いきや、扉に背中を預けたままヒロインは人差し指を上げ、「最後にひとつ、例のお願いについてだけどね、」と言い、意味ありげに笑って、言葉を紡いだ。


「君はさ、略奪する側じゃなくて、される側だから」


*****


 予鈴が鳴るギリギリに教室の敷居を跨ぎ、何とか自席に着いたところで担任が現れ、変わり映えのしないホームルームが始まった。話を聞きながら身の回りを整理していると、鞄に入れたままだったスマホが何度か振動する。

 手にとって机の下で確認すれば、チャットアプリからの通知がロック画面に浮かんでいた。話し終えた担任が教室から去っていくのを見てから、堂々とスマホを出してアプリを開くと、2つのアカウントにメッセージアイコンが表示される。「三輪結翔」と、もうひとつ「SUI」というアカウント。後者の方は登録した覚えがないが、誰であるかは容易に想像がつく。とりあえず三輪の方から先に開いた。

 俺が登校してから10分後ぐらいに来たのは、〈おい〉〈今日は休みか?〉〈体調が悪いなら無理に返信しなくていい〉〈また連絡する〉の4通で、その数分後に〈水谷も珍しくいないが、何か関係があるのか?〉の1通が来ていた。

 どう返信すべきだろうと、キーボードの上で指を迷わせていると、〈こいつに妙なことを吹き込まれていないだろうな〉という新たなメッセージが下から表示された。

 つられて顔を上げ教室前方を見遣ると、ヒロインが彼、たぶん、白王子に絡まれているところだった。穏やかな表情で話しかけている彼の片手には、スマホ。まさか会話をしながら同時進行で俺にメッセージを打っているのか。だとすれば、もはや器用などという次元ではない。誤字脱字どころか変換ミスもないなんてどういうことだ。

 そうこうしている間も振動が続き、短い文が連投されて返信を要求されていた。散々文面を迷った挙句、何もない、と簡潔に打ってから、やはり思い直して文字を消去し、何かはあったけど大したことじゃないから心配するな、という旨で打ち直して送信する。案の定、またいくつかの連投が来たが、最終的に〈限界を迎える前に俺に言え〉という1通で締めくくられた。

 呆れと、ほんの少しのくすぐったさを覚えながら、それを誤魔化すかのように、続いてヒロインのものと思われるアカウントを開く。

 いずれもホームルーム中に送られてきたもので、〈やっほー!クラスのグルチャから勝手に追加しちゃった〉〈水谷です〉〈今朝はお喋りできてよかった、ありがとー〉〈品行方正で優等生な水谷翠は学校だとスマホ触りずらいので、家帰ったらまた話そうね〉〈あ、葉山君はそんなことしないと思うけど、もし無視されたらスタ連するのでよろしく!〉の、合計5通。スタ連はやめて、とだけ送信して、トークルームを閉じた。

 画面を机の上に伏せると、肩にドッと重みが生じた気がした。特定の人間と短時間でこれほど濃く関わることは、本当に思い出せないほどに久々すぎて、自分で想定していた以上に精神的負荷がかかっていたらしかった。

 1限目の数学の先生は毎度遅刻して来ると決まっているので、思う存分ぼーっとして頭を休ませる。暫くそうしていたが、ふと左隣から視線を感じ、何気なく首を動かそうとしたが、直前で昨日の三輪による妙な忠告を思い出し、動きを止める。

 少し考えた後、スルーしてやり過ごそうと決めるも、一度気になってしまうとどうしようもなく、時間が経つにつれて居た堪れなさが増大していく。やがて痺れを切らした俺は、自意識過剰の線を祈りつつ横を向いた。


「ふっ、……じさわ君、俺に用事?」


 予想していたよりも遥かに露骨な凝視だったことに動揺して、名前の部分でどもってしまった。まさしくガン見。もし本当に昨日、彼がこれと同じ視線で俺のことを何度も眺めていたというのなら、俺は三輪が言った通り、自分が極めて鈍感であったと認めざるを得ないだろう。


「あ、その、ジロジロ見て、ごめん」

 

 すぐさまの返答。先日のことを思い返し、黒猫が反応するまでには数秒の沈黙が挟まるだろうと無意識に思っていた俺は、それを意外に思い、さらにそのせいで自分の中のリズムが僅かにずれ、今度は逆に、こちらが沈黙を落としてしまう。


「……きもかった、よな。ほんとごめん。でもその、葉山君が、俺と同じぐらいの時間に登校してきたのが珍しくて、あと、すごく疲れてるみたいだったから」

「……心配してくれたってこと?」

「言い訳がましいのは分かってる、ごめん。けど、変な意図はなかったのは信じてほしい」

「いや、うん、全然大丈夫」


 軽く頭を下げてくる黒猫を前に、わたわたと両手を横に振りながら、意外だな、と再度心の中で呟く。

 彼は普段の教室内では1人でいることを好んでいる様子だったから、てっきり人間関係には消極的な方だと思っていた。しかし、大した接点のないクラスメイトを心配し、あまつさえそれを本人に伝えて来るとなると、むしろ真反対のタイプに思われてくる。

 あるいは、人見知りというやつだろうか。先日、ほんの些細ではあるが会話を交わしたことで、彼の中で俺の分類が「初対面の相手」から外されたのかもしれない。

 それから、黒猫はもう一度「ごめん」と言葉を重ねたのち口を閉じたが、体は依然としてこちら側に傾けたままだった。恐らく俺が前を向けば彼もそれに倣うのだろうが、あれほど謝罪を繰り返さた上にそれを受け取るだけで終わるのは、何となく憚られる。

 どうしたものかと、手持ち無沙汰に伏せていたスマホを手繰り寄せた瞬間、ロック画面に新しい通知が表示された。見ればチャットアプリのもので、アプリを起動すると、クラスのグループチャットに「1」のマークが付いていた。内容を確認しようとしたが、瞬時に取り消され、代わりに〈ごばくです〉という一文が画面に踊った。ただの送信ミスだったらしい。

 そのままアプリを閉じようとしたところで、不意にチャットの参加人数が目に止まる。クラスの人数と照らし合わせると1人だけ足りない。もしやと思い、参加者メンバーの欄をスクロールして最後までいくと、予想が確信に変わった。スマホを傍に置き、目線を黒猫へ移す。


「そういえばさ、藤沢君ってクラスのグルチャ入ってる?」

「え」


 目を丸くして固まること数秒。彼がぎこちなく首を横に振り出したのを確認してから、スマホに手を伸ばして操作する。


「まだ全然動いたことないけど、これから行事とか始まると連絡事項の共有とかに使われそうだしさ、一応ね。招待するから、とりあえず俺のと交換しよう」


 はい、とQRコードを差し出せば、慌てた様子で黒猫が自分のスマホをそれにかざす。するとシンプルなスタンプが送られてきたので、送り主である「伊織」というアカウントを追加し、招待への手順を簡単に終わらせてから、参加させられたのを改めて一覧で確認した。

 ひとりでに頷くと同時に、教室の扉が開く音と教師の気だるげな号令が聞こえて、焦り気味にスマホを鞄へと滑り込ませて席を立つ。着席、の合図で腰を下ろす途中、身を乗り出した黒猫に「ありがとう」と礼を言われたので、笑顔を作ってそれに応えた。

 授業中、最後に聞いた彼の声が何故か妙に頭に残り、それを覆うように三輪の忠告が燻り続けたが、いずれも出題された数式を必死で解いているうちに、自然と消えていった。


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