そして僕は悲しみに暮れた
今日も僕はバルおじさんの所へ来ていた。お婆ちゃんの作ったオートミールを配膳する為だ。バルおじさんは食事を摂りながら色々な話を聞かせてくれた。
瘴気から魔物が湧き出てくる瞬間を見た事、大都市に行くにはかなりの覚悟を持って行かなければ酷い目に合うと言った話。他にも色々な話をしてくれている。
「さぁて今日も勉強するか!」
バルおじさんの顔色は正直に言うと良くはない。起きて話をするだけでも辛いだろうと思える。それなのに僕に色々な事を教えてくれようとしているのを見ると気が引けるから「怪我が治ってからからじゃなくてもいいの?」と言ってみたが「子どもがそんな事を気にするな。俺が好きでやっているんだ」と一蹴されてしまった。
「板とペンとインクを持って来い」
「はーい」
この世界では紙は貴重であるらしく、かなりの高値で取引きされているらしい。紙を使うのは貴族や金持ちの商人と言った富裕層の人間達だけだ。紙が貴重で高値であるなら、本なんてものも高値なんだろうと思う。
インクも安くはないが買えない事もないといった値段のようだ。バルおじさんはインクとつけペンは持っていたが使う機会は無かったそうだ。
空になった食器を片付ける為に一度部屋を出る。水の張ってある桶に食器を入れて、薪代わりになる木っ端両手に持って元は両親の部屋だった場所へ戻ろうとした時、お婆ちゃんが僕に声を掛けてきた。
「今日もお勉強かい?」
「うん!」
「そうかい。楽しんでおいで」
お婆ちゃんは僕がバルおじさんと勉強をするようになってから寂しそうな目をするようになった。孫が自分の手から離れようとしていると感じているのかもしれない。僕にはお婆ちゃんの気持ちは分からないけど、僕に出来る事はやろうと思う。
バルおじさんが待つ部屋に行き、バルおじさんの荷物からつけペンとインクを取り出す。一度、興味本位で剣に触れようとした時に危ないからと怒られてしまった事がある。
怒鳴るわけでもなく、諭すようにと言った感じであったがただでさえ強面なのにギロリと睨みつけるように見られたからその迫力に身体が硬直してしまった。僕はその時と同じ事にならないようにしようと心に誓っていたから剣には脇目も振らない。
僕はバルおじさんの隣に腰掛ける。僕の持ってきた木っ端に文字を書いていくバルおじさん。僕はバルおじさんから木っ端とつけペンを受け取ると先に書かれた文字にを真似るように書いていく。子どもの頭と言うのは吸収しやすいようで、僕は教えられたそばから文字の一つ一つを覚えていく事ができた。
「ルカは賢い子だな。教えた先から憶えていきやがる」
「えへへっ!」
褒められると素直に嬉しいと感じる。大人の理解力を持っているのだから当たり前だろうとは思うけど。
「ルカみたいに賢いなら魔法が扱えるかもしれねぇな」
「え!? 魔法?」
「あぁ。魔法だ。俺には才能の欠片も無かったから教えられる事なんてほとんど無いけどな」
「へぇ。魔法かぁ」
「興味あるのか?」
興味が無いわけ無い。ファンタジーとして存在していた物を直接扱える世界だなんて夢にも思わなかった。今の僕の目はすごくキラキラとしていると思う。
「うん! すっごく興味あるよ!」
「そうか。じゃあ試してみるか! まずは腹の底にある泉を意識するんだ。そこに魔力の源が眠ってる。それを開放してやるんだとさ。俺はここで自分には出来ないと諦めたがな。ガッハッハ! それに魔法を自在に扱える人間なんてそうそういるわけではないからな」
魔法を扱える人は少ないようだ。バルおじさんの説明になっていないような説明を参考に僕は実践してみる。お腹の底にある泉……分からない。でも集中するんだ。集中。集中。集中。
「駄目だぁ!」
「おぉ! そんな事無いぞ! ルカの身体が熱くなってる」
言われてみれば額に汗が滲んでいる感じがする。でもそれは慣れない事をしようと集中したせいで知恵熱のようなものが出ただけかもしれない。
新しい力に目覚めたなんて感じも無い。ただ全身を巡る血液の流れを何となくではあるが感じる気がするだけだ。
