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90話 聖女はおじさんを慎重に取り扱う

「おじさん、おはようございます!」



 明るい朝の室内に響く女性の声。

 男性は読んでいた分厚い本から顔を上げ、そちらに目を向けた。


 部屋の入口を開けてこちらへ歩んでくるのは、十代半ばと見られる若い少女である。

 一目で見て、快活な印象を受けた――歩くたびに揺れる長い桃色髪のせいだろうか。それとも世にあるすべてのことに『善さ』を逃さず見つけるような、あの輝く桃色の瞳のせいだろうか。

 身長はそう高くないものの、手足は長い。体のラインの目立たぬ、また、着る者によっては重苦しい印象が漂うであろう丈の長いローブという姿であるのに、彼女の動作はのびのびとしていた。



「やあ、おはよう聖女ちゃん。まずはお掛けなさい」



 男性は青白く大きな手で正面のソファを示した。

 そして背を己の腰かけるソファに沈みこませ、胸の前で両手を組み、赤い瞳を細める。

 そのなんとも言えぬ顔立ちは、穏やかでこそあったけれど、見る者が見れば、どことなく獲物の品定めをする肉食動物のような獰猛さが潜んでいるように思われるかもしれない。


 獲物――そうだ、男性はかつて、ニンゲンを『エサ』と見ていた。

 なにせ吸血鬼である。

 もっとも、現代では吸血鬼、ドラゴン、妖精などは『幻想種』とひとくくりにされ、『この世に存在しないもの』と思われている。

 だから吸血鬼のもとへ聖女がおとずれたというこのシチュエーションは、なんのことはない、ヒキコモリのお年寄りの様子を若者が見に来ただけということなのであった。



「おじさん、また本を読んでらしたんですね」

「うん? ああ、これか。……まあ、人の日記なのだがね。引き取った……骨董品にまぎれていたものでね。つい、ヒマがあると手に取ってしまうのだよ」

「読書、お好きなんですか?」

「どうだろう、ここ最近始めた趣味と言えなくもないかな……昔は『ただ本を読むだけの時間』というものがなんとなくもったいないように感じられたが、最近は、紅茶でもやりながら本を読むのもなかなか好ましい時間の過ごし方だと思うようになってきたよ」

「わかります。なんか『優雅』っていう感じですよね」

「うむ」



 男性は優雅なのが好きだった。

 しばしば優雅さのために実際的な利益を軽視するほどに好きだ。

 かつてまだ男性がヒキコモリでなかったころ、『優雅ではない』という理由で強敵にトドメを刺さなかったことさえあった――後日再び襲撃されたが、まあ、どうにかなった。



「そこでですね、本日は、おじさんにいい物を持ってまいりました」

「職業案内かね?」

「違います! 本です!」



 と、聖女が背中から一冊の分厚い本を取り出す。

 別に背中側にバッグがあるとか、服の後ろにポケットがあるとか、そういう様子もないのだけれど、この聖女はとにかく背中側から手品としか思われぬ手際でよく物を取り出すのであった。



「こちら、おじさんもよく知る子の著作なんですよ!」

「ふむ……まあ、選択肢が少ないのでなんとなくわかったが、ここは『誰かな?』と聞くのがマナーだろうね」

「はい、実はですね……『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』さんのデビュー作なんです!」

「ほう」

「『真名を告げてはならぬ……ここまで仮の名での付き合いだというのに、今さら真名を告げるなどと無粋であろう?』と言っていたので、本名を教えることはできないんですが……まあとにかく、出版社から二十冊ほど見本をいただいたようなので、一冊、おじさんへ差し上げるのにもらってきましたよ」



 どうぞ、と手渡された一冊の本。

 それは表紙に美しい少女と数人の見目麗しい青年の絵が並ぶ、ソフトカバーの、それなりの大きさと分厚さを持つ書物であった。


 作者名は『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』となっている――作者名が長すぎてなんともおさまりが悪いが、まあそこは言っても仕方のないところだろう。

