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骨壷の女  作者: 茶飲吾
2/4

骨壷

 光は去った。

 再びの静寂に包まれた納骨堂に、彼女はとり残された。

 もう一人ぼっちだ。それが彼女の頭に浮かんだ言葉だった。


 会話はしていない。顔もぼんやりとしかわからない。

 それでも、ここに居るということだけで、なんとはなしに仲間のような気がしていた。

 そんなみんなに、置いて行かれた。


 ぽつり。


 そんな音のない音が聞こえてきそうな空虚な空間。

 彼女は皆の消えていった天井を見上げている。

 真っ暗な闇が丸い天井の中心に集まって泥沼の底のように深く沈んでいる。


 こわい。

 

 急に彼女は胸が縛られたような息苦しさを覚えた。

 体が熱く、痺れ、強張り、震える。

 でも止めどなく涙が溢れてくる。


 こわい。でも分からない。なんなんだ。ほんとうになんなんだ。



 苦しむ彼女の背後で、くせ毛の女の子が息を大きく吸った。


「かあああつ!!!」


 彼女の一喝に納骨堂が揺れる。あまりの声量に彼女は恐怖心も体の震えも吹っ飛んで「わぁっ!?」とびっくり叫んでしまった。

 くせ毛の子は「ふぅー」と息を吐いた。

「なんで一人だけ残ってるのよ」

 くせ毛の子が眉間にしわを寄せて彼女を見つめた。

 透き通る瞳が彼女を写す。

「え?」

「あらほんと」

 彼女の言葉に一緒にいた二人も彼女を見る。

「ははーん。お前の大演説も完璧じゃなかったと見えるな?」

 少し目つきが悪いがきれいな女の子がニヤニヤ笑いを浮かべてくせ毛の子を見やる。くせ毛の子は「ちぇー。ま、そういうこともあるわ」と受け流した。


「それより」

 くせ毛の子がぐいっと彼女の頭を引き寄せた。

「この子をどうにか助けてあげないといけないわ。ねぇ。あなたにはこの世に何か未練があるはずよ。それを教えて頂戴?」

 くせ毛の子の真剣な眼差しには威圧されるような迫力があった。本人は大真面目なのだろうが、結果は彼女を怯えさせたのみであった。

「あれ?喋らないわね」

 喋らせなくした本人が不思議がっていた。

 二人の間に割って入ったのは目つきの悪い方の女の子だった。

「あんたね…。人の気持ちっていうか、扱いをもっと知るべきよ」

「じゃ、あとは花子に任せた」

「はいはい…」

 花子と呼ばれた彼女の言葉にくせ毛の子はあっさりと引き下がる。代わりに花子がスライドするようにスゥーッと滑って私の側に寄ってきた。

「ごめんね、驚かせちゃって。私の名前は花子。後ろのかわいいのがなむちゃん。後ろのかわいくないほうが百世って言うの」

「おい?」

 ツッコむ百世を無視して花子は「これを見て」とフワリと宙に浮いてみせた。そして納骨堂の中を一周する。

 彼女はサーカスの空中浮遊を見るような気持ちでそれを眺めた。戻ってきた花子が自分を指差して言った。

「見ての通り私は幽霊なんだ。貴女と同じでね」

「わたし…死んでいるの?」

 そう言いながら、彼女は少し前から実はそうかもしれないと感じていた。

 光の中に吸い込まれていく皆を見た時、ほとんど確信となっていたのだが、改めて言葉にするには余りに違和感があった。

 なぜなら私はここにいて、こうして話をしているのだから。

「そう。私もあなたも死んでいて、魂だけの存在になってる」

「ま、まって。そ、そんなことってあるの?わたし知らないわ」

 幽霊になるだなんてお伽話や幻想小説でもないのに。彼女の知っていたのは『悪いことをすると天国に帰れないよ』というカビが生えた説教文句くらいのものだった。

