狙われた王女 2
「・・・ル・・・・ア・・・コル起きろアルコル、朝だぞ」
自分を呼ぶ声で目が覚める。
重い瞼を持ち上げて最初にに目に留まったのは、夢に出て来た時よりも幾分か年を重ねた父の顔だった。
腰元まであった髪は肩の上くらいで切り揃えられ、怪鳥の嘴によって穿たれた筈の右肩からは出血しておらず血塗れた制服は汚れ一つない白だ。
ぼんやりとしてまともに働かない頭を動かして俺の顔を覗き込んでいる父さんの顔を同じ様に見張る。
顔色は夢の中より断然良いが、少しずつ悪くなっている気がする。それでも夢の中で大量の血を流し倒れている時よりはましだが、どうしたのだろう?
「アルコル・・・具合でも悪いのか?」
「・・・・・・?」
「最近起きてくるのが遅くなっただろう?いつもは一番に起きて来て朝食の準備をしていたのに・・・・」
父さんの顔色が悪かった理由はどうやら俺にあったらしい。
俺の黒髪をそっと撫でながら窺う様に声を掛けてくれる父さんに心配させたままではいけないと笑顔をみせる。
「・・・顔がへにゃってなってるぞ・・・・・?」
・・・・・どうやら不評だったらしい。
ついでに頭を撫でる手も止まっていたので不満気に父さんの顔を仰視した。
俺の不機嫌そうな表情に父さんは苦笑し、優しく頭を撫でてくれる。
コロコロ変わる父さんの表情に昔の様な翳りは見当たらない。
(・・・・昔か。そんな風に思うほど夢になじんだのか・・・・・まるで、俺自身があの場所にいたみたいに・・・・俺の記憶の一部みたいに・・・・・・)
夢の内容が頭から離れない。
昨日の事のように鮮明に思い出せる。
最近はずっとこんな夢ばかり見る。
実際に有った出来事なのか、俺の空想なのか確かめたい気持ちはあるが夢の中の事が本当に父さんの過去だとしたらなら聞かれたくない筈だ。
いつまでも起きる様子の無い俺に対して父さんの顔色がまた悪くなるのを見て、俺は慌てて起き上がろうとした。
「無理をするなっ・・・・具合が良くないなら・・・・・」
父さんの言葉を遮りベットから下りると何でも無いと言う。
不安そうな父さんに心配はいらないと念を押して、着替えてすぐに下りるからと伝えて半ば追い出す形で部屋の外に父さんを追いやった。
扉を閉めようとすると外側の取っ手を父さんが掴んで止める。
俺を探るように見た後、俺の背後に視線を向ける。
「本棚に入りきらない本は処分しておけよ?」
笑顔でそれだけ言うと扉を閉められた。
ちなみに目はまったく笑っていなかった。
(怖いっ!!・・・・すごく怒ってる・・・・まぁ、悪いのは俺だしなぁ・・・)
俺は震えながら後ろを向くと自分の部屋の有様を見てしくじった事を悟った。
窓辺に置かれた卓の上に積み上げられた大量の本、それらは昨夜俺が読み漁り絨毯の上に放置していた物だった。
量が多い事はまだ良い。
いつもの事だし、整理すればいいだけの事だから父さんもそんなに怒ったりしない。
でも、本の内容によっては違う。
俺が昨夜というか最近読んでいる本は病気や黒呪術、心理学の分野であり一通り読んだ事がある物ばかり。
俺の記憶力は並外れていて良いらしく、知識欲が旺盛なことも相俟って一度目を通した本の内容を忘れる事はほとんど無い。
故に読み終わった本は気に入った物以外全て売るなり捨てるなりしている。
今ここに有る本は有ってはならない物だ。
出来る限りいつもの様に振る舞ってはいたが、俺の様子がおかしい事は少なからず気づかれていただろう。
俺が病に侵されていたり呪いによって苦しんでいたのだと、心配させたくないから隠していたと思われたら・・・・・
(父さん達は自分を責める・・・どうして気づかなったんだって・・・・・
俺が言わなかっただけなのにっ・・・・・)
まだ、原因はわかっていない。
そもそもこれが病気や呪いの所為なのかすらわかっていないのに。
単純に俺自身の問題かもしれない、いやたぶんそうなのだろう。
あらゆる本を読んだが当て嵌まる症状は無く、呪術の解除方法も色々と試したものの全て効果が無かった。
いつもなら綺麗に片づけてからベットに入るのに読み終わった本を床に散乱させたまま薬を飲んでそのまま寝る程に成果が出なかった。
「・・・・薬?ぁああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!」
(薬箱が無いっ・・・・・卓の上に置いておいた筈なのに・・・・・・)
床やベットの下、クローゼットの中などを探すが見つからない。
薬箱に気づいた父さんが持ち出した可能性を考えて膝から崩れ落ちそうになった
