砦に見えた白い影。
彼女たちはたまたま運よく逃亡に成功したと言っていた。
マイリージャに送られる為に牢から出され馬車に乗せられたのだがいつまでたっても誰も戻って来ない。
周りを見渡すと誰一人彼女たちを見てる者もおらずに扉も開いていた。
そこで二人して逃げ出してきたというのである。
そのまま走って走ってここまで来たが追手がかかったらしくて見つかってしまったという事らしい。
「なんか軍隊にしてはずいぶん抜けた軍隊みたいね。」
「地方の出張所の軍隊は本部の目が届かないので、モラルが著しく低下している様ですね。」
娘たちの話ではあと2人の娘がさらわれて砦の中に囚われているとの事である。
「それじゃ一刻も早く彼女たちを街に連れて行って自警団かなんかのの出動を頼まなくちゃ。」
「はい、急がないと残った二人が後方に送られるか、最悪の場合殺されるかも知れません。」
ピクシー族の娘が言う事にはこれまでも町の自警団が何度も砦を立ち入り検査をしたが証拠が見つからなかったらしい。
「証拠隠滅って事ね?」
「それだけではありませんさっき逃亡した三人がこのまま済ますとも思えません。砦に帰って増援を頼んで彼女たちを取り返しに来るでしょう。」
シドラに言わせるとそうやって取り返すつもりで有れば一人だけ砦に帰り残った二人でエマ達を付け回す事が考えられるらしい。
「彼女たちを急いで街まで送り届けないといけなわね。」
エマはそう思った物の彼女たちをここに置いて行くことは出来ない。
しかし逃げた兵士をそのままにすれば砦にいる二人が危ない。
エマに出来ることはなるべく早く街にこの事を知らせて自警団に残りの二人の救出を頼む事だけであった。
ところがシドラの驚くべき発言を聞かされることになった。
「それは出来ません。」
「なに?シドラ、アンタ何でそんな事を言うの?」
「エマさん、あなたは私の保護下にあります。あなたを害するものから守るのは私の仕事の範囲内です。しかし彼女たちは私の保護下にある訳では無いのです。」
「だってさっきはこ の子達を助けたじゃないの。」
「その女性達を守ったのでは有りません。その女性達を守ろうとしたあなたを守ったのです。」
「それじゃあ私がこの子達を庇わなかったら?」
「エマさんが傷つく危険が無ければ彼らの邪魔はしなかったでしょう。」
つまりエマは守ってもこの二人の事を守るつもりはなく、何が起きようとそれは人間同士の問題だと言っているのである。
「なんて事言うの?この子達が殺されても知らん顔をするつもりだったの?」
「はい、そうです。それがウィザーの戒律ですから。」
ウィザーの戒律では人間同士のもめごとには一切介入しないという事は知っていた。しかしそれがここまで徹底した物であるという事に初めて気付かされた。
ウィザーの力は強大あり、それ故人間同士のいさかいのどちらか一方に加担することは固く禁じられていると言うのだ。
それまで信じていたウィザーの仮面の裏側を見せられた気がしてエマは激しい怒りを覚えた。
「アンタって人は~~っ。」
エマは頭に血が上るのをはっきりと感じた。これ程の怒りを感じたことは初めてだと言ってもよかった。
「私は人ではありません。ウィザーです。」
この一言はエマの持つウィザーに対する憧憬を完全に粉砕した。
「この、ぶわかったれ~~~っ」
エマは激情に任せて思いっきりシドラの頭を回し蹴りで蹴り飛ばす。
「あひぇえええ~~~っ。」
シドラは一回転して頭を地面にめり込ませた。
「アンタ達馬車に乗って!逃げた奴らを追うわよ。砦の場所を教えて!」
エマはピクシー族の娘たちに向かって言った。
「え?」
二人の娘は驚いたような顔を向ける。
「で、でも……。」
今逃げてきたところに戻ると言うのであるからそれは躊躇するのが当たり前で有ろう。
「アンタ達の仲間を助けるのよ。その為にはあいつらを何とかして止めなくちゃ。」
「だ、だけど、どうやって。」
