84話 吸血鬼はますます城から出ない
「最近の貴様には『ねばり』がない」
部屋に入ってくるなり、そう言う生物がいた。
子犬である。
発言があんまりすぎて、男性はなんの話かよくわからない。
ソファに腰かけたまま、首をかしげるだけだ。
そんな男性の足下にドラゴンはピコピコ足音を立てつつ接近し――
バサッ! と翼を広げて飛び上がると、男性の顔の高さでホバリングした。
「吸血鬼よ、我はすべて見ておったぞ」
「『すべて』とは……」
「聖女とのやりとりだ。ミミックをタコ扱いされた……」
「ああ……」
「それでな、気付いたのだ。貴様は最近、『ねばり』がない」
「どういう意味かね?」
「ミミックをタコ扱いされた時、貴様はなんら抗弁しなかったであろう?」
「……『なんら抗弁しなかった』わけではないが……」
「しかし、以前の貴様であれば、もう少し食い下がったはずだ。無駄かもしれんが、ミミックはミミックであり、タコではないのだと、そう信じさせるべく言葉を尽くしたはずだ」
「……まあ」
「そんなに聖女から『吸血鬼ぶっている精神異常おじさん』扱いされるのがイヤになったか」
「いや、それは……それはまあ、ないとは言わないが……しかしだね、私が抗弁しなかったのは、学習の成果だとは思ってもらえないかね?」
「学習の成果、とは?」
「聖女ちゃんにはハッキリした証拠を示さねば、我らの実在を信じてもらえない――なぜならば我ら吸血鬼やドラゴンは、とうに『幻想種』だ。お伽噺の中にしかいないものとされている。現代っ子のこの常識を打ち砕くのが並大抵のことではないと、犬扱いされている君だって知っているだろう?」
「ふむ、なるほど、貴様の言葉にも一理ある」
「だろう」
「では、確たる証拠さえあれば、貴様は聖女ちゃん相手にしっかり抗弁すると?」
「もちろんだとも!」
「『めんどうくさいから今のままでいいや』という気持ちは、本当に一片もないか?」
「……」
男性はとっさに答えられなかった。
そうだ。
言われてみれば――
――たしかに今さら、幻想種は実在するとか、証明するのはめんどくさい!
「……吸血鬼よ、めんどうくさいのだな?」
「い、いや……しかし」
「よい。強がるな。貴様の気持ちは我にもわかるし、貴様が証明をがんばらなくなったことで、貴様を責めたりはせぬ」
「まあ君は子犬扱いを受け入れているからね……」
「そうではない。我らもイノベーションすべきなのだ」
「……なんだね急に、ハイカラな言葉を使って」
「考えてもみよ。貴様はたしかに吸血鬼であり、我はたしかにドラゴンだ」
「そうだね」
「だからなんだ?」
「……だからなんだ、とは」
「貴様が自分を吸血鬼だと認めさせたとしよう。それで、どうなる?」
「どうなる……どうなるとは……」
「城の所有権が返ってくるか? 働かなくてもいいと言われるか? 違うであろう? 悪くすれば討伐対象になりかねんし、聖女と今までの関係が続くとしても、『じゃあおじさん、吸血鬼でもできるお仕事をしましょう!』という展開にしかならんとは思わんか?」
「……それは……しかし……」
「わかったか。吸血鬼だと証明するのは、自己満足にすぎん」
「い、いや……いや、なにかあるだろう……? 自己満足以上のなにかが、きっと……」
「では、なにがある?」
ドラゴンが鎌首をかしげた。
男性は焦点の合わぬ目で床のカーペットを見つめた。
そして考え――
「……なにもない!?」
「そうだ。なにもない」
「そんな……いや、だが……」
「かつて我らは地上での生活を謳歌していた……」
「……」
「ドラゴンという名は畏怖の対象であり、その名を出せばニンゲンは震え上がったであろう……吸血鬼もまた、同様に、その名を出せば、ある者は敵愾心を向きだしにし、ある者は恐怖からこびへつらい、またある者は積極的に取り入ろうとする……そういう時代は、たしかにあった」
「……あったね」
「しかし、今は『吸血鬼』なんて信じられても、『すげー! 本で見たことある!』という反応しかされん」
「……」
「だから、よいではないか。我はカワイイ子犬でいいし、ミミックはタコでいいし、眷属は貴様の孫でいいし、貴様は『いい歳して職歴もなく外に出る意思もないヒキコモリダンディ(笑)』でいいではないか……」
「君の表現から悪意を感じたのだが」
「そう、それだ」
「やはり悪意があったか」
「そうではない。大事なのは自分がなにを言うかより、人にどう思われるかということなのだ」
「ふむ」
「だから貴様――外に出ろ」
「!?」
「そして働け」
「!?」
「そうすれば少なくとも、『ヒキコモリ』と思われることはあるまい」
男性は衝撃でしばらく言葉が出なかった。
ひどい裏切りにあっている気がする。
