第六話 : 柔らかい感触
「ぅぅぅううううわぁぁぉぁぁ!!」
地上約4メートル位に開いた穴から、俺は落ちている。クラスメイト、滑河が放ったワープ能力のせいだ。
走馬灯が見れるかな?とか、一瞬思ったが、たかだか4メートルなのですぐに地面に叩きつけられる。
右肩を強かに打った。
「ぐへぉ、……痛い」
またしても地面に寝転がる体勢になる。本日三度目。痛めた右肩を摩りながら、周囲の状況を確認する。
えっと?まず、俺は今異世界にいるんだよな。んで、ここは何処だ?滑河の能力で飛ばされたらしいが……。
どうやら、森、いや密林の中にいるみたいである。空は木々に閉ざされて、光は僅かに漏れ出している。聞いたこともない生物の鳴き声と乾いた風。
ポケットに手を突っ込んでみたら、バキバキに割れたスマホが出てきた。落下した衝撃で、壊れてしまったらしい。電源を押しても起動しない。
「あぁ、やっぱり壊れてる!……ちょっとまって、FG○のデータヤバい気がするんだけど?」
俺は結構慌てふためいた。それなりにいいデータだったし、リセマラ頑張ったからだ。
結局、引き継ぎ画面のスクショがSDカードに入っているのを思い出したので、少しだけ落ち着いた。
「いや、ゲームのこと考えている場合じゃないのは分かってるんだけどね……」
俺は自嘲気味に呟く。
どう考えても危ない状況。
助けてくれる人もいないし、どんな狂暴な生物が潜んでいるか分からない。
なのにゲームのことを考えてしまうのは、多分、こんな現実を認めたくないからなのだろう。
もう少しだけポケットの中を調べていると、何か四角く薄いものに手が触れた。
さっき配られた茶色いカードだ。
素材は厚紙のような、金属。
大きさは一般的な定期券より一回り大きい。
右側、三分の一程度の範囲に白い線で書かれた円があった。その反対、左側三分の二程度の範囲には、罫線が数本引かれている。
意味があるのは分かるけれど、如何せん使用方法は全くもって知らない。
今、持っていても邪魔なだけなので、とりあえずポケットにしまう。
まず水を確保しないと……。
ここでこのまま眠って、実は夢落ちでした、なんて起こるはずがない。
生きるためには水が必要不可欠だ。
食料はまぁ、後回しにする。
その時、俺は太郎からもらったアジダスの袋を思い出した。
「そうだ、アジダス……」
仰向けのまま手当たり次第に周囲を触る。
草の感触、土の湿った感触、石の硬い感触。
ムニュって感触。
は?
ムニュ、ムニュ。
変なキノコでも触ったのか?
でも、俺の知ってるキノコより何十倍も柔らかかった。さすが異世界だなあ。
もしかしたら食料にできるかもしれない。一応収穫しとこうと思い、手に込める力を強めた。
ムニューぅ。
なかなか採れない。
左右にひっぱったり前後にひっぱったり、俺は何とかして採ろうとする。
パァァァーン!!!
その瞬間、俺の頬に乾いた音と共に鋭い痛みが走った。
◇
「イッッッテーーーー!!嘘だろ、マジで痛いんだけど……」
俺はあまりの痛みに地面で転がり回る。
頬には絶対に真っ赤な手形がついている。ついてなければおかしい。それぐらいの威力だった。
痛みの原因を探してキョロキョロしたら横に時雨京香が真っ赤な顔をして俺を見ていた。
「えっ……。えっ?ゴメン、今何が起きてるのか全然わかんねえ」
率直な感想がつい口から出てしまう。
何で、時雨がここにいる?
ワープさせられたのは俺だけじゃないのか?
んで、キノコはドコイッタ?
後、アジダスは?