「大丈夫あたしに考えが有るから。」
エマは凄みの有る笑顔を二人に見せる。
「ひっ……。」
それだけで二人の心は折れてしまったようだ。
エマは2人を無理やり馬車に乗せる。
「キューちゃんお願い逃げた奴らを追ってちょうだい。」
「きゅっきゅきゅうう~っ。」
機動馬車はいきなり全力で走り始めた。
「「ひえええ~~~~っ。」」
娘たちがそろって悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょっとエマさんどこに行くのですか?」
置いてきぼりにされたシドラが後ろで叫んでいる。
「あ、あの……ウィザーが叫んでますけど。」
「ふん、これであいつは私を追いかけてこざるを得ないでしょう。」
「ぎゅおんぎゅお~ん」
馬が単独で走る位の速度で馬車は走り続ける。
「だけど、ウィザーを置き去りにしたら意味がないんじゃありません?」
「大丈夫!あいつは最強無双のウィザーなんだから。」
エマが再び悪魔のような微笑みを見せる。
「エマさ~ん、馬車を止めてください~い。」
いつの間にかシドラが馬車と並んで走っていた。
「「ウソ~ッ!!」」
エマはウィザーの走る速度は馬より早いと聞いていたので置き去りにする方法に出たのだが、本当に馬と並んで走るとは思わなかった。
それでもエマはこう続ける。
「へっ、思惑通りだぜい。」
背の高い草むらをかき分けながら馬車はすごいスピードで走る。
その横を足首まで有るコートを着た男が一緒になって走っている。
うん、ちょっとシュールな光景だ。
「ちょっと待って!あれはなに?」
馬が止まっており、持ち主の指示を待つかのようにたたずんでいた。
足元には何かが転がっている。
エマは馬車を馬の横に止め馬車から降りてみる。
娘たちを追いかけていた男たちの内の二人であった。
「これは先程の男たちの様ですね。」
「何でこんな所に転がっているのかしら?」
エマは男を蹴飛ばして仰向けにする。
男たちの頭には大きなコブが出来ていて二人共白目を向いていた。
「何者かによって倒されたと見るべきでしょう。」
見りゃ判るわい。
「アンタ達馬に乗れる?」
「は、はい。」
「それじゃこの馬に乗って街に戻って自警団を連れて戻って来て。」
エマは乗り手を失った馬たちの手綱を掴んで娘たちの所に引いてくる。
「あなた方はどうするんですか?」
ピクシーの女性が聞いて来るが、エマはチラッとシドラを見る。
「大丈夫よこの男たちから情報を取ったら直ぐにあなた達を追うから。」
エマの言葉にほっとしたのか娘たちはおとなしく馬に乗る。
「エマさん、すぐに追いかけてきてくださいね。」
二人は馬に乗るとそう言ってまっすぐ街の方に向かって走っていった。
「それじゃエマさん、この二人をどうしましょう。」
シドラはまだ当分目を覚ましそうもない男達を木の枝の先で突っついていた。
ウ〇コじゃないんだから。
「どうもしないわよ。」
「えっ?」
驚いてシドラは声の方をふりかえるといつの間にかエマは馬車に乗っていた。
「行くわよ!キューちゃん!」
シドラを取り残して軌道馬車は全力で走り始めた。
仕方なくシドラもその後を追って走り始める。
「いやあああ~~っ、またですか~っ。」
やがて丸太の壁で囲まれた砦のような物が見えてくる。
エマは馬車を少し離れた場所の草むらに隠して様子をうかがう。
「エマさ~ん。」
いかにも疲れた顔をしてシドラがやってくる。
「なに幽霊みたいな顔しているの?」
「ウィザーにも人権を………。」
「ふ~ん、あれが砦ね。」
結局最後の一人には追いつけなかったようだ。
既に情報は砦に伝わっていると思った方が良いだろう。
「それにしてはおかしいわね、見張りの一人もいないじゃないの。」
「おかしいと思ったら用心の為に引き上げましょう。」
いつの間にかシドラが馬車に乗り込んで来ていた。
エマは黙ってシドラを蹴り出した。