 しかし花子は首を振り、「あるよ」と断言した。

「いまの自分を見てみなよ。これが現実。見て、感じて、喋って、考えられる。でも」

 言葉を切った花子は彼女の腕を掴む。風船のごとく二人が浮いた。

「うわわ」

「肉の体はない。だからこうして空も飛べるし」

 花子はそのまま彼女を引っ張って、真っ直ぐ百世のもとまで飛んで行く。

 速度を上げて近づく距離に、彼女は思わず体を庇う。しかしその甲斐なく、二人の体はすり抜けた。

「物体を通り抜けられる」

 花子は滑るように元の場所に戻ると彼女の腕を離した。

 支えがなくなった彼女は、腰が抜けて膝を着いた。

「そして本当はあなたも今帰っていった人たちと同じ様に帰れるはずだった。でも、帰れなかった。これにはきっと原因があるはず。私達なら協力してあげられる」

「そ、そうなの…?」

 彼女はほとんど混乱していたが、花子は強く彼女の手を握った。

「ええ。だからまずあなたの名前を教えてくれる?」

「…おきぬ」

「おきぬさん?”きぬ”って漢字で書くと布の絹で合ってる?」

 こくり、と彼女が頷くと花子は満足気に百世へ視線を送った。

「ほら、百世。素直な良い子じゃん。あんたが怖すぎるのよ」

「は~い。気をつけまーす」

 花子はお絹の手を引いて三人の前に引きずり出した。

「よし。話し合うか!」


 なぜこうなったのか。納骨堂の中で四人(うち二人が霊)が円陣組んで座っている。

「さて、どうしようか。やっぱり成仏させてあげたいよねぇ」と花子が口火を切った。

「原因が分かればここで成仏させちゃいましょう。早く片付くに越したことないわ」と百世。まるで業者のような口ぶりだ。

「原因か。ねぇ、きぬさん。気になって心から離れないようなこととかある?なんでも良いんだけれど」

「えっと…。それがよくわからなくって」

「生きていた時の思い出とかでもいいのだけれど」

「それがなんだか思い出せないんです…」

 百世がすかさず言葉を挟んだ。

「どういうことかしら。記憶でもなくした?」

「さ、さあ…」

「ふむ」

 百世が思案顔でお絹を見つめる。

 お絹はたじろいだ、そんなに熱心に見つめられても困る。当事者の私が言うのはなんなんだが、まったく自分の現状が掴めていないのだ。加えて死んだ後に記憶障害だなんて。脳みそもないのに。

「うーん。そんなことあるかな?」

と、はっきりしない花子に、「あなたも幽霊でしょうに」と心の中で突っ込みを入れるお絹。しかし花子と対照的に百世ははっきりと言った。

「ないとは言い切れないわ。魂は思いそのもの。思い出したくないという願いが記憶に封をする場合もあるでしょう」

 それを聞いて花子は手を打った。

「つまりトラウマか!」

 百世は「そうね」と相槌をうった。

「とらうま?」

 聞き慣れない単語にお絹が首をかしげていると百世が説明してくれた。

「トラウマっていうのは精神的外傷とも言われるもので、要するに心が傷つくようなキツイ出来事に縛られ続けることよ」

 理解しきれないお絹に百世は説明を続けた。

「たとえば、信じられないくらい辛いことがあったとき、心は逃げ道を作ろうとするの。ぼんやりしたり、泣いたり、塞ぎこんだり、忘れたり、憤ってみたり、叫んで暴れてみたりとか。自己防衛って言うんだけど、こうすることで心は現実を受け入れる準備をするの。気持ちの整理をつける時間を稼ぐわけね。いわば心の緩衝材みたいなものよ」

 そこまで説明した百世は、はぁ、と溜息をついた。

「でも、そこまでしても受け入れられなくて、理性を捨ててしまう人もいる。発狂してしまうのね。理性も感情も道徳も、一つでも捨ててしまえば狂人になる。人間ってままならないわ…」