それからしばらくは文字を書いたり会話したりで夜も遅くなっていく。
子どもの身体であるせいなのか、僕はすぐに眠気に襲われてしまい文字を書く練習をしているうちに気付くと寝ていたなんて事も経験し、今日も文字を書いている途中で眠ってしまっていたようで、バルおじさんに起こされてから自分の部屋に戻る。僕は重たい瞼をこすりながらベッドへと潜り込むとすぐに意識が途絶えていった。
目を覚ました僕はいつものように食事を摂り、新しい日課となったバルおじさんへの食事の配膳をし少しの会話をしてから外へ出掛ける。出掛けると言っても近所をフラフラと散歩したり同年代の子と遊んだりするだけだ。正直に言うと同年代の子と遊ぶのは中々辛いものもある。
相手は純粋な子どもなのだから仕方は無いと思う。いつもと変わらない日常だと思ってたけど、今日はいつもと様子が違った。
「なぁに? あれ」
一緒に遊んでいたうちの一人の女の子が指を差して言う。女の子の指差した方を見た僕の目に大きく豪華な馬車が写り込んできた。大人達も何があったんだと騒いでいる。
馬車を呆然と見送る僕達の前を悠々と通り過ぎた馬車は彼方へと消えて行く。
「領主様かしらね」
「何年ぶりかしら」
馬車が完全に見えなくなると婦人達が領主様が帰ってきたと騒ぎ出し、辺りは女の黄色い声で賑やかになって行く。僕が生まれてから領主様は一度も村へは訪れていなかったようで、始めて領主様の話題を耳にする事となった。
「領主様ってどんな人なの?」
僕と一緒に遊んでいた女の子が純粋な顔で婦人に尋ねる。僕も少しは領主様については興味があった。この村は人の出入りが少ない。稀に旅人が立ち寄ると言った話は聞くけど、僕が知っているのはバルおじさんだけだ。
「そうねぇ。領主様の人柄はよく知らないけれど、村にパン焼き窯や浴場を設置してくれたのが今の領主様だからきっと良い方に違いないわ。子どもにはまだ難しい話だったわね」
この婦人の言っている意味は僕には分かるけど、女の子はさすがに理解は出来ていないのだろう。質問をしたはいいが、返ってきた言葉にキョトンとしている。
「領主様は良い人なんだね!」
女の子の言葉を無視しつつ、領主様であろう人の馬車が消えた方を見やった。特に理由は無かった。これから関わる事も無いだろうし僕は領主様に対しての興味を無くし、同世代の子達と再び遊び始める。
「かくれんぼしようぜ!」
一人の男の子が提案をしてみんなが受け入れた。鬼は木の棒を立てて倒れた方向にいた男の子がやると決まり鬼では無いメンバーが蜘蛛の子を散らしたように村のあちらこちらへと走り出す。僕も他の子と同じように駆け出して草むらの中へと身を潜めた。
「どこー?」
少し時間が経ち、鬼の男の子がみんなを探す声が聞こえて来る。僕は簡単に見つからないように身を潜めめた。ふと後ろを振り返ると何か不自然な場所が目に付く。
「ん? 何かおかしい?」
僕が隠れているのは背の高い草むらの中なのだが、僕が身を潜めている箇所を終着点として、背の高い草が倒れているのだ。
倒れていると言うより、踏まれて折れていると表現した方が正しいかもしれない。大きめの獣がこの辺りをうろついているのかもしれない。そんな事を考えていると不安に苛まされ始める。ここに隠れていたら獰猛な猛獣に……
「ルカみーっけ!」
「うひゃっ!」
不意に出された声に素っ頓狂な声を出してしまった。ちょっとした不安を感じていた為だろうか。心臓がバクバクと激しく音を響かせているのを感じる。
「み、見つかっちゃったかぁ」
「カサカサ動いていたからすぐにわかったよ!」
かくれんぼをしていた中で僕は一番に見つかってしまっていた。身体は子どもだとしても心は大人である僕が一番に見つかってしまった事にショックを受けつつも、鬼が他の子を見つけるまでは暇な時間を過ごす事となる。
一人遊びをするように、昨日バルおじさんから教えて貰った魔力の開放をしてみた。お腹の底の泉にある魔力を探るのだ。魔力の泉についてはよく分からないけど、出来る事をやるだけだ。友加里を探し出す為に。
「あーん! 捕まっちゃった」