「アンタも一緒に行くのよ。」
「ハイ。」力なくシドラが答える。
「それじゃあとりあえず正面から行ってみましょうか?」
エマは正面の扉に手を掛けると引いてみると、扉は苦もなく開く。
「あら?開いているじゃない。」
「きゅうう~っ。」
キューちゃんも音もなく付いて来る。
入り口の横に一人の男が倒れている。
「この男、さっきの3人組の一人じゃない。」
頭に大きなコブをこしらえて白目を向いていた。乗っていた馬が所在なさげにうろついている。
「おかしいですね、兵隊達は逃げ出したんでしょうか?」
「それにしては手際が良すぎるわね。」
用心深く周囲を伺いながら砦の中に入っていく。
砦はドームの通路入り口を塞ぐように造られており、通路の両端に道が通れる分だけ開いていた。
砦の中はいくつかの建物が造られており鞍の付けたままの馬も何頭か軛に繋がれていた。
「この大きさだと何人くらいいるのかしら。」
「そうですねえアンチョコによると2、30人位らしいです。」
「結構大きいわね。」
エマ達の背後に何か白い影が通り過ぎる。
「はっ?」
振り向いたエマの目の前にシドラの顔が有る。
「どうしました?エマさん、すごく顔が近いですが?」
「いま、何かの気配を感じたのよ。」エマは渋い顔をしながら答えた。
「どこからです?」
「多分あの建物の辺りのような気がする。」
なんとなく大きめの建物が有る、集会場か食堂だろうか?
そっと近づいて窓から中を覗いてみると中に何人もの男達が倒れている。
「死んでいるのかしら?」
「きゅっきゅ~っ。」
キューちゃんの車体の前に有る楕円の物が外れて何やら紐のようなものを引きずってニョロニョロと建物の中に伸びていく
なんかヘビが動いているみたいだ。
「な、なにやってんの?」
「お気になさらずにキューちゃんが目を伸ばして中を確認しています。」
なに?そんな器用な事しちゃうの?
キューちゃんの目が部屋の中をズリズリとはい回るとキューちゃんが声を上げる。
「きゅっきゅーっ。」
「みんな倒れていて動いている人はいないそうです。」
「いったい誰がこんな事やったのかしら?」
「それは先程の二人を倒した人でしょう。」
どうやら何者かが先ほどの娘たちを助けるためにやったことらしい。
結局彼女たちは自力で逃げ出したのではなく何者かによって逃がされたという事のようだ。
「だけど2,30人いるんでしょう。1人や2人で出来ることじゃないでしょう。」
問題なのは何者がこんな事をしたのか?あるいは出来たのか?という事だろう。
「さあ、どうでしょうか?私なら出来ますが。」
なに?コイツのこの余裕の発言は?
「あんた、それが言いたかったの?」
「ウィザーですが、なにか?」
Vサインを出すな!…手が見えないけど。
「だけどなにげにキューちゃんてすごい事できるのね。」
「きゅっきゅうう~っ。」
キューちゃんは嬉しそうに体を震わせる。
用心深くエマ達は部屋の中にはいった。
「うっ?これは?」
エマは急いでハンカチを出すと口を塞ぐ。
「どうしました?エマさん。」
「マンドラゴランの匂いだわ。」
「なんですか?それは。」
「薬草よ、干した根を燃やすと眠くなるの。」
「催眠ガスですか?それでみんな眠ってしまっているのですね。」
「ここはやっぱり食堂みたいね。」
窓の外を覗くと隣にも建物が有る。
「あっ、あれ?」
建物の近くを走り抜ける人影を見るが、あっという間に再び消えてしまう。
「まだこいつらを倒した奴が残っているみたいね。」
「私達を攻撃して来ない所を見ると敵とは見られていないようですが。」
シドラのいう事もいちいちもっともだ。
アクセスいただいてありがとうございます。
主人の言う事よりエマの言う事を聞く使い魔。
「うん、かわいい。」そう思うエマは無敵でした。
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