 なぜか百世は遠くを見つめて感傷に耽っていた。

 花子は呆れ顔だ。だいぶ大声で思索に夢中になる百世を呼ぶことで、ようやく彼女の意識が現実に戻ってきた。

「と、なるとすぐ思い出して解決ってわけには行かなそうね」

 何事も無かったかのように百世は続けた。

「そうだな。思い出すきっかけから探さなくちゃ。となれば生前の情報を集める必要があるよね」

「本人から出来る限り情報を引き出して使えそうなものから、って感じね。手当たり次第よ。大学の納骨堂の名簿とかあるのかしら」

「そんなのわたしらに見してくれるかな」

 百世と花子の会議が盛り上がりを見せる中、ここまでの話を聞いていたなむが言った。

「なんだかめんどうくさいね」

 百世と花子がなむの言葉に苦笑する。

「心っていうのは面倒くさいわよ」

「なむは単純すぎてわからないかもな?」

 なむは花子のからかいを理解していないのかまったく無視して発言を続けた。

「なんかさ。こう、ドカン!はい解決!って、できないかな」

 なむは表情を変えず拳を握った。

 途端、空気がピリッと痛くなった。その小さい握り拳から冷たい圧力が漏れ出している。

 それを見て百世がケタケタと笑う。

「今回はだめよ?あなたのは強すぎるから」

 花子は完全に腰が引けて両手のひらを振り恐る恐る言った。

「それなら確かに、確実に、幽霊も粉砕できるでしょうけど、根本的な解決にならないし…」

 それを聞いたなむは「そっかー…」と残念そうだ。

 その姿は慰めてあげたい可愛さだったが、粉砕されていたかもしれないらしいお絹は正直ほっとしていた。

「じゃあまずプロファイリングから」

 よく分からない事を言って百世がどこからとも無く紙束を取り出した。

「きぬさん。質問に答えて欲しいわ。まず苗字名前を」

きぬと申します。姓は朝葉あさばです」

「生年月日は?」

「1987年6月6日」

「だからそんな服を着ているのか」と腑に落ちたように言ったのは花子。

 お絹はここで初めて自分は幽霊なのに服を着ていることに気がついた。

「きっと、これがお絹さんにとって一番自分らしい服装なのね」

と、百世。

 お絹が着ているのは白いシャツにロングのスカートというシンプルな服だ。お絹にはこれが自分にとってよく着ていたお気に入りの組み合わせだとわかった。

 みんなはどうなんだろう、と気になり出したお絹は三人の服装もチェックした。

 なむは地味だが品の良い服装だ。スカートや靴もどこかのご令嬢といった雰囲気がある。

 花子は私の近所の子供が来ていたような赤いスカートを肩に回したサスペンダーで止めていた。怪談話のトイレの花子さんみたいな古臭い感じがして、なんだか安心感がある。

 一方で百世は着物だ。懐かしいというより古い。しかも男物のようだった。

 ここでお絹は「あれ?」と思った。実は、おかしいのはこの人達なのでは…?

 疑心暗鬼に陥りかけたお絹の意識を百世の「年齢は?」という声が断ち切った。彼女は反射的に「十六」と答える。

「家族構成は?」

「一緒に母と父と父方の祖父母と私の五人で暮らしてました」

 こうして何十問と質問の答えるうち、彼女らに大きな発見があった。

 それは、お絹の記憶は自分の死ぬ直前から納骨堂に収められるまでの間が抜け落ちているらしい、ということだった。

「ふむ。とりあえず住所が近いみたいだし、ここ行くわよ」

 言うが早いか、さっさと立ち上がって納骨堂から出ていこうとする百世をなむと花子が慌てて追う。

 お絹も追おうしたが、立ち止まってしまった。

 

