◆38 今年はなんだか夏休みっぽい(咲子視点)
「ようやく新婚旅行に行く気になったの!?」
夏の有給の申請をすると職場の上司が声を上げた。
新婚旅行とか……この年で再婚でないでしょう。
「いえ、家族旅行で……」
「あ~莉奈ちゃんだっけ。まだ小学一年生だもんね~そういや幸星君は元気?」
小学一年生という言葉で、幸星のことを思い出してくれたのは、この上司が小学一年生の幸星と会ったことがあるからだ。
前のろくでなしの旦那が幸星にアイロンを押し当てた時に、幸星抱えて裸足で逃げ出して職場に駆け込むと夜勤シフトだったこの上司が形成外科に連絡入れて、速やかに処置してくれた過去がある。おまけに離婚もこの上司の紹介で弁護士入れて速やかにできた。頭が上がらないのです。
「おかげさまで高校生になりました」
「え~早いわねえ~あの小さかった幸星君が高校生~身長なんて抜かされてるんじゃないの?」
「はい」
もう一人の息子優哉君の方が隆哉さんに似て、幸星よりも背が高いんですけれどね。
多分幸星は170センチぐらいなんじゃないかな……。優哉君はバスケ部だし180ぐらいはありそうだけど。
「田村、じゃなくて真崎さんも子供が増えて大変なのに、時間調整だけでやってきてるんだもの、OKOK」
「幸星が家族の料理とか頑張ってくれているので、時間調整だけで済んでいるんです」
「うっそ、高校生料理男子!? スペックよくない!? 文英に入ったんだよね? 結構進学校の部類よね?」
本人は優哉君より出来ない子だから~なんて言ってるけど、全然頑張ってる。
むしろ中学の時よりも頑張ってる感じがすごい。
隆哉さんもすごく感心してる。
優哉君も莉奈ちゃんもうちの子達はいろいろ自分のことをしてくれてる。
莉奈ちゃんは上履きは自分でいつも洗うし、優哉君は結構まめにお掃除してくれて。
そんな様子を見て、隆哉さんが二か月ぐらい前から、家族旅行を企画してて、この日はみんな予定を空けておいてねなんて言って……お盆時期になるから、混雑するかなとも思うけど、みんなが休みになるのはその時期だからしょうがない。
職場はお盆も正月もないところだから、お盆休み期間に有給の申請をするのは気が引けたけど、今までお盆も正月も出勤していた方だから、新生活になって環境も変わるだろうと上司は思っていたみたいだ。
「幸星のいい気分転換になればいいんですけどね」
「幸星君どうしたの?」
「元旦那にばったりあったんですよ。優哉君が連れて帰ってきてくれたんです」
それを聞いた上司は目を細めた。小さい頃の幸星を知ってて、幸星も無邪気にこの人にはいろいろ伝えてたこともあるからだろう。
「うーん……ひどいようなら心療内科って手もあるけどねえ」
「ええ、本人は今いつもどおりふるまってくれてるんですけど、様子見てみます」
「そう、でも、相手のお子さんも幸星君とうまくやってるんだ、同い年だとぶつかりそうなんだけどね」
「そうですね、タイプは別なのに結構うまくやってくれていて安心してます。あ、305号室の木田さんのバイタル確認してきますね」
「はーい」
帰宅すると、幸星がいつものように夕飯を作っていて、そして優哉君と莉奈ちゃんは旅行のパッキングをしていた。
旅行といっても、二泊三日国内温泉旅行ですけれどね。
優哉君のパッキングを見てるとあれ……もしかして……。
「優哉君、もしかして幸星の荷物?」
「俺のは終わってるから」
合宿や遠征で荷物を纏めるのには慣れているので、彼自身の荷物はもう詰め終わったらしい。
「一応、親父の服とかはベッドの上に置いてるから、親父に聞いてください。親父、これじゃヤダ、アレがいいとか言うし」
お洒落さんだからねえ。
「ありがとね」
「咲子ママ、莉奈もやったの!」
「どれどれ~あれれ~」
莉奈ちゃん、バッグに入ってるのは服じゃなくてぬいぐるみさんたちじゃない。
しかもそれだけ。
