失敗作のゆとり世代
この作品内での「大人」は、ゆとり教育に賛同する権利も反対する権利も有した、ゆとり教育開始時に選挙権を持った方々の事を指します。
ゆとり世代は失敗作らしい。
大人達は口を揃えてそういう。
言われたことしか出来ない。
ストレス耐性が低い。
酒の付き合いが悪い。
ゆとり教育は失敗だった、と。
確かにそういう所があるのは事実だ。
だが、あまりにも見捨てるの早くて唖然とする。
詰め込み教育の期間は約30年。
ゆとり教育の期間は約10年。
小学校入学から高校卒業するまでの期間は12年。
ほぼゆとり教育世代は居ても、
完全ゆとり教育世代は存在しない。
ゆとり教育が始まったのは2002年。
ゆとり教育が問題視されたのが2003年。
脱ゆとり教育へ舵をきったのが2007年。
大人達はたった5年でゆとり教育とゆとり世代に失敗作のレッテルを張ったのだ。
ゆとり世代第一世代の高卒や短大卒の人がやっと働き出した頃だ。
新社会人の彼らに大人達は何を求めていたのだろう。
試行錯誤する教育現場にどうして結果を求めたのだろう。
なぜゆとり世代には試行錯誤する時間すら与えられなかったのだろう。
大人達は詰め込み教育の時代を美しく語る。
ならなぜ辞めてしまったのかも忘れ。
美化された過去を語り、今を嗤う。
「今時の若い者は…」
この言葉は平安時代から言われてきたらしい。
きっと私達も将来言ってしまうのだろう。
だがきっと私達はゆとり教育を美化することは出来ないのだろう。
始まった当初から終わるその時まで大人達に失敗だと刷り込まれた私達に。
だってゆとり世代の人だって使うのだ。
「アイツは典型的なゆとり世代だ」って侮辱の意味を込めて。
ゆとり世代。
幼い頃から不景気で、景気が良いってどういうことかあまり想像出来ない、
社会に出る前から失敗作のレッテルを貼られた、
老後に頭を悩ませる世代。
物は幼い頃から溢れているのに、質素倹約を心にいざという時に備えて貯金しないと不安で、
景気が良くなるということはよくわからないのに、悪い景気が更に悪くなることがあるのは知っている。
そうなれば会社が首を切ることも知ってるから、会社に尽くす気なんて更々なくて、
切られた後に怯えて転職出来るように自分を磨く。
子供達の傾向を作るのは教育以上に社会だ。
不景気、リストラ、年金問題。
パワハラ、セクハラ、モラハラ。
ゆとり世代が頭を悩ませる問題。
ゆとり世代に主張する権利がある問題。
それはニュース繰り返し刷り込んだものだ。
ゆとり世代を作り上げた社会がゆとり世代を失敗作だと嗤う。
だけど大人達にゆとり世代を失敗作だと嗤う権利はあるのだろうか?
ゆとり世代が失敗作なら、ゆとり教育は大人達の失策だろう。
失策をした人々に失敗作を嗤う権利はあるのだろうか?
ゆとり世代の傾向を作った景気や社会を作ったのは人々に貶す権利はあるのだろうか?
あまりにも早く見捨てられたほぼゆとり教育の私はそう思う。
私も私の周りのゆとり世代も円周率は3.14だったし、運動会で順位もつけられたし、学習発表会でお姫様は1人だったと主張させて欲しい。
追伸‥ゆとり教育と書いたことで、2002年以前からゆとり教育は始まっていたという意見を貰いましたので補足します。
この話の中でのゆとり教育は、学校教育法施行規則により公立の学校の週休二日を義務化した2002年とさせていただきます。
それ以前の方に関してはゆとり教育を受けていたと自認する意思が弱いため、話の中のゆとり教育を受けたと自認する世代とは分けさせていただいております。
また私には、ゆとり教育の良し悪しについて語れる程の社会経験も見識もないので話の中でその件について触れたつもりは御座いませんし、語るつもりも御座いません。
ただ色んな世代があるなかで「ゆとり世代」は唯一、学校の教育方針で世代分けされ、上からも下からも指差され、受けていた教育ごと否定される。
教育方針を決めた大人がゆとり世代を学校の教育方針ごと嗤うのは無責任ではないか?とだけ主張させて頂いております。