その時、妙案を思い付きなんとか堪える事が出来た。
(そうだっ!元々兄さんには怪しまれていたんだし、これを機に打ち明けて協力してもらおう。追加で兄さんに頼まれたって言えば怪しまれない筈・・・・
そうと決まればっ)
チェストの前まで早足で移動し中から薬を作る為に必要な物を取り出して蓋を閉じる。
ふと他にも思い付いてもう一度蓋を開き、涅色の頭に水色のパジャマを着た人形を取り出す。
「・・・ラモスさん人形パジャマセットバージョン、作っておいて正解だったな。薬の作り置きをしていなかったが為に、わざわざ自作の薬を貰うはめになって口止め料として甲冑バージョンを渡したんだよな・・・・・・」
人形を渡した時の兄さんの笑顔を思い出し次はキグルミバージョンをつくろうかななどと考え、頭を振って人形への想いを払う。
「キグルミといえばクマだよなぁ・・・ウサギにニワトリ・・・でもやっぱり
ラモスさんなら猫かな・・・・・って違うっ!!人形の件はおいておいて薬
・・・・・薬作ろう」
兄さん用の薬の効果を思い出して顔が歪む。
即効性はあるが効能は長持ちせず3時間程で効き目が切れてしまう。
眠る事を嫌う兄さんとっては丁度良かったかもしれないけど、俺は睡眠薬の効能が切れてもすぐには起きられない。
夢を見るのが怖くて眠る事が恐ろしい・・・兄さんが何故眠る事を恐れているのかは教えてくれなかったけど、怖いのだと言っていた。
今の俺は兄さんと気持ちを共有出来るんだなと思うと少し救われた気分になる。
彼是と考えるのはやめて調合を始めようとした俺の耳にノックの音が聞こえ、後れて涼やかな声が掛けられた。
「・・・・・兄さん、早く来ないと父さんが朝食抜きになるんだが?」
「・・・・・!ごめんっ・・・・すぐ下りるからっ!!」
今が何時なのか完全に忘れていた。
慌ててクローゼットから上下で揃えられた一着を取り出すと手早く着替え、姿見の前に立つ。
背中辺りまで伸びた少し癖のある黒髪を後ろで一纏めにして全体を見直す。
どこにも乱れが無いか確認し、最後に気合いを入れる為に両頬をぺちっと叩く。
「よしっ!今日こそはミルにちゃんと俺の気持ちを伝えないとな・・・・・・好っ・・・・すっすすす・・・・・・愛・・・・・・・・うぷっ」
本人を目の前にした訳でもないのにいつもの眩暈がして頭が痛い、吐き気が込み上がってくる。
5年前、ミルクリウスへの想いを自覚した時から。
彼女の傍に居たいと思えば思う程、嫌悪感が募る。
心と体がまるで別の物の様に、其の実心の底から激しく増悪する。
けれど、同じ位恋しいとも思う。
この悲しみと愛しみは誰に向けれた物なんだろうか。
愛しい気持ちはミルクリウスに向けた物、なら悲しい気持ちは誰に向けた物なんだ。
これ以上は気を失いかねないと思考を遮断すると、途端に焼き菓子の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「・・・・・ヴェル、そこに居るのか?」
俺の予想を裏切って弱々しい声が出た事に苛立ちながら平静を装い扉に近づいていく。
取っ手に手を掛けゆっくりと扉を開けると、俺の瞳よりも黄みの強い黄緑色の瞳を不安気に揺らす妹の姿があった。今にも泣き出しそうなヴェルにどうしたんだと問うと不安気に揺れていた瞳をつり上げて怒鳴った。
「どうしたのはこっちのセリフだよっ!!いつまでたっても下りて来ないしっ・・・・・先の声は何だよっ!!・・・・・消え入りそうなっ怖いっ・・・・声だった」
俯きがちに俺の顔を見詰めてくるヴェロニカの姿に、数秒前の自分を無性に殴り付けたい衝動に駆られるも全身の筋肉を使ってそれらを押さえ込む。
表情筋を総動員させどうだと言わんばかりの笑顔を浮かべた俺はヴェルの青緑色の髪を撫でた。
それに気付いたのかヴェルの頭が少し下がった。
妹は俺より少し背が高いのだ。
俺は下りようかと言って廊下を歩いていく、ヴェルも緩慢な動きで後ろを歩く。
ヴェルの瞳は不安気に揺れていた。
階段を下りきり食卓へと向かおうとすると後ろから袖を引かれて振り返る。
「もがっ?!!」
「・・・・・・今日のマドレーヌは焼きが良いだろう?」
ヴェルが俺の口に詰込んだマドレーヌは焼きたてらしくしっとりとしていてとてもおいしい。
ヴェルの顔を見ればニヤリと笑っていて、釣られて俺も笑ってしまう。
母さんの俺達を呼ぶ声に二人揃って勢い良く返事をして競う様に食卓についたのだった。
団欒の一時を過ごし、父さんは大慌てで家を出て行った。
その後を追う様に俺はヴェルを連れて我が家を出る。
父さんの忘れ物を手に、いざっ戦場へっ!!