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88話 聖女はおじさんにトラウマがあると思っている

「おじさーん、おはようございます!」

「やあ、おはよう」



 男性は手にしていた本をパタリと閉じて応対する。

 それを聖女がめざとく見つけ、声をあげた。



「あ、おじさん、読書中でしたか?」

「いや、それほど集中して読んでいたわけではないから、気にしなくてもいい。なんというか――ヒマにまかせてページを繰っていただけで、内容を読みこんでいたわけではないのだよ。……まあとりあえず、お掛けなさい」



 男性は対面――ローテーブルの向こうにある来客用ソファを示した。

 聖女は「失礼します」と述べて腰を下ろし、



「おじさん、おヒマなら、ちょっとお外に出てみます?」

「軽い感じで誘うのをやめたまえ。うっかりするとうなずいてしまいかねない」

「いえしかし、おじさんは外に出るのをどうしてもためらうようですけれど、外はおじさんの思うほど怖ろしい場所ではないんですよ? 本来、軽い感じで出るところなのです」

「言いたいことはわからないでもないがね……ともあれ、私は外に出ない。これは、私としてはまずゆずれぬ大前提なのだよ」

「そう、そこなんですよ」

「なにがだね」

「わたしは今まで、おじさんを社会の輪に加え入れるべく、様々な説得をしてきました……けれど、どのような方法をとっても、おじさんは決して外に出てくださらなかった……」

「そうだねえ」

「そこでわたしも、活動を次なる段階に移すことにしたんです」

「と、言うと?」

「今まではなんとなくたずねるのを避けていましたが……おじさんが外に出ない、その根本的な理由に、いよいよ切り込もうと思うのです」

「それは、私が吸血鬼だからなのだが」

「そういうのではなくて!」



 聖女は真剣な顔だった。

 しかし、おじさんとて、ふざけて『私は吸血鬼』と言っているわけではない。


 おじさんは吸血鬼である。

 ただ、現代では吸血鬼やドラゴンなどは『いないもの』扱いされてしまっているので、信じてもらえないだけで、本当の本当に吸血鬼なのである。



「聖女ちゃん、君はたびたび冗談扱いするが、たまには私の『吸血鬼だ』という主張を信じてはみないかね?」

「……わかりました。仮に、おじさんは吸血鬼だとしましょう」

「……まあ、仮にでも信じた前提で話をできるのは、いいことだ」

「でも、吸血鬼だとしたって、外に出ない理由は別にないと思います」

「いや、その……日光が……」

「夜なら出れるじゃないですか」

「…………そうだね」



 はい。

 反論の余地がなかった――吸血鬼だって夜なら外に出ることができる。間違いない。数百年前は、実際に出ていた。

 加えて言うならば、男性ほどの力があれば、昼でも外に出れないことはないのだ。



「だからきっと――おじさんは、外にトラウマがあるんですよね?」

「……ええと」

「『吸血鬼だから』『太陽に弱いから』……それらを信じたところで、やっぱり外に出てはいけない絶対的な理由には、なりません。夜にも出られますし、おじさんは、昼の仕事をしなくとも、夜の仕事をすることも可能なのですから」



 聖女が目を閉じ、しみじみと言った。

 夜の仕事。

 この聖女はおじさんになにをさせる気なのか、ちょっとだけ男性は不安になった。


 聖女は優しげな微笑みを浮かべる。

 そして、テーブルに身を乗りだし、男性の真っ白な手を、両手で包みこむようにとった。



「おじさん、話してください。社会でどんな怖ろしい目に遭ったのか……なぜおじさんが社会を怖れてひきこもるようになったのか、それを、是非、私に教えてくださいませんか?」

「いや……その……」

「本当は、いつの日かおじさんが自分から打ち明けてくれるのを待とうと思っていました。けれど、わたしはこれ以上、おじさんが一人で心の傷と戦い続けるのを、見てはいられなかったのです。こらえ性のないわたしを、どうかお許しください」

「……」

「大丈夫です。仕事柄、わたしは人のしたありえないような体験や、犯してしまった罪や、とても信じがたい秘密などを聞くことには慣れていますから。わたしは、たいていのことであれば、信じられますし、精神的なことであれば、一緒に解決のための努力ができます」

