86話 ドラゴンは吸血鬼に若者文化を知ってほしい
「むぅ……最近の音楽はさっぱり理解できんな……」
男性は来客用テーブルに置いたケイタイ伝話を見て眉をひそめた。
画面には男性には理解できないオシャレな画面構成で、男性には理解できないダンスなのかなんなのかよくわからない動作をしながら、男性には理解できない歌詞を、男性には理解できないメロディに乗せて叫ぶ、四人組がいた。
最近の男性はもっぱらヒマをもてあましていて、趣味の拡張に余念がない。
絵や字や日用(品を作る)大工も、現在はこれといった目的がないので、ここいらで若者についていけるようにしようと思い立ったのが理由であった。
だが――
わからない。
ジェネレーションギャップという壁が、趣味拡張をもくろむ男性の前に高く高く立ちふさがったのであった。
「うーむ……せっかくだけれど、私にはどうにも、若者がただわめいているだけにしか聞こえないのだ……すまないね、すすめてくれたのはありがたいのだけれど」
「やはり貴様はその程度よな」
――と、渋く低い声が、男性に応じた。
その声の主は、テーブルの脚あたりにうずくまり丸くなっている子犬である。
赤いウロコに覆われた毛のない体。
首は長く、瞳は爬虫類を思わせる。
申し訳程度に生えた角と翼に、哺乳類のものとは思われぬ太い尻尾――
どこからどう見ても子犬であった。
「ドラゴンよ……『その程度』とは、どういう意味かね?」
「貴様ら年寄りは楽しめぬものに出会った時、開口一番にこう言う。『理解ができない』と」
「しかし本当に理解できないのだから仕方がないだろう。まあ、君に年寄り扱いされるのははなはだ心外だと、毎回のように言っているが……たしかに私は年寄りに間違いがないのだ。悲しいことに、六百年の人生は私が今どう言おうと変わらぬのだよ」
男性は吸血鬼であった。
白髪に赤い瞳を持ち、黒いガウンに身を包んだ壮年は、実際のところ、もう壮年とかそういうレベルの年齢ではないのである。
ドラゴン、吸血鬼――どちらも今や『幻想種』という、『お伽噺の中にしかいないもの』扱いをされている珍生物なのである。
時代に取り残されるのもむべなるかな。
「では、ドラゴンよ、君はどう言うのが正解だと? 理解できぬものを理解できないと言ったところで、なんの不都合があろうか」
「ほう、開き直ることを覚えたか」
「いつも君には詐欺まがいの話題運びで押し切られている気がするからねえ。私も時には、君の好きにはならぬということを見せておこうと思ったのだよ」
「奮起したところすまぬが――まず貴様は、『理解できるかどうか』で若者文化をはかろうとしているところから、間違えておる」
「なんだと?」
男性は白い片眉をあげた。
ドラゴンはバサリとはばたき、男性の頭の高さまで飛び上がって――
「思い出せ吸血鬼よ。貴様が若かりしころ――貴様の趣味は、貴様自身に理解できることばかりであったか?」
「……!?」
「その顔――気付いたようだな。そう、趣味とは……『楽しい』とは、本人でさえ理解できぬ情動なのだ!」
「!」
「思い出せ! 若かりしころの貴様は、音楽を聞く時、いちいち理解せねばフレーズを進められなかったか? かつての貴様は、絵画を鑑賞する時、いちいち何時代の何様式などと気にしておったのか? 思い出すのだ。貴様はかつて、理解ではなく――頭ではなく、心で趣味を楽しんではおらんかったか!?」
「それは……! それは、たしかに……!」
「それがなんだ、初めて耳にした音楽を『理解できない』などと……初めて耳にしたものが即座に理解できるわけあるか、たわけェ!」
「くうう! 反論ができない!」
なにもかも言う通りだった。
たしかにそうだ――最初から『理解』を主として趣味を楽しんだ記憶はない。
『なんとなくいいな』から入って、好きになるにつれ、だんだんと詳しくなり、理解が及ぶようになっていったのだ。
「吸血鬼よ……趣味とはな、感性で楽しむものであって、理解の浅深を論ずるべきものではないのだ。もちろん、理解度を深める楽しみ方を否定はせぬが、入口は、違かろう?」
「たしかにそうだ……だが、なぜ、私は忘れていたのだろう……? いつから趣味を『理解が及ぶか否か』ではかるようになってしまったのだろう……?」
「それはな、年齢のせいだ」
「また耳に痛い話か! 君は本当に自爆特攻が好きだなあ!」
「我は貴様と違い感性のアンチエイジングを怠っておらんがゆえ、自爆ではない。我がこのような話題を持ち出す時、苦しむのは貴様一人であり、貴様の苦しみを我は楽しんでおるのだ……」
「君は相変わらず最低だな!」
「我はカワイイゆえに、なにをしても許されるのだ。いや、逆に、なにをしても許されるぐらいではないと、カワイイ生き物とは言えぬ」
「そうか……では君がカワイイ生き物になる日は遠いようだね……」
許されない。
男性の目からはいつ見ても生意気な爬虫類なのだった。
「よいか吸血鬼よ、感性とは年齢とともに衰えていくのだ」
ドラゴンはまったくかまわずに話を続ける。
この自分に都合の悪い意見は一切耳に入らないところが、彼の数多い欠点の中でもっとも他者にとって迷惑なものであった。
「だが――思い出せ吸血鬼よ。我らはそのあたりかなりテキトーな幻想種。信じれば美少女になることも可能な超生物ではないか」
「いや、美少女になることは不可能だが」
「我を見よ」
見たからどうなるものでもなかった。
どう見たって真っ赤な小さい爬虫類である。
美少女ではない。
「そして――吸血鬼よ、再び、我のすすめた動画を見るのだ」
言われるがままにしてみた。
やはり男性には理解できない、『きっと今はこういうのが格好いいと思われるんだろうなあ』というような映像と歌が流れ、終わる。
「見たが」
「好きになったか」
「ならないが……」
「では、もう一度見るのだ。何度も見るのだ。繰り返し触れることで、だんだん『好きかも?』という気分になってくる」
「それはもはや洗脳ではないのかね……?」
「まあ、そこまででなくともよい。とりあえず、踊りを覚えるのだ」
「……なぜ?」
「今、『老人ダンス』なる動画が流行しているらしい」
「……君、もう動画撮影はやめたのでは?」
「眷属が我に『動画を撮れ』と迫ってくるので、貴様を人身御供にしようと思ったのだ。老人ダンスであれば、動画の再生数も伸び、あれの金稼ぎも手早く終わろう。なにせ流行だからな」
「……」
「…………」
「………………」
「…………ぬうっ!? 誘導尋問か!?」
ドラゴンがぎょっとした顔になる。
男性は笑って――ドラゴンを拾い上げると、仰向けの状態にした。
ドラゴンはしばらく起き上がれずにもがいていた。
飛べよ。




