87話 妖精はミミックと序列を争う
「ふううううううう! うううううう! ううううううう!」
というような少女の声が近くで聞こえたもので、男性はびっくりして跳ね起きた。
昼の日差しが差しこむ室内に目をやれば、そこには――
――オレンジ色の触手にからまれた、人形サイズの女の子の姿が!
「……な、なにをしているのだね?」
様々な憶測を呑み込み、男性は問いかける。
来客用ローテーブルの上では、ツボに半身を沈めたオレンジ色の触手の束みたいな生き物と――
それにからまれて、全身をぬめぬめさせている女の子がいるのである。
ミミックと、妖精。
ともに、現在は実在を疑われている――というか『いないもの』扱いになってはいるが、知的っぽい活動をする一個の生命なのであった。
もちろんそれぞれ人格らしきものもあるので、別に二人が合意ならば、触手プレイでもなんでもしてくれていいと男性は思っている。
だけれど、なぜ自分の部屋でそんなことをしているのか、それだけが解せない。
男性が赤い瞳を戸惑いに見開いていると――
ヌメヌメした粘液を指先と言わず足先と言わず全身からしたたらせ、人形サイズの女の子――妖精が、男性を見た。
「ううううう?」
「思い出せ、君は言語を操れたはずだ」
「うう……げんご……げんご……」
妖精は息も絶え絶えであり、知能ももはや絞り尽くしているように思われた。
しかし彼女はコミュニケーションをするつもりがあるらしく、全身をプルプルふるわせながら、ローテーブルの上でスクワットを一回して、
「……ハッ!? ここは!? 妖精さんの部屋ではない!?」
「私の部屋だが……その私の部屋で、君はミミックとなにをヌルヌルしていたのかね?」
「全身がヌルヌルするです。これはひょっとして筋肉汁なのです?」
妖精の知能も記憶も、長くはもたないのだ。
事情を知りたい男性としては、ミミックが言語を操れないことが惜しまれた。
「…………ああ! 思い出したのです! ここは吸血鬼さんのお部屋!」
「おお、思い出したか。それで、なぜ君は、私の部屋でヌルヌルしていたのかね?」
「妖精さんは知的生物なのです」
「そうか、それは知らなかったな……」
「なので新入りのミミックさんと、群れの序列を争わねばならないのです……」
「……」
野生動物みたいなこと言い出した。
知的生物とはなんなのだろうか。
「妖精界隈では、基本的に踊りのうまい方が上なのですが、今の妖精さんはエリート妖精……ふううん! エリート妖精なので、はああああ! エリート妖精ですので、」
「エリートはわかったから話を先に進めなさい。いちいちポージングをされていては進まない」
「しかし序列を争うためすべての筋力を絞り出した妖精さんは、もはや限界なのです。ポージングなしには会話もできないのです」
「そんなに一生懸命会話しなくともよいのだが……」
「群れのボスに序列を報告する役目があるのです」
どうやら男性は群れのボスだったらしい。
なるほど、よく意味のわからない報告をされたり、意味のわからない相談をされたりしたのも、そういう序列が前提にあってのことだったのだろう。
男性は別に、妖精もドラゴンもミミックも、横並びで『賓客』という認識でいるので、ボス面する気はないが……
まあ、序列をつけるのが妖精の生態ならば、うるさく言うこともなかろう。
「……それでなんだ、序列はどうなったのだね?」
「激しい戦いがあったのは、妖精さんの全身から噴き出す筋肉汁でわかるのですが、結果を思い出せないのです」
「君が『筋肉汁』と呼んでいるものは、たぶんミミックの粘液だ」
「ねんえきぃー……くすくす! ねんえき!」
「眷属に体を洗ってもらって、休みなさい」
「……ぽーず! ……ハッ!? ここは、妖精さんの部屋ではない!?」
「休め」
「いえ、ここぞという時のために、妖精さんの意識がもうろうとした時、ポーズをとるように心構えがしてあったのです。これで妖精さんの賢さは復活なのです。すなわち賢さの超回復なのです」