俺の頭の中ははてなマークでてんやわんやだった。
「……何言ってるの?自分が何したのかも分からないの?」
涙目になっている時雨がジト目で、睨んできた。
「いや、分かんないってちゃんと言ってるから……。で、えっと、俺何したの?」
「……本当に分からない?」
「うっ、うん」
もちろん俺は大体のことを察している。
あの柔らかさはキノコじゃないことは明白。
女の子か、もしくは相撲取り特有の胸の膨らみを触ってしまったかもしれないと。
完全にアウトな痴漢行為で、元いた世界だと普通に捕まってしまうなぁと。
けれど、時雨本人が認めないと罪は罪じゃない。
そう考えて、とぼけている。
こんな時までリスクのことを考えてしまう。ホントに最低だな、と俺は自分を評価した。
「自分でしたことも分からないなんて最低ね」
おっしゃる通りです。
「あの……その、あ、あなたが、私のおっ、……ぉっぱぃ……揉みしだいてきたんでしょ!」
恥辱にまみれた表情で時雨は訴えてくる。
さすがにバツが悪くなりしらばっくれるのを止めて俺は謝った。
「うっ……はい。わざとじゃないけど、すいませんでした。……でも揉みしだくって表現は悪意があるだろ。俺だって揉みたくて揉んだ訳じゃねえし!」
「へっ?あぁ、ちゃんと謝るのね。けれど、揉みしだくって表現は間違ってないじゃない!!執拗にこねくり回してきたんだから!あと、何なの?揉みたくて揉んだ訳じゃないって!?反省してないの?」
時雨は立ち上がって、側にあった手頃な石を手に取り詰め寄ってくる。そこには確かな殺意めいたものがあった。思わず冷や汗が出てきて、
「反省も何も揉んでから数分も経ってない……。自己を省みる時間が与えられていないんですが?その前に、石は止めろ、石は!死ぬから!」
「ーーーッ!揉む揉む言わないで!変態ッ!屁理屈!」
時雨は手に持った石を振り回す。
「うわっ!あぶねぇ!てか、お前そんなに饒舌だったっけ?」
さっきまでの無口だった時雨とまるで違う。
クールビューティーはどこえやら。今はキャンキャン吠える犬のようである。
誰であっても別人と見間違えるだろう。
「私、人見知りで人の視線が苦手なの。だから一対一じゃないと人と話せない……」
時雨は俯きがちに答えた。手にはまだ石がある。
それを見た俺は表情をひきつらせながら、
「あっ、そう……。まぁ、俺もそんな感じだな。大人数は苦手だ」
「そう……」
「……とりあえず、石置いて座ったら?俺も座るし」
「うん、そうする……」
沈黙が横たわる。
きっ、気まずい……。何とかして会話を続けないと。
幸い質問したいことは山ほどある。
この世界の仕組みとか。カードの意味とか。
さっき、何で泣いていたのか、とか。
でも青空の言葉を借りると俺の自業自得なんだけど。
何から聞こうか、それとも水場に移動しようか、考えていた時に時雨から声がかかった。
「……そういえば聞いていなかったのだけど、あなたの名前ってなに?その前に私の名前知ってる?」
「……最後の嫌み?」
「いえ、純粋な疑問だったのだけど……」
「お前は自分が有名だってことを知るべきだ。時雨京香」
「あっ、知ってるのね。でも私、別に有名じゃないわよ」
時雨はきょとんとした顔で俺に言う。
それを聞いた俺は呆れて、
「何言ってんだ、お前?自分がどんな価値を持ってるか客観視しろよ。そうじゃなきゃただの嫌なやつ認定されて、虐められるぞ」
価値とは、端正な顔とか、豊かな胸とか、豊かなむ……
「価値なんて、こうなった今はもう、どうでもいいもの。それで?あなたの名前は?」
そう語った時雨の顔は少し影を含んでいる気がした。
何か事情がありそうだが俺はめんどくさいので聞かなかった。
「あっふーん。んで何で俺の名前を聞く?」
「知らないから。いつまでも『あなた』なんて不便じゃない」
「うん。まぁ、それはそうなんだけどねぇ……」
俺は今までの高校生活を特別目立つことをせずに過ごしてきた。名前を知らないのも無理もない。
俺自身、面と向かって名前を聞かれたのは何年かぶりだ。
一瞬、俺は『あなた』呼びって新婚みたいで、割りとゾクゾクしたんだけどなぁ、なんて馬鹿なことを考えてしまった。
あなた呼びがいいから名前を教えなくていい?と時雨に冗談で言おうとしたら、時雨は口をパクパクさせ目を見開いていた。
「ゃ、やっぱり変態じゃない!この変態、変態、ド変態!」
「え?俺口に出してた?」
「そうよ!何よ新婚って本当に気持ち悪いわね。あと職員室でのこともそうだし。……もういい、私これからはあなたのこと『オス』って呼ぶことにする。理性の無い『オス』」
職員室のこととは、太郎とのやり取りを指しているのだろう。
時雨の容姿で詩(駄文)を作ってしまったのを今更ながらに悔やんだ。
「『オス』って地味に嫌だな。やめてくんない?」
「黙りなさい、オス。オスが喋るだけで息が詰まりそうになるわ」
「だから『オス』呼びやめろっていってるじゃん!何?お前って人の話聞かないの?ちゃんと名前言うから聞けよ」
「別に言わなくていいわよ、聞かないから」
「そこは聞けよ…」
「はぁ…。それで?名前は?」
「……何か、改まったら気恥ずかしいな」
「早く言いなさい」
「えっと、あーはい。長沢高校二年。好きなものは意味のない考察。嫌いなものは一方的な正……」
「早く」
「はい。東のn……」
俺が名前を言おうとした瞬間、背後の暗い茂みからこの世のものとは思えない咆哮が聞こえ、俺の声は掻き消された。
ラッキースケベ、ダメ絶対