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ソネタオの夢  作者: これ
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【第2話】砕け散る



「どうしたの? 曽根さん。こんなところに呼び出して」


 声を聞いて、私の胸はより高鳴る。


 部活のない月曜日。まだ水の入っていないプールの脇には、人なんて来るはずもない。自分から声をかけたのに、どうしようもなく逃げ出したくなってしまう。


 だけれど、私は二本の足で地面を踏みしめる。自分に正直になってもいいと言い聞かせて、口を開いた。


「狩谷くん、剣道部に入ってるよね?」


「うん、そうだけど」


「市中大会のメンバーに選ばれたんだって?」


 新太くんは、小さく驚いてみせた。「何で知ってんの?」とでも言いたげな顔をしている。男子の会話を盗み聞きしたからだけれど、言ってしまったら新太くんに引かれるので、言えるわけがない。


「一年生でメンバーに選ばれるなんて、すごいじゃん」


「そんなことないよ。うち部員少なくてさ。人数合わせみたいなもんだから」


「ううん、そんなことないよ。狩谷くんががんばってるのは、クラス皆が知ってるし、当然だよ」


 はぐらかす自分が、少し嫌になる。こんなことを言うために、新太くんを誘ったわけじゃないのに。


 だけれど、「ああ、ありがとな」と新太くんがはにかむだけで、私の気分は引き上げられていくから不思議だ。自分の気持ちを再確認して、考えるよりも先に話す。


「あのさ、狩谷くんは、誰か好きな人いるの?」


 もう退くことはできない。そう覚悟を決める。見上げると、新太くんは飄々とした表情をしていた。


 私の真意に気がついていないみたいだ。


「いや、別にいないけれど、それがどうかしたの?」


 新太くんはまだ顔に疑問符を浮かべている。その純粋さに私の心臓はさらに高鳴った。


 破裂しそうな鼓動。もう言うしかない。


 私は意を決して、顔をもう一度上げた。


「あの、私、狩谷くんのこと、好き、なんだけど……」

 

 決意したはずなのに、言葉の終わりが弱くなってしまう。自分の臆病さが恥ずかしい。


 それでも、気持ちは届いたらしく、新太くんは顔を紅潮させていた。静かな空気に反して、私の心臓はドクンドクンと血液を送る。


「えっ? 好き、なの? 俺のこと。マジで?」


 告白されたのが初めてだったのだろうか。新太くんは、分かりやすくうろたえていた。頭を掻く仕草に、この人は裏表がない人だと実感する。


「うん、一応、マジ、なんだけど……」


「そっか……。いや、ありがとう。気持ちはすげぇ嬉しい」


 それは新太くんなりに一生懸命、頭を回して出した言葉なのだろう。


 だけれど、私はワンフレーズだけで結果を察してしまった。


「気持ち、は」


「あっ、いや、なんつーか。こうやって言われたことないから、正直戸惑っているというか……」


 必死に釈明していたけれど、どんな言葉も、私を死刑台に送る階段にしか思えない。


 新太くんは言葉通りしばらく焦った後、決心がついたのか、気をつけの姿勢をして私に向き直った。次にくる言葉は分かっていたから、私は心の中で防御姿勢を取る。


「ごめん。俺も曽根さんのことは、めっちゃいい人だとは思うんだけど、付き合うことはできない。他に好きな人がいるんだ」


 覚悟していたはずの言葉は、ガードの上からでも、私をねじ伏せた。うまく言葉が出てこない。後に続く新太くんの弁解も、私には届いていなかった。プールの側には、水泳部さえ来ていない。


 私はひどく痛々しい人間になっていた。二人でいるのにひとりぼっちだ。


「うん……そうだよね……ごめん、今言ったことは忘れてくれていいから」


「曽根さん、本当にごめんなさい。俺も応えたいのはやまやまなんだけど、自分の気持ちに嘘はつけない」


「ううん。狩谷くんが謝る必要なんて全くないよ。私が勝手に暴走しただけだから。うん。今度の市中大会がんばってね。部活で行けないけど、応援してる」


 その言葉を置き土産にして、私はプール脇から離れた。新太くんとすれ違ったときに、恨みつらみよりも、情けなさを感じた。


 人がほとんどいない通学路を、俯きながら歩いていく。その日は、あの奇妙な夢は見なかった。





 翌日は朝から雨が降り続く、憂鬱な日だった。そんな日に限って私は日直で、部活に行くのが遅れてしまう。名簿順が連続しているという理由だけで、あまり喋ったこともない男子と、ぎこちなく日直の仕事を終える。学級日誌を先生に提出するやいなや、職員室を抜け出して、体育館へと急いだ。


 だけれど、体育館に行く途中の理科室で、私はか細い声を聞いてしまう。その声に私は聞き覚えがあった。


 同じクラスの、滝石佳音(たきいしかのん)ちゃんだ。いつも後ろの席でじっとしている目立たない子。


 その子が小さく「痛っ……」と言っている。


「お前、今日のバスケで、私らの足引っ張ったろ」


「どんくさくて、ムカつくんだよ」


 ぴしゃりと頬を張る音がした。


 二人の声にも私は聞き覚えがある。朝乃ちゃんと美祐奈ちゃんだ。中で行われていることの想像が簡単について、私は無視するように体育館に向かおうとした。


 だけれど、いつもおどおどしている佳音ちゃんの姿が思い出され、気がつけば踵を返していた。


 どうしてだ。正義のヒーローぶるなんて、私のキャラクターには合わないのに。


 私はそっと理科室のドアを引いていた。目に入ったのは蔑んだ目で、視線を落としている朝乃ちゃんと美祐奈ちゃんの姿。私と話しているときの笑顔は、どこにもない。まるで般若のお面をつけているかのようだ。