「なあ、妖精よ……いいのだ。もう、いいのだよ。序列など、そんなものは気にするな」
「そう、腕相撲で勝負をすることにしたのです!」
「なぜそんなまねを」
「知的!」
妖精は上腕二頭筋を見せつけるように腕を曲げた。
力こぶはまだない。
男性は首を軽く振る。
「もうダメだ……なにから突っこんだらいいのか、私ではわからない……」
「吸血鬼さん、知能が大丈夫です?」
お前には言われたくないと思いました。
が、話が横道に逸れるのを避けるためには、とりあえず腕相撲を知的競技だとして聞きに徹せねばならないのはわかった。
「……それで、腕相撲の結果、どうなったのだね?」
「それが思い出せないので妖精さんは困っているのです」
「……」
「そこで、吸血鬼さん立ち会いのもと、もう一度腕相撲を…………………………? どこ? どこ? ようせいさん、どこ?」
「もう限界ではないか!」
「ぽーず! ……ハッ!? なんかヌルヌルするのです!?」
妖精の知能がかつてなく乱高下している。
知能を失うたびにポーズをとって知能を戻し、また知能を失っていくさまを見ていると、とてつもない悲しみがおしよせて、男性はついに一粒涙をこぼしてしまった。
推測だが――
たぶん、もう、一回じゃきかない数、腕相撲をやっているのだろう。
妖精はかつてない限界状態なのであった。
早いところ休ませないと、今後の知能平均値に深刻な影響を及ぼすだろう。
「妖精よ、今からお前は序列をかけてミミックと腕相撲をするのだ。私が見ているから、さあ、すぐにやりなさい」
「吸血鬼さんすごいのです! 妖精さんもちょうどそうしようと思っていたところなのです!」
「そうだろうそうだろう。さ、早く」
「ミミックさん、勝負!」
妖精は軽く飛び上がると、ミミックののたうつ触手の一本を右手にからませた。
ちなみにミミックの触手一本は、妖精の胴体ぐらいの太さがある。
見るまでもなく結果が見えていた。
「ぬううううん!」
妖精が渾身の声を発しながら力む。
だけれど、妖精は空中で簡単にコロンと転がされ――
ミミックに取り込まれた。
「……おいミミック!? 君、そうじゃないだろう!?」
そばで見ていた男性は思わず叫ぶ。
ミミックは通じているのかいないのか、妖精をしばしあまたの触手の中に隠し――
それから、ペッとはき出した。
男性は粘液まみれでヌルヌルする妖精の様子を見る。
ケガなどはなさそうだ。
「……そういえば、懐いた相手の指などに吸い付いてマッサージをする生き物だったか」
――ウネウネ。
男性がミミックの前の飼い主の日記を思い出し、つぶやく。
ミミックが『そうだよ』とでも言いたげにうねった。
妖精は、しばしビクビクと気持ちよさそうな顔で痙攣し――
ハッとした顔で目覚めた。
「……ここは、妖精さんの部屋ではない!?」
「妖精よ、序列はミミックの方が上になった。君は今、腕相撲で負けたのだ」
「!? しかし、筋肉に疲労があまりないのです! 腕相撲は行われていないのでは?」
「それはたぶんミミックのマッサージのお陰だろう」
知らんけど。
このままでは永遠に同じことを繰り返しそうなので、男性はまとめに入った。
妖精はガクリと四つん這いになってうなだれた。
「妖精さんは……ミミックさんにも負けてしまったのですね……」
――ウネウネ。
「妖精一族の地位向上の夢がまた一歩遠のいてしまったのです……鍛えねば……もっと鍛えねば……」
――ウネ。
「しっかりとパンプアップをして、いつかきっと、ミミックさんにも勝利してみせるのです……そうしたら、妖精さんは、強くて、賢い……」
くたり。
妖精は言葉を言い切る前に、倒れこみ、意識を失った。
ミミックはしばし妖精をいたわるように触手でなでていたが――
不意に興味を失ったように、ツボをガタガタ揺らしながら部屋を出て行った。
あとには、ヌメヌメしたままの妖精と、粘液まみれになったローテーブルを見守る男性だけが残された。
男性は深く息をつき――
「……なんだろう、非常に疲れた」
妖精の事後処理を眷属に命じて、昼寝を再開することにした。