優哉君はあえて何も注意しなかったのね。
「莉奈ちゃんぬいぐるみさんいっぱい連れてくと迷子になっちゃうよ~一つだけにしようね」
「え……まいごになっちゃうの?」
莉奈ちゃんが不安そうな顔になる。
「お留守番してもらわないと。おうち守ってもらわなくちゃ」
「おうちでおるすばん……おうちまもってくれる子がいるのね」
「そうよ、連れて行く子は一つね」
「一つ」
いろいろぬいぐるみを持って、どこの子がおうちを守ってくれる強い子かなと呟いてる。
「持っていくのはお洋服です。おでかけだから、可愛いの持って行こうね」
「かわいいの!」
幸星はキッチンカウンターに出来上がった料理をトントンと乗せて、小皿やお茶碗を用意してくれてる。
再婚の話が具体的になってきたとき、家族が増えて家事の負担がかなりのものだと予想をしていたのに、その予想を裏切った真逆な生活だ。
「キリがいいところでご飯にしてくれ~」
幸星がそう言った。
「はあい」
隆哉さんは最近遅いので先に子供とあたしとで夕飯を頂いてる。
幸星を見ると、先日の具合の悪さはやはりメンタル的なもののようだ。
メインの量を少なくしてはいるけどちゃんと食べてるようだし、安心した。
「温泉楽しみ……でもなあ、ちょっと躊躇っちゃうな」
肩の火傷の跡を気にしているのよね……小学校の時それでいじめられそうになったし。プールに入ったら大変ってことにしようかってことになって、それ以来同じ理由をつけてるけれど……。温泉なら別にそれを見てもまさに湯治に来てるぐらいにしか思われないかもしれないし……。
「大丈夫だろ、お前、プールの時はどうしてたんだよ」
優哉君がお替りを幸星に頼みながら質問してる。
「あんまり人に見せたくないし、いやでも見ちゃうだろ、だからオカンに頼んで塩素ダメってことに申請してパスしてきた」
「まじかよ。お前修学旅行どーすんだ」
「そこは個室の風呂の使用を許可してもらうように交渉する。箱根のセミナー合宿の時もそうしてたし。別に大浴場使ってもいいんだけどね、でもこれは普通に引くだろ、最近の若い子は繊細だから」
ちょっと幸星アンタも最近の若い子でしょうよ、何言ってんの。
「海水浴はないけど、漁港とか行く? オレ最近動画で魚の捌き方なんか観てんだけど、ちょっとやってみたいなー」
「まじか、今度やってみて」
「三枚おろしぐらいならできそうなきがするんだよねー」
……あたしもできないのに。幸星の料理スキルあがってない?
「夏場だからさ~さっぱり系で、鯵の三枚おろしからの鯵刺しとかさ~アニサキスが気になるけど」
「それは是非」
「優哉好き嫌いねーよな」
「莉奈も!」
「莉奈ちゃんにもそう言われたら頑張っちゃおっかなー。でも行先が伊豆下田ならキンメかね? キンメは煮つけの方がいいんだよね」
……いや、幸星、お母さんにもそれ教えてください。
旅行当日。
お盆期間だから道路渋滞を見越して早起きで支度して出発。
優哉君もあたしも朝早いのはOKだけど、幸星も早起きになったな。
隆哉さんや優哉君のお弁当作ってるからだろうけど。
莉奈ちゃんは起きたけど、眠い目をこすってて、幸星が抱っこしてる。
首都高から東名高速に入って向かうは伊豆下田。
助手席にあたしが乗るけど幸星と優哉君は莉奈ちゃんをはさんで後部座席に。
「あんまり車にオーディオ系積んでないよ?」
「ラジオの方が交通状況入るからラジオでよくないですか?」
隆哉さんの言葉に幸星が返した。
「俺もラジオめったに聞かないからラジオがいい」
優哉君もそれでいいそうだ。莉奈ちゃんは猫みたいに丸くなって幸星の膝に頭を載せてる。
そして今回いつもお気に入りのうさぎのぬいぐるみを抱っこしていた。
「優哉、莉奈ちゃんのシートベルト頼む。隆哉さん、海老名あたりで休憩でしょ?」
「うん」
幸星が隆哉さんに尋ねた。
中学の時と違って、結構外にでかけているからなのかな?