僕の集中は鬼に見つかった女の子の声で途切れる。じんわりと自分の身体が熱くなっていると感じる。
「何をしていたの?」
「ちょっと考え事をしていただけさ」
女の子とお喋りをしているうちに次々と鬼に見つかった子達が集まってきた。そして、最後の一人が見つかり、全員集まった所で日も真上に差し掛かった事から一度家に帰ろうと言う事になった。僕も他の子と同じように帰宅する。
「ただいま」
「おかえり。楽しかったかい?」
「うん!」
「それじゃ、これを持って行ってあげな」
お婆ちゃんは僕にスープとパンの乗ったトレイを渡してくれた。バルおじさんの所へ食事を持って行くのは僕の仕事だ。
「バルおじさん入るよ」
部屋に入る前にバルおじさんに声を掛けるも返事が無い。もしかすると寝ているのかもしれない。僕は静かに部屋へと入った。
「バルおじさん?」
寝ているであろうバルおじさんの顔を覗き見る。
「おじさん? バルおじさん!?」
気が付くと僕はバルおじさんを揺さぶっていた。土気色に変色した顔。寝息どころか息すらもしていない事に気付いた僕はすぐにお婆ちゃんの所へ駆けた。
「おばあちゃん! バルおじさんが……!」
「どうしたんだい?」
「バルおじさんが動かないんだ」
僕の言葉を聞いたお婆ちゃんは目を見開き慌ててバルおじさんの元へと向かって行った。僕もお婆ちゃんの背中を追う。
「こんなに早く時期が来るとはね……」
「どう言う事? お婆ちゃんが治療したんじゃないの?」
「バルトロメイは魔物の毒にやられていたんだよ。ルカのお爺ちゃんも同じ魔物の毒にやられてしまっていてね」
「そんな……」
僕の目線の先にはお婆ちゃんの背中と動かなくなったバルおじさんがいる。今朝食事を持って行った時は嬉しそうに食べていた。昨日だって色々な話をしてくれた。
そして気付く。昨日のバルおじさんの独白は自分の死が近い事を感じていたのかもしれないと。
「酷いよ……どうして教えてくれなかったの? 分かっていたら僕だって……」
「ごめんよ……それと、バルトロメイの遺言だよ。俺の荷物は全てルカに預ける。例え死んでも俺は冒険者だってね」
「どうしてバルおじさんが死ななきゃならないの?」
僕は呟いた。この呟きがとても虚しい事なんだってのも分かってる。バルおじさんが怪我をしていなかったら僕と出会う事なんてなかったかもしれない。
でも……でもどうしてバルおじさんがと言う思いは捨てきれなかった。出会いは宝物だってバルおじさんは言っていたけど、こんな出会いなら宝物でもいらない。悲しい運命が待っている宝物なんて……
僕とお婆ちゃんの二人だけでバルおじさんの葬儀をした。葬儀と言っても死者へ祈りを捧げる程度だ。この時、始めてお婆ちゃんの涙を見たかもしれない。
何か思う所があったのだろうと思う。僕は涙が止まらなかった。拭っても拭っても溢れ出てくる涙は枯れる事を知らなかった。
村の人間では無かったバルおじさんだったけど、村長の計らいで墓を建てて貰った。バルおじさんの亡骸は棺桶に入れられ、土へと還って行く。
あまりにも突然の事だった。そして、常に死と隣り合わせの世界なんだと実感させられた。突然僕の目の前に現れて、突然死んだ。体調は良さそうには見えなかったけど、すぐに回復して元気になるものだと思っていた。
教わりたい事だってたくさんあった。聞きたい話だってたくさんあった。バルおじさんが側にいるのが日常になりかけていた。いや……もうなっていたのかもしれない。
「バルおじさん……本当に出会いは宝物なの? 神様がくれた宝物なのにどうして悲しいの……」
バルおじさんの墓の前で僕は佇んでいた。色々な思いが交錯する。僕はバルおじさんの事を父親として見ていたのかもしれない。
この世界での僕の父親はすでにいない。生死さえ不明だ。前の世界での記憶も持っている僕だけど、この世界での記憶もあるし、心は大人なのかもしれないけど、子どもの部分も持っているんだと自覚はある。この気持ちは僕の子どもの部分のものなのかもしれない。
バルおじさんの事を考えると自然と涙が頬を伝い続ける。
そして……僕は悲しみに暮れた。




