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93話 そうしてドラゴンの毒は抜けてしまった

「なにか、欲望が洗い流されたような、そんな気持ちだ。見ろ、あの夜空に浮かぶ星々を……あれらに比べれば、我らなどちっぽけなものよ。夜はこのように素晴らしい景色を、毎日のように我らへ示してくれていたのだな……」



 一日漬け込んで――

 ミミックが去り――

 あとには綺麗な目をしたドラゴンだけが残された。


 その全身を赤いウロコで覆った子犬サイズの生き物は、窓から外を見ていた。

 とうに夜だ。

 そしてこの城は都市から遠い場所にある。

 よって城の外にはなんにもない――暗くて見えないとかではなく、真実、なんにもないのだ。


 だというのに、今のドラゴンは、その『なんにもない』景色に価値を見出しているようだった。

 後ろ脚二本で立ち、『つかむ』機能のなさそうな前脚をべったり壁にくっつけ、長い首をウネウネさせつつ上部の窓から夜空を見上げながら――



「自然の息吹を感じる」

「……」

「虫の声、風により起こる葉擦れの音……ひそやかなフクロウどものささやき……なんという静謐(せいひつ)か。一息吸い込むごとに、全身が大自然と調和していくような、そんな気すらする」

「……ドラゴンよ、怒っているのかね?」



 ベッドの上に座っていた男性は、耐えきれないという様子でたずねた。

 ドラゴンが頭だけ真後ろへ振り返り、綺麗な目で男性を見る。



「怒る? 我が貴様にか? なあ、吸血鬼よ」

「いや、その言い方とか、わざわざ私の部屋で『大自然と調和』している様子やら、なんらかのあてつけではないかなと……まあ、たしかに、軽い気持ちで君を丸一日ミミックのツボに漬け込んだのは、悪かったよ……ミミックのマッサージが、マダムのおっぱいに代わる癒やしになるのではないかと、そういう考えもね……」

「貴様はなにも悪いことはしておらん。安心せよ」

「ドラゴン……」

「むしろ、貴様には感謝をしているぐらいだ。ミミックのツボに漬けられることほぼ一日……執拗に繰り返されるマッサージは、我の心からすっかり毒を抜き去ったのだ。お陰で、こんなにも自然が美しく見える。このような素晴らしい景色、見たことがなかった……」



 ドラゴンが綺麗な目で言う。

 毒が抜けすぎて別の生き物のようにさえ見えた。

 端的に言って無気味。



「……自然とは素晴らしいものだな、吸血鬼よ」

「そ、そうだね……」

「大事にしていかねばならん……この大陸はヒトが栄え、すでに手の入らぬ景色はないかのように思われたが、ここには昔のままの空気がそのままあるのだ。守らねばな……この景色を……この土地を……この城を……」

「う、うむ」

「貴様には引き続き国有財産不法占拠おじさんを続けてもらい、この城を壊されたり周囲の山野に手を入れられぬよう、がんばってもらいたい……我もできうる限り手を貸そう」

「いや、私が引きこもっている理由は、別にそんなものではないのだが」

「…………?」



 ふと、ドラゴンが会話を差し置いて、どこか別な方向を見た。

 男性もそちらを見たが、部屋の天井があるだけだ。



「どうしたねドラゴン、あちらにはなにもないが……」

「ふむ……どうやら、大自然の声が聞こえたらしい」

「大自然の声!?」

「もとより我らドラゴンは土地神や精霊に近い存在なのだ……澄んだ気持ちで三回ぐらい深呼吸をしたことにより、ここらの自然と意識が一体化したのであろう」

「そんなに手軽に自然と一体化できるのか……であれば、今までの君はよほど気持ちが濁っていたのだね……」

「その通りよ。我は今まで、くだらぬことにこだわってきた……せわしない日常によるストレス、他者との競争によるストレス、日常の雑事によるストレス……それらをなくすことは、難しい。しかし、心を大自然と一体化させることにより、ストレスの矮小化はできるのだ。自然は雄大であるな……」

「うーん、今の君は、なんだか妙に会話しにくいキャラになってしまっているね……」

「今の我は大自然そのものなのだ。大自然とは、語りかけるが、会話はしない……受け取る側に素養が求められる。それこそが、ネイチャー」



 本気で会話しにくくて、男性は冷や汗をかいた。

 なぜだろう、ドラゴンはあんなにも澄んだ目をして、これほど穏やかな声音で話している。

 なのに――今までにないほどヤバイ状態に思える。



「ああ、大自然が我に語りかける! 守らねば、守らねば、この愛しき大陸の緑を!」

「ドラゴンよ、どうやら君は今、疲れているようだよ。お腹も空いただろう? まる一日、なにも食べていないものな。実はだね、このあいだ眷属に買いにいかせた『カリカリ』があるのだ。それでも食べて落ち着きたまえ」

「いらぬ」

「『カリカリ』だぞ? 君の好きな、猫用オヤツの……」

「いらぬ」

「では、ゲームでもしようか? ほら、君が私とよく対戦した……最近は、私の方が飽きてしまってやっていなかったが、今日は君の思うように付き合おうか?」

「吸血鬼よ……ゲームも、カリカリも、人工的なものなのだ」

「まあ、それはそうだろうけれど」

「なので、人工的ゆえに、いらん」

「……いや」

「思えばなんだ、カリカリ……あの不自然の塊のような食事は……猫ちゃんの健康に気遣って天然由来の材料を使用しております、だと? すべてのものは天然に由来するに決まっているだろうが、たわけェ!」

「……」

「素晴らしいものは、すべて自然がくれるのだ。ならば、自然のまま、摂取すればいい。吸血鬼よ、これから我の食事はすべて有機無農薬栽培の朝どれ野菜のクズにするのだ……それ以外だと血が汚れるので、我は口をつけぬ」

「…………」

「貴様らにもこれからは、自然を感じて生きてほしい……自然とは素晴らしいものなのだ。我とともに大陸の意識を感じながら、健康的で素朴な生活をしよう。朝は日の出とともに目覚め、日の入りとともに眠り、食事は自然の恵みを感謝しながらいただくのだ。貴様の趣味の日用大工もな、アレは不自然だからやめた方がいいし、あとは――」

「えい」



 男性は手のひらから闇の波動を放った。

 ドラゴンの頭部に命中。

 ドラゴンはどさりと床に倒れこんだ。



「……しまった、なにか怖くて、つい、やってしまった……」



 男性は倒れ伏したドラゴンに近寄り、呼吸と脈拍をたしかめる。

 生きている。


 それを確認し――

 男性は格好いい表情で、ドラゴンのそばにしゃがみこんで、言う。



「ドラゴンよ、ようやくわかったよ。偉そうなのも、傲慢なのも、横暴なのも、不自然なのも、君なのだ。『大自然』とか言う君は、全然君ではない……そのことが私にも、ようやくわかった」



 ドラゴンから返事はない。

 男性はかまわず続ける。



「まあだから、なんていうか、起きたら、カリカリを食べ、ゲームをやろう。今の君に私がしてやれることは、そのぐらいだからね」



 安らかな顔でイビキをかきはじめたドラゴンを、優しく見下ろす。

 窓の外は夜。

 どこまでも静かな、葉擦れと、鳥や虫の声しかない――大自然の声なんていう幻聴は聞こえない夜だけが、広がっていた。

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