擦り傷のチェリーコンポート
異世界転移した側ではなく、
元々異世界にいた側の人物を主人公にしています。
この場合、異世界転移というべきか分かりませんが、一応キーワードに入れておきます。
「ほらっ、痛くないから。じっとしててね〜」
転んで擦りむいた鹿の脚に手を当てる。
すると、鹿が受けた傷は、最初から怪我なんかしてなかったかのように完治し、そのまま元気に走り去っていった。
そして、青年ユウの手には一房のさくらんぼがあった。
「暴れる鹿の傷を治して、手に入れたのはサクランボ3個か。まあ、腹の足しにはなるからいいけどさ」
◆◇◆◇◆
僕には人と少し変わっているところがある。
普通の食べ物を食べても味は感じるが腹は満たされないことだ。
だから、腹を満たすために人が食べない物を食べている。
それこそ、その辺の石ころや木の枝なんかを食べていた。
そのせいで村の人は僕を化け物と呼び、村から追放され、今は森の中に掘立て小屋を建てて、一人で暮らしている。
こんな生活をするようになったのも、暴食の神から貰ったこの力、「加護」の所為だ。
この力のお陰で、どんなものでも食べることができる。
その力で他者の不幸を食材に変えて食べているのだ。
さっきもその力を使って鹿が受けた不幸をサクランボに変えていた。
『他人の不幸は蜜の味』
これは僕がとある知人から聞いた言葉だ。
でも彼は知っている。本当は蜜の味なんかじゃあない、もっと色々な味がするということを。
◆◇◆◇◆
家に帰って、台所でサクランボを洗う。
ハリのあるサクランボの皮はキュキュッといい音を鳴らす。
この皮のハリ具合なら、そのままでも美味しく食べられる。
でも、もう一手間加えた方がより美味しく味わえるだろう。
洗い終わったら、サクランボを半分に切ってタネを抜き取る。
ボウルにサクランボ、レモンの搾り汁、砂糖水を入れてよく混ぜる。
あとは1,2時間、氷が入った木箱に置いておく。箱の容量は小さいけど、食べ物を冷やしておけるこれは、保存する方法が乾燥か塩漬けしかないこの世界では中々に便利なものだ。
「あー、待ち時間は何もやることないし、暇だな〜。」
こんな時に話し相手が居たら時間もあっという間に過ぎるだろう。だが生憎、森の中で一人暮らしの僕にそんな相手は居ない。
食材探しという考えも頭をよぎったが、自分のお腹が満たされる食材が見つかるなんて中々ないことだ。下手をすれば体力の無駄遣いにもなるだろう。
故に、今はただ時間が経つのを待つしかないのだ。
何もやることがなく、ただぼーっとしていたその時だった。
ズズッ…ガッ…ゴッ…
玄関の方から何か音がした。
音からして、ドアに何か硬いものを当ててるような感じだった。
僕は音の正体が気になり、玄関へと向かう。そしてドアを開けてみた。
「どちら様ですか……って、鹿?」
するとそこには、ツノが折れた一頭の鹿がいた。
何らかの事故か、それともオス同士の争いかでツノが折れてしまったのだろう。
オスの鹿にとってツノはメスに求愛するのに必要不可欠なものだ。また時が経てば生えるものだとは分かっているが、それでもツノが折れてしまうのは、この鹿にとっては不幸なことだろう。
「それにしても、何でここに来たんだか…まさか、鹿たちには僕って有名人なのかな?って、そんなわけないか。」
なんて妄想に近いことを考えながら、折れた鹿のツノに手を当てる。
すると、鹿の角のニョキニョキと木のように伸ばし、折れたことが嘘だったかのように立派なツノができていた。
そして僕の手には鹿の角みたいな綺麗な茶色の糖の塊が握られていた。
「お礼は良いよ、もう貰ったから」
そう伝えると、鹿はその言葉を理解したのかペコリとお辞儀をした後、元気に走り去っていった。
鹿が去ったのを見送り、ドアを閉める。
そして早速、台所で鹿のお礼とも言える糖の塊を金槌で砕く。
鹿の角から取れたということもあって、ハンマーで思い切り叩かないと砕けないほどに硬い。
けれど僕には時間が売るほどあるので、そんな時間も労力も苦ではなかった。むしろ、良い時間潰しが出来てラッキーなくらいだった。
「ふう、これくらい砕ければいいでしょ」
糖の塊は小さな欠片くらいになるまで砕けていた。ビンに詰められる程度に小さく砕ければ、料理で用いる時に必要な分だけ溶かして砂糖水にして使えるから充分だ。一口サイズに砕けた物は敢えて更に細かく砕いたりはせず、飴としておやつに頂くのもいい。
おやつ用と調味料用のビンに糖の欠片を詰めたら、
木箱を開けてサクランボの様子を見る。
「さてさて、サクランボの調子は…おっ、そろそろ良い頃合いかな。」
砕いた糖の塊を瓶に詰め終えた頃には、サクランボが良い漬かり具合になっていた。
早速、ボウルに入っているサクランボをシロップごと鍋に流し入れ、サクランボの果実酒をちょろっと入れて火にかける。
あとは沸騰しないように火加減に気をつけながら、果実酒の
酒精を飛ばすように木ベラでゆっくり混ぜる。
しばらく混ぜているとサクランボが柔らかくなるので、
そうしたら火を止める。
あとは鍋の中身をビンにに移して充分に粗熱をとれば…
「サクランボのコンポート、完成!」
早速、1つ口に放り込む。
とろりとして甘酸っぱいシロップが、サクランボの優しい甘さを引き立たせ、果実酒のほのかな香りが心を落ち着かせる。
「うん、美味しい。酒精もちゃんと飛ばせたみたいだし、これは良い出来だね」
ビンの中のコンポートをペロリと平らげ、満足したユウは床に着いた。
─── 明日は何を作ろうかな?
まだ知らぬ不幸の味を楽しみにしながら、瞼を閉じるのだった。