 この先、私は何を見ることになるのだろう。心が鍵をかけてしまうような何かを思い出すことに、私は耐えられるのだろうか。


 私の怯えを察知したかのように納骨堂の扉の境で百世が振り返った。

「恐れないで。早く一緒に行きましょう」

 彼女は不敵な笑顔で手を差し伸ばした。

「あなたの成仏、この天原百世が請け負ったわ」



 百世が頭を捻っている。なむが頭を傾げている。花子は。

「あっはっはっは!」

 大笑いしていた。

 百世に手を引かれ、いざ行かん!と勇ましく飛び出そうとしたお絹はなぜか納骨堂からまったく出れなかった。

 そのせいで百世はお絹に腕を取られて盛大にひっくり返ってしまい、その勢いの良さに花子は爆笑。なむは様子を見ていなかったから何が起こったかちんぷんかんぷんだ。


 気を取り直して調べると原因はすぐに分かった。

 私の骨壷が堂内にあるために離れられないのだ。

 花子いわく、そんなものに取り憑いてしまうのはこの世の生に相当の執着がある、ということだった。

 なぜそんなにも自分の元体にこだわっているのかは今のお絹には分からなかったが、とにかく堂内から出れるようになる必要があった。

 花子が言った。「じゃあこの壺もっていけばいいじゃん」

 なるほど、と花子の案に賛成して百世が壺を持ち上げる。

「う」

 百世から変な声が漏れた。

 骨壷は厚い。それなりの重さがあるために長時間持ち続けるのは大変だった。

 いきなりお絹の成仏は暗礁に乗り上げたかと思われた。

 しかしこれもまた解決は早かった。

「なむ!これ持って!」

「え、うん」

 なむは片手でひょいと壺を持ち上げると大事そうに両手で抱きしめるように抱えてくれた。

 お絹は驚いた。

「なむさんは力持ちなんですね…」

「なむはすごいぞー」

「毎日すごい鍛えようだからな」

 百世と花子が褒めるとなむは照れ隠しに、えへ、とはにかんだ。

 人は見かけによらないものらしい。

 なむの可愛らしい小さな顔をお絹はまじまじと見つめた。


 初っ端の問題を乗り越え、納骨堂の扉を抜けると強い日差しが辺り一面を焼いていた。

 日陰で湿っぽい納骨堂とは打って変わっていたるものが白く照り返している。

 お絹が「暑そうだ」と思った直後、彼女の体の奥から熱気が立ち上ってきた。

 ほんとに暑くなった。

 しかし日陰から出るときに感じるようなむわっとした感触は無かった。

 どういうことだろう、とお絹の頭に疑問符が浮かぶ。


 それを知ってか知らずか、百世がうんざりした調子で言った。

「うわぁ。納骨堂の中も大概だったけど、やっぱり直射日光があると段違いね…」

「あんた暑いの苦手だもんね」

「こればっかりは霊体のあなたたちがうらやましくなるわ」

 あの中暑かったんだ、とお絹は今更ながら知った。

 霊体というのは元の普通の体とは勝手がまったく違うようだ。

 ここでお絹は閃いた。

 もしやと思い、目を瞑って北極の吹雪を想像してみると今度は凍えるほどの寒さが押し寄せてきた。

「ぶえっ!?さっ、さぶっ!?」

 お絹は自分で自分のしたことに驚いてしまう。

「なんか冷たい」

 と、骨壷を抱いていたなむが呟いた。

「あ!お絹さんそれすっごくいい!」

「わっ!」

 涼しさに飢えた百世に飛びついてきた。思わず目を開けると再び灼熱の世界。また暑さがこみ上げてきた。

「あ、熱くなった」

と、なむ。

「あ!お絹さんそれやめて!」

 百世が激しく飛びのいた。


 お絹は自分の両手を信じられないようなものを見る目で見た。

 すごい。本当に気持ち次第で変わるんだ。しかも百世の反応を見るに私の周囲にも影響があるらしい。私はもう以前とまったく変わってしまったんだ…。

「なにやってんだか」「はやくいこうよー」

 花子となむが呼んでいる。

「はいはい」

 百世が歩いて行ってしまう。

「あ、まってくださーい!」


 私は慌てて追いかけた。

 呆れる花子にマイペースななむ。そしてもっとマイペースな百世。幽霊と、幽霊相手に普通に話す女の子二人。そしてその三人の背中を追う私。

 ああ、これからいったいどうなってしまうのだろう。

 この質問に返事は無い。ただ夏空の下、行く道は太陽に照らされていた。

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