 だけれど、すぐ私に気づいて表情を和らげていて、それがかえって私に鳥肌を立たせた。


「多穂、何してんの?」


「何してんのっていうか……通りがかっただけっていうか……」


「いいから早くドア閉めてよ。バレちゃうじゃん」


 美祐奈ちゃんは口元を緩めながらそう言っていたけれど、何がおかしいのかは私には分からない。


 だけれど、目の奥が全く笑っていなくて、私は操られたようにドアを閉めてしまう。降り続く雨が窓を叩いていてやかましい。


 机に隠れて見えないけれど、確かに聞こえる佳音ちゃんの嗚咽に、私は手繰り寄せられるようにして、三人のもとへと向かっていた。


 佳音ちゃんは膝をついて、右頬を押さえて、床にうずくまっていた。


 声を出して泣くと、余計に二人の攻撃がひどくなることを知っているのだろう。顔も見せずにしくしくと泣く姿は、可哀想なんて言葉では言い表せないほど、悲惨なものだった。


「めそめそ泣いてないで、いいから土下座しろよ、土下座」


「そうやって被害者ぶってんじゃねぇよ」


 朝乃ちゃんが軽く佳音ちゃんの脇腹に蹴りを入れていた。振りぬいた速さから見て、全く本気ではなかったが、それでも佳音ちゃんは、身体以上に心にダメージを受けただろう。


 脇腹に手を当てながら、小さく「ごめんなさい……ごめんなさい……」と謝っている。


「泣けば解決するとでも思ってんの?」


「そうやってボソボソ言ってんの、気持ち悪いんだよ」


「ちょっと、朝乃ちゃん、美祐奈ちゃん」


 堪えきれなくなって、思わず声を発していた。だけれど、二人が「何?」と言って私を睨んでくるから、その後が続かない。


「多穂、こいつの肩持つの?」


「多穂だって、今日の授業見てたでしょ。こいつ死ぬほど足引っ張ってたじゃん」


「それは……」


 はっきりと「やめなよ」と言うことはできなかった。そうしたら、私がターゲットにされてしまうかもしれない。


 さっきまでうずくまっていた佳音ちゃんが、体の向きを変えた。私を救世主とでも思ったのだろうか。右手を伸ばしてきている。佳音ちゃんの顔は涙と鼻水でしわくちゃで、両頬が赤く腫れていた。


 その姿に、私は軽く慄いてしまう。みっともないもののようにさえ、見えてしまう。


 「多穂」と朝乃ちゃんと美祐奈ちゃんが、呼びかけている。


 ここで、佳音ちゃんの手を取ったらどうなるか。分からないほど、私はバカじゃなかった。


 明かりもつかず、室内は薄暗い。私はありったけの力を込めて、佳音ちゃんの手を振り払った。


 バランスを崩した佳音ちゃんは、どさっという音を立てて、床に崩れ落ちる。再び私を見上げた目は、失意と絶望に満ちていた。


 朝乃ちゃんと美祐奈ちゃんが、にやついた表情で私を見ている。その笑みがとてつもなく怖くなって、私は理科室から駆け出していた。


 振り返ることなく、走ってはいけない廊下を走って体育館へと向かう。佳音ちゃんを見捨てたことには、精一杯の無視をした。


 だけれど、その日の練習は全く集中することができなかった。





 家に帰っても、心に引っかかった棘は抜けなかった。もやもやした気持ちのまま、眠りにつく。


 すると、また例の夢を見た。


 今回の夢は理科室が舞台だ。水道のついた机がいくつも並び、背もたれのない椅子が収納されている。スライド式の黒板には何も書かれていない。窓の外は現実と同じく雨が降り続いていて、地面を叩く音が二階にいても鮮明に聞こえた。


「エスエヌティーエー」


 一人の私が私を指さしながら言ってくる。無表情に、つい反感を覚えた。


「何なの! エスエヌティーエーって! この前、新太くんに告白したけど、振られたよ! 私は新太くんのことが好きだったのに、もう脈ないじゃん! どうしてくれんの!」


「エスエヌティーエー」


 もう一人の私が、事も無げにそう言う。例のごとく、教室には私たちしかいない。


「もしかして、エスエヌティーエーって、新太くんのことじゃないの?」


「エスエヌティーエー」


 何を聞いても、プログラムのように返ってくる言葉は同じ。抑揚もないから、発語から推測するのは限りなく難しい。


 だけれど、私は指を差してくる私を見て、気がついた。私の前に現れている私は一人ではない。二人だ。


 ということは……。


「私が二人、ということはIも二つ……?」


「エスエヌティーエー」


 それはもしかしたら、NOという意味だったかもしれない。だけれど、私は呟く私の顔を見て、同意だと受け取った。


 夢は終わり、私はまたしても朝の七時に目を覚ました。起き抜けでボーっとしている頭でも、考えるのに支障はなかった。

 

 エスエヌティーエーにIが二つ。ISINTA? でも、イシンタなんて言葉、聞いたことがない。


 SINITA? 逆から読むとタニシだけれど、通学路に田んぼはない。


 SINTAI? 身体? 私の身体に起こっている異変について、知らせてきているのだろうか。でも、私の身体は特におかしなところはない。健康そのものだ。


 もしかして、他の子の身体? そう考えると、頭には昨日の理科室の光景が蘇る。


 私に縋ってきた佳音ちゃんの頬は、赤く腫れていた。うずくまっていたから私が来る前にも、攻撃を受けていたのだろう。とんでもないことをしてしまったと認識する。いや、元々気がついていたから、直視するという方が正しい。


 胸がズキズキ痛む。この胸の痛みを解消する方法は、一つしかない。


 私は起き上がって、キッチンに急いだ。一刻も早く学校に行きたくて、仕方がなかった。



(続く)

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