「では言うが、私は過去、吸血鬼に血を吸われ吸血鬼となり、たくさんの生き物を好き勝手に虐殺し、過去の聖女と戦いになったことも一度や二度ではなく……」

「そういうのではなく」



 たいていのことを信じてくれるという聖女が、吸血鬼であることだけは信じてくれない。

 吸血鬼って、すごい。



「うーむ……しかしねえ、聖女ちゃん。トラウマと言われても、私にそのようなものはないのだよ。なにかを怖ろしいと感じることなど、そうそうないからねえ」

「大丈夫ですよ」

「……なにがかね?」

「おじさんが、強い人なのは、きちんとわかっています。でも、強い心は、傷つかないわけじゃ、ないんです。どれほど強靱な精神の持ち主だって、耐えきれないことは、あるものです」

「……」

「恐怖は恥じることでは、ないんですよ。人には誰しも、弱点がありますから。……さ、深呼吸をして、気分を落ち着けてください。大丈夫、大丈夫……小さな声で、自分に言い聞かせるように、繰り返してみてください。『大丈夫、大丈夫』」

「いや……」

「騙されたと思って、一度だけでも」

「……大丈夫、大丈夫」

「どうです? 頭がぼわーっとして、なんだか安らぐような気分になってきませんか?」

「う、うーむ……そう言われれば、そんな気もするかな……」

「では、繰り返してみましょう。大丈夫、大丈夫……」

「大丈夫、大丈夫……」

「ええ、大丈夫ですよ。安心してください。わたしは、おじさんがなにを言おうと、おじさんの味方ですからね」



 聖女が、男性の手を握る手に、優しく力をこめる。

 その肌の柔らかさや、少しだけ冷たい温度を感じて、男性は自分の中でなにかが溶けていくかのような感覚を覚えた。

 たぶん、ストレスとか不安とか、そういうものなのだろう。



「さあ、おじさん、大きく息を吐いて」

「ふうー……」

「吸って」

「すうー……」

「ゆっくり、ゆっくり、繰り返してくださいね」

「……」

「だんだん、落ち着いてきたでしょう? 大丈夫、わたしは、味方ですからね。さあ、どうしてお外が怖いのか、わたしに、教えてくださいませんか? あなたの不安を、あなたと分かち合いたいのです」

「外が……怖いのは………………いやだから! 私にはトラウマも不安もないと言っているだろう!?」



 危なかった。

 存在しないトラウマを吐露するところだった。


 最近、聖女の脅威度が跳ね上がっている気がする。

 なんというか――プロの技術を用いるのに、遠慮をしなくなっている感じだ。

 今、催眠術みたいなのをかけられた気がする。



「まだ、おじさんからわたしへの信頼が足らなかったみたいですね……」



 聖女はしょんぼりした。

 普段はハリのある桃色の髪も、なんだかしおれている様子だ。



「いや、信頼が足らないというか……信頼していようがいまいが、ありもしないトラウマなど告白のしようがないというだけで……」

「いいえ。気をつかってくださりありがとうございます。けれど、おじさんからの信頼を得られていないのも、わたしの不徳のいたすところです。……やはり性急でしたね。でも、最近、特におじさんがなんだか悲しそうな顔をしている時が多い気がして……今も、本を読みながら……」

「それはその、なんだ……年齢のせいで感じやすくなっているだけあって……」

「でも、おじさん、職歴なしのヒキコモリ暮らし、そのうえ幼いお孫さんに身の回りいっさいのお世話をさせて、わんちゃんやタコさんを飼っているという身の上で、将来に不安がないわけがありません」

「……」

「そんな明らかな不安さえ語っていただけないのは、きっと、わたしが悪いのです」



 聖女は悲しそうな顔をする。

 おじさんも泣くかと思ったよ。



「わたし、もっとおじさんに信じてもらえるように、がんばります!」



 最後は明るく言って――

 しかし、聖女はどこかしょげた様子で、部屋を去って行った。



「……私は……」



 男性はなにかを言いたかった。

 でも、言葉にはならず――目を閉じ、ただ首を横に振った。

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