今回の旅行のルートも把握してる感じがする……。
「高速道路サービスエリアグルメも期待」
「それな」
幸星と優哉君は本当に仲良くやってくれてて助かる。
再婚して一緒になった優哉君と莉奈ちゃんとちゃんと兄弟してくれて、普通の兄弟よりもケンカもないし……。
人見知りで引っ込み思案だと思ってたけど、高校に入ってからかなり成長してる。
莉奈ちゃんが寝ている間は沈黙かなと思ったけど、二人でラジオのパーソナリティの会話に相槌をうちながら車の中は賑やかだった。
途中で渋滞に巻き込まれたけど、一般道に入って、伊豆下田へ。
道の駅は結構大きくて、そこでお昼にした。お昼食べた後でも優哉君が名物バーガーを買っていたのはさすがというか……この子よく食べるけど太らないのよ。羨ましい。
伊豆急下田駅まで行って、そこで黒船の模型を見て莉奈ちゃんは「お船、黒いの」と呟いている。明日は黒船クルーズをするみたい。隆哉さんが莉奈ちゃんに「明日はこのお船に乗るよ」と囁いていた。
そこからロープウェイに乗って、寝姿山自然公園に。
「なにこれお空に浮いてるの!」
ロープウェイに乗った莉奈ちゃんは窓ガラスにぺたーと額をくっつけてるんだけど、幸星のシャツをぎっちり掴んでる。
「ほら、莉奈ちゃん海が見えるよ」
「わー莉奈、海はじめて~」
「おい。幸星、縁結びのご利益あるぞ」
「わかった、オニイチャンに素敵女子が現れるようにお願いしとく」
「ちげーだろ」
「いいやちがくない! だいたいお前はモテるのに、なんか変なのも、もれなくついてくる気がする」
その会話を横で聞いてた隆哉さんとあたしも、幸星の言葉にはなんとなくわかる気がするなと思った。
バレンタインのチョコの件とか訊いちゃうと、幸星の言葉を否定できない。
「あー」
「うーん……」
「何故そこで親父も咲子さんも納得すんの!?」
「僕も幸星君の言うように、優哉に素敵女子が現れますようお願いする」
「あたしも~」
「いいよ、俺だけ幸星と水島さんが上手くいくようにお願いしておくから」
優哉君がそう言うと、幸星は、顔を真っ赤にしてた。
付き合ってないもんね。確かに。そっちもお願いしておこう。
ああ、こんな日が来るなんて、思わなかったな……。
幸星と二人で生きて行こうって思ってあの冬の日に、裸足であの男から幸星抱えて飛び出した時……家族が増えて、ニコニコ笑って、みんなで旅行なんて日が、あたしの人生にあるなんて。
「隆哉さん」
「うん?」
「ありがとう。あたしと結婚してくれて。こんな風に家族旅行なんてできるとは思わなかった」
あたしがそう言うと、隆哉さんは、にっこりと笑う。
「それはこっちのセリフです。咲子さんありがとう」
こんなことサラっと言えちゃう人って、なかなかいない。
……あたしの旦那様……見た目も中身もイケメン過ぎる。
「咲子さんは、幸運の星を連れてきてくれた人だからね」