 男性がパラパラとめくると、最終ページはなんと四百ページを超えていた。



「ふむ……なかなか分厚いね」

「ええ、がんばったんですよ。だからおじさんも、褒めてあげてくださいね。きっとびっくりしますから!」

「……びっくりするのかね? これは、竜の末裔で吸血鬼の魔法使いちゃんから、私へ渡して欲しいと、聖女ちゃんに依頼があった品では?」

「いえ、『神殿にでも置いてほしい』と言われた品です。でも、本を出すなんてすごいことですから、ぜひ知り合いであるおじさんに渡してあげようと、ここに持ってきたんですよ!」

「そうか。まあ、君たちは友達のようだから、おじさんがとやかく言うことはなにもないかな」

「きっとびっくりして喜びますよ!」



 聖女の顔には一切の悪意がなかった。

 なのになぜだろう、その無邪気な笑顔がひどく残酷に見える。

 男性は聖女から視線を逸らすように、もらった本をめくる。



「……ほう、最近の本はすごいな。こんなに絵がついているのか」

「そうなんですよ!」

「ありがとう。あとでゆっくり読むよ」

「はい! 是非そうしてください!」



 聖女が笑顔で言う。

 そして、会話が途切れた。

 その沈黙は数秒にも満たなかっただろうが、男性はなんとなく堪えきれずに、口を開く。



「……それで?」

「…………『それで』とは?」

「いや、今日、このあとの話題はないのかね?」

「このあとの話題とは?」

「いや……その、なんというか、この本を渡しつつ、『おじさんも本を書いて社会とつながってみませんか?』みたいな流れはないのかね?」

「おじさん」



 聖女が居住まいを正す。

 男性もなんとなく背筋を伸ばした。



「なんだね、聖女ちゃん」

「いいんです」

「なにがかね」

「焦らなくって、いいんです。おじさんがもし、本を書いて社会とつながりたいとおっしゃるならば、止めはしませんし、方法の提示や、手段の確保もします。でも、慌てなくていいんです。ゆっくり、やっていきましょう」

「……」

「わたし、考えました。社会は怖くない――そう教える立場のわたしが、おじさんを焦らせ、急かしてどうします。ゆっくりでいいんですよ。社会はあなたになにも強制しません。ただ、経済状況が逼迫する前に、社会に出た方がいいだけの話なんですから」



 社会はなにも強制しないらしい。

 ただ、経済状況が逼迫する前に出ればいいだけらしい。

 その言葉には、普通になにかを強制されるよりも、強くおぞましい響きが感ぜられた。



「もし執筆に興味がおありでしたら、必要なものを用意します」

「……いや、小説を書くのに必要な紙と万年筆ぐらいならば、私も持っているが……」

「おじさん、今、手書き原稿は受け取ってくれない出版社が多数です」

「なんだと……!?」

「もしなにか興味がわきましたら、細かいところもふくめてわたしがどうにかしますから、おっしゃってくださいね」

「いや、しかしなんだか申し訳がないのだが……」

「大丈夫です。わたしたちはあなたの味方ですよ」

「『わたしたち』とは」

「わたしと、社会です」

「……」

「ですから、ゆっくり、『外』に慣れていきましょう。わたしも今まで、いきなり職業案内を持ってきたり、いきなり友達を連れて来たり、ちょっと慌てすぎたように思います。大丈夫ですよ。これからは、五年ぐらいかかるのを想定してやっていきますからね」

「いや……」

「ともかく、竜の末裔で吸血鬼の魔法使いの本を読んでみてください。これからもおじさんが興味を出しそうなもの、色々持ってきますからね」

「あの……」

「では、今日はこのあたりで失礼します。大丈夫、大丈夫ですからね? それでは!」



 聖女が笑顔で去って行った。

 一人部屋に残された男性は、しばし聖女の去った扉の方をながめ――



「……なんだか、余計に腫れ物扱いされるようになった気がするな……」



 どうしてこうなった、と頭を抱えた。

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