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六四天安門事件

 天安門事件は複数回あり、六四天安門事件は二回目の事件です。

 一党独裁、専制恐怖政治を打破して、民主主義国家の樹立を要求した学生たちを、人民解放軍(共産党の私兵)が殺害しました。

 まさに人権蹂躙、虐殺が実行された弾圧、暴挙でしたが、近年では「なかったこと」にしようとする動きも活発です。

 恐怖政治に立ち向かい、自由と個人の尊厳を求めて立ち上がった勇気ある人々に哀悼の意を捧げます。


 さて、今年は香港で毎年行われていた追悼集会が禁止されると言われています。

 他の集会は許可されているのに、この追悼集会だけを禁止するのは、共産党による恐怖政治が続行されていると断言できます。不許可の理由がコロナ対策とされていますが、それならば他の催し物も禁止しないと話が合いません。

 これが如何に異常なことか我が国の事物で考えてみましょう。

 反政府運動として、我が国であれば安保闘争が挙げられます。

 安保闘争では官憲と学生たちの双方に犠牲者が出ました。仮に学生側の追悼集会を禁止として、政府側のみ許可となれば、どのような騒ぎが起きるでしょうか?

 また西南戦争や明治維新での犠牲者追悼についても、反政府側のみを規制すれば、政府への批判は免れません。

 強権的と言われる明治政府も、幕府派の追悼を禁止はしませんでした。

 幕府派の重要人物、京都所司代を勤めた松平容保(かたもり)公に次のような話が伝わっています。

 維新後、幕府派の重鎮として謹慎処分を受けていた容保公は、処分期間が過ぎて後の追悼式典に出席しました。

 式典主催者は元の藩主である容保公を迎えるに当たり、特製弁当を用意したそうです。

 式典を無事に終えて会食となりましたが、容保公は箸をつけません。

 主催者側に不手際があったのかと尋ねると、容保公は答えました。

「この料理は皆が食べているものと同じか? 私は、私や藩の為に命を尽くした者たちを弔いに来たのであって、ご馳走を食べに来たのではない」

 主催者側は不要な気遣いを詫び、一同と同じ弁当を出したので、容保公はようやく箸を付けました。


 敵味方を問わず弔う我が国の文化を強制するつもりはありませんが、せめて死者を弔う行事ぐらいは認める寛大さが欲しいものです。

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