「……いや、いやっ、ドラゴンよ……! それは、いかんだろう!? ここで『そうだな』となったら、私が今までかたくなに守り通してきたヒキコモリはなんだったのだ!? 吸血鬼が認められぬ現代、ヒキコモリでさえなくなったら、私のアイデンティティはどうなる!?」
「いや、ヒキコモリをアイデンティティにするな。もっと立派なものをアイデンティティにせよ」
「正論だと!?」
「本当のところ、どうなのだ?」
「どう、とは?」
「正直、そろそろ引きこもるのにも飽きておらんか?」
「い、いやあ!? 飽きるとか、そういうのではないのだが!?」
「どうせ貴様はそのうち城を出るぞ」
「出ないが!?」
「いいや、見る者が見ればわかるのだ。貴様は、我が来た当初と、かなり考え方やその他もろもろが変化しておる。この変化はおそらく、聖女の影響であろう。つまり貴様は手に入れ始めているというわけだ――『社会性』や『人間性』をなあ!」
「……くそ、否定材料がない!」
「予言してやろう。賭けてもいい。どうせそのうち貴様は城の外に出る。聖女にほだされて、コロリと今しがた『アイデンティティ』とほざいたものを捨てる日が、きっと来るのだ!」
「……」
「ならば少しぐらい予定を早めてもいいではないか。――刷新せよ。革新せよ。我を見習い、定期的に主義や信念を総ざらいするのだ!」
「しかし……!」
「なあ、吸血鬼よ……疲れたであろう?」
ドラゴンが、ポン、と男性の肩を叩いた。
そして、低く優しい声音で言う。
「来る日も来る日も吸血鬼だと信じられぬ日々……同胞は絶滅し、残った幻想種たちも、幻想種アピールにまったく必死ではない中、貴様一人、孤独な戦いを繰り広げているのだ」
「……」
「そこまでがんばる理由はあるか?」
「いや……その……」
「もう、いいであろう。貴様は変わったのだ……聖女に変なおじさん扱いされたくないという見栄を――社会性を手に入れた。ならば、己の変化を受け入れ、外出せよ。誰も貴様を責めぬし、それが当世風の生き方というものよ」
「……」
「な、吸血鬼よ」
「――なにが目的だね?」
「………………は?」
「今日の君は、おかしい。なにか目的があって、私を外に出そうとしているのではないかね?」
「……」
「そもそも君は――いつも自分のことしか考えないだろう! それなのに、急に私を思いやっているかのような言動……なにかあるのではないか?」
「……」
「さあ、正直に答えてもらおう!」
「…………ククククク! 気付いたか!」
ドラゴンが男性から距離をとる。
そして、強くはばたき――
「そうよ! 貴様を外に出そうとしたのは、すべて我が策略のため!」
「なにが目的だ!」
「街のドッグランにいい体をしたマダムがいるのだ! しかし一人ではドッグランに入れぬ! そして眷属をドッグランに連れ込もうとすると――怖いのだ!」
「……」
「だから貴様を我の飼い主としてドッグランに連れ込み、ついでに無駄にいい声とそこそこの甘いマスクによってマダムと仲良くならせ――」
「仲良くならせ?」
「――そのスキに我がマダムのおっぱいをパフパフしようという作戦だったのだ!」
「そんなことのために、私のアイデンティティを揺るがしかけたというのか!?」
「『おっぱい』は『そんなこと』ではない! 二度とおっぱいをバカにするなァ!」
「す、すまない……」
謝りながら、『なんで謝っているのだろう』と男性は思った。
ドラゴンの迫力におされたのだろう。
「吸血鬼よ……日々ストレスの中生きる現代幻想種たる我々に必要なものとはなにか、考えたことはあるか?」
「……いや、そこまでストレスの中生きてはいないが……」
「そう、『癒やし』だ」
「……」
「貴様はいい。貴様は我を見て癒やされることができよう」
「いや、それはない」
「しかし、みなに癒やしを届けるカワイイ我は、なにに癒やされればいい? ……そうして考えたのだ。そうだ、おっぱいしかない、とな。かつてハーレムを持っていた我ゆえに、わかるのだ」
「……いや、癒やしは他にもあるだろう? 絵を描いたりなど……」
「我は貴様ほど枯れてはおらんのだ」
「君は年齢を考えても枯れた方がいい」
「我はあきらめんぞ! こたびの計略は失敗したが、次こそ貴様を外に出して見せよう!」
「どうせ何回か試みたら飽きるのだから、やめなさい!」
「我のおっぱいに対する情熱を甘く見るなよ! クックック……ハッハッハ……ハァーッハッハッハッハァ! ゲホッ! ゲホッ!」
むせながらドラゴンが部屋から出て行く。
男性はその尻尾を見送り――
「……厄介な。だが、私は負けぬぞ」
世の淑女をあの邪悪なドラゴンの魔の手から守るため――
吸血鬼はますます城から出ない。




