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98話 ミミックはなにかを伝えようとしている

「なあ、ミミックよ、私はどうしたらいい?」



 男性の視線の先には、ツボがあった。

 大きさは子供の胴体ぐらいある、口の広い、一説では甕なのではないかという見立てもある、口の広いツボだ。

 そんなものが、そう大きくもないローテーブルに乗せられている。


 もちろん、ツボはしゃべらない――そんなものは世間の常識であり、男性だって理解している。

 だから男性が話しかけているものは、ツボの中にあった。


 ミミック。

 そういう名前のモンスターである。

 だからいちおう、男性はきちんと生物に対し話しかけているわけである――無機物と対話をしているわけではないのだ。


 ただしこれも、二つの点で問題がある行動と言えた。

 一つ――ミミックは現在、『いないもの』とされている。


 いわゆるところの『幻想種』――吸血鬼やドラゴンと同様、世間では『今までもお伽噺にしか登場しなかったし、これからもお伽噺にしか登場しない』というような扱いなのだ。

 なので、この光景を第三者が見れば、やっぱり『ツボに話しかけている変なおじさん』としか思わないだろう。


 そしてもう一点。

 ミミックは言語を操れない。

 なのでやっぱり話し相手としては適切ではなく、今の光景を人が見たら『応えてくれない相手に真剣な顔で話しかける変なおじさん』という扱いはまぬがれそうもないのだった。



「ミミックよ……私は働いた方がいいのだろうか……」



 相談内容もまた、第三者に聞かせられないものである。

 だいたいの人が『そうだよ』と言うに決まっているからだ。


 しかし男性は沈痛な表情で、組んだ手の上に顎を置き、ソファに浅くかけて、静かに目を閉じる。

 その表情からうかがえるのは『働きたくない』という強い感情であった。



「わかっているのだ……己の中に二つの主張があり、その二つは決してまじわらぬものであることを……『吸血鬼としてヒトの社会にかかわらぬようにする』ことと、『若い女の子に格好つける』こととは、決して共存できぬ願望だと、わかってはいるのだ……!」



 男性は深く悩んでいた。

 しかし――ミミックは気にした様子もない。


 バッ!

 ツボの中から勢いよく飛び出すと、そのオレンジ色の触手の束のような体をウネウネさせる。


『他者をおどろかせること』――どうやらこれが、ミミックの生態らしいのだ。

 元の飼い主の日記により、『ミミックがおどろかすような行動をとったらおどろいてやってほしい。するとミミックがとても喜ぶ』という事実がわかっている。


 だから男性も、いつも少々オーバーなリアクションでおどろきを示してやっているのだが……

 今は、そのような気分になれなかった。



「すまないねミミックよ……今は自分のことで精一杯だ……」



 男性はつぶやく。

 しかし、ミミックはそんな言葉なんかわかっていないかのように、ツボに入ったりツボから出たりを繰り返す。


 出たり入ったり。

 出たり入ったり出たり。

 入ったり出たり入ったり。

 出たと思ったら入ってやっぱり出たり。

 愚直に、ジュボジュボと体表にまとった粘液を泡立てさせながら、ツボの入口に体をこすりつけるように上下運動を繰り返している。


 ――おかしい。

 男性の認識では、ミミックというのはかなり知能が高かった――この城の住人では三指に入るのではないかというほどである(住人は男性、眷属、ドラゴン、妖精、ミミックの五名)。


 言語を操る機能こそないが、言葉を理解している様子は感じられる。

 だというのに、ここまで空気を読まぬことをするだろうか?



「まさか、なにかを伝えようとしているのか?」



 男性は目をこらしてミミックの様子を見た。

 相変わらず激しく上下している――体表にまとった粘液のしぶきをまき散らしながら、ジュボジュボと白く濁った泡を立てつつ、ツボから出たり入ったりしているのだ。



「お前はいいね、やりたい時に、やりたいことをできて……だけれど私は、最近なんだか、世間体や見てくれを気にして、つい空気を読んだ言動を心がけてしまう――」



 そこまで言ったところで。

 男性の脳髄に、電撃のようなひらめきがはしった。



「――気にすることは、ないのか?」



 吸血鬼らしく。紳士らしく。年長者らしく。家長らしく――

 様々なものが男性をがんじがらめにしていた。


 目に見えぬ様々なものにより拘束され、気付けば呼吸さえままならぬ有様。

 なんと――優雅でないことか!


 お前はいいね、やりたい時にやりたいことをできて――ではないのだ。

 やりたい時に、やりたいことを、やればいい。


 誰も、止めない。

 世間体があるから。人の目があるから。嫌われたくないから。好かれたいから。

 それらすべては己が勝手に感じることで――

 己の自由を束縛するのは、いつだって己の心なのだ。

 ――と、激しい上下運動や、触手のうねりひとつひとつにより、ミミックが言っているような気がした。



「……すまないね。いつの間にか、君の知性を侮っていたようだ。君は言葉を操れないだけで、この城の他の客よりも、ずっときちんと考えて行動できる者だと思っていたはずなのに……」

 ――ウネウネ。



 ミミックが上下運動をやめて触手をのたくらせる。

 それはどことなくニヒルで大人の渋みがある動きであった。



「ミミックよ、私は……うむ、なんだか照れるな。こんなことをハッキリ言うのは……だが、君ならばよかろう。私はね、働きたくないのだ」

 ――ウネウネ。

「社会にも出たくないし、人間関係も正直、めんどうくさい……」

 ――ウネ~ン。

「そういう同調圧力みたいなものが嫌いで、当時の先輩吸血鬼を海に突き落としたこともあったぐらいだというのに……いつしか私も、社会の一部になりかけていたようだ」

 ――ウネ。

「私の心は自由を取り戻した。もう大丈夫だ。働かず、社会に出ず、それでいて格好いい吸血鬼を目指すことにするよ」

「そうだ、それでいい……」

「!?」



 今、誰かが――しわがれた老人の声で、誰かがしゃべった気がした。

 しかし部屋には男性とミミックしかいない――ならば幻聴だろうと男性は思った。


『そうだ、それでいい』。

 ……きっと、ずっと、誰かに自由な己を認めてほしかったのだろう。



「情けないところを見せてしまったね、ミミックよ……私はもう大丈夫だ」



 男性は笑う。

 ――と、突如ミミックがツボの中に戻り、勢いよく飛び出した。



「うわあ、びっくりした!」



 男性はソファからずり落ちるリアクションをとった。

 そうしてしばし、ミミックと見つめ合い――笑う。


 ――心に余裕が戻っている。

 そう認識したら、やけに気持ちが軽くって、男性はいつまでもいつまでも、ソファからずり落ちたまま、肩を揺らして笑っていた。


 眷属に発見されてドン引きされるまで、笑い声は絶えなかった。

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