殺人刀と活人剣
我が国の武道の在り方は、時に難解です。
剣術は殺人術でもありますが、人を活かす術でもあります。
例えば万人を害する人物一人を誅するのは殺人刀ですが、この一人を誅することで万人が救われるならば活人剣です。
軍隊もこういう思想に基づいて運用されるならば、無用な争いを減らすことができるでしょう。
人権を抑圧する無道国家を制裁し、何億もの人々を救済するのは人類全体の幸福です。
一罰百戒と言われる通り、模倣犯を抑止する目的で厳罰を与えるのも必要でしょう。
古代中国では、道路に灰を捨てるのは手首を切るという厳罰が与えられました。
この厳しい罰則規定について、孔子が弟子から理由を問われて問答を行っていますが、厳罰の理由が理路整然としています。
道路に灰を捨てると、その灰が掛かったと口論になる可能性があります。
口論が過熱すると暴力行為や刃傷沙汰に発展し、最悪の場合は死人が出ます。
ですからそのような事件が起きないよう、手首を切るという厳罰で、道路に灰を捨てさせないようにしていると。
近代刑法は罪刑法定で、量刑という「犯罪に見合った刑罰」とされています。
ですが、犯罪抑止力としては頼りないですね。
犯罪で得られる利益が霞むぐらいの厳罰を与える方が、犯罪抑止力として有効でしょう。
それこそ、ちょっとしたことで死刑(殺人刀)になる量刑であれば、犯罪のない平和な世の中(活人剣)になるかもしれません。
恐怖政治と紙一重ですから運用が難しいですが。