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83話 聖女とミミック

「おじさん、おはようございます」



 明るい室内に少女の声が響く。

 男性は読んでいた古い本から顔をあげて、部屋の入口を見た。


 そちらには桃色髪の少女がいる。

 聖女だ――『神殿』と呼ばれる組織の中で、そういう役職についている若い女の子である。


 男性は古びた大きな本にしおりを挟み、目の前にあった来客用ローテーブルに置く。

 そして対面のソファを片手で示し――



「おはよう聖女ちゃん。お掛けなさい」



 ――にこり、と笑った。

 聖女は首をかしげる。



「おじさん、なにかいいことあったんですか?」

「む? そう見えるかね?」

「はい。なんだか今日は、いつにも増しておだやかな顔をされていらっしゃいます」

「ふむ。なんだろうね……まあ、座りなさい」



 男性は実のところ、なんでもないような表情を取り繕うのに必死であった。

 だから聖女の発言には、『細かいところまでよく気のつく子だな』と肝を冷やしていたのだ。


 なぜならば――男性の目の前にあるローテーブルの上には、口の開いたツボがある。

 ローテーブルの上に調度品として置くには不自然なほど大きい、子供の頭ほどのツボだ。


 その中には『ミミック』と呼ばれるモンスターが入っていた。

 そして大事なのは、このモンスターに『人をおどろかせて喜ぶ』という性質があるということだった。


 つまり、男性はイタズラをしかけているのだ。

 男性の計画では、聖女がソファに座った瞬間にミミックが飛び出し、聖女をびっくりさせる。

 以下、妄想。


『うわあ、びっくりした。これはなんですか? おじさん?』

『これはね、ミミックというモンスターだよ』

『モンスターなんかいませんよ』

『では目の前のコレを他になんと言うね?』

『それは……』

『わかったかね。君たちの常識にはない生き物も、この世にはいるのだ。つまり私は吸血鬼でありヒキコモリの中年男性ではないのだ』

『わかりました。おじさんは吸血鬼です!』


 以上、妄想。

 というような会話の流れを期待しているのであった。


 そして――

 聖女が、ソファに腰かけた。


 さあ、出ろ!

 ミミック、カモン!


 男性は内心の興奮を押し殺しながら、ミミックが飛び出すまでの短い時間を待つ。

 聖女が腰かけ――

 ソファが軽く沈み――

 彼女が背中側からなにか資料のようなものを取り出し――



「さておじさん、今日はですね、おじさんを外に出すために、こんなものを――」

「ちょっと待ってくれないか」



 ミミックが出ない。

 おかしい――他者が近付いたのを感知すると、『必ず』飛び出しておどろかせようとするのは(ドラゴンや妖精の協力のもと)確認済みだ。


 だのに――出ない。

 ……もしかして寝ているのだろうか。



「あー、聖女ちゃん、すまないが、部屋に入るところからやり直してもらっていいかな?」

「ええええ!? どうして!?」

「いや、申し訳ない……こちらの確認ミスで段取り通りにいかないことがあってね。すまないが、ドアを閉めて待機してもらい、声をかけたら入ってもらえないだろうか?」

「い、いいですけど……あの、なにかわたし、失礼なことを?」

「いやいや、そうではないのだ。そうではないのだが……」



 失礼なことをしようとしているのは自分の方である。

 いい歳したおじさんが、まだ二十にも満たないであろう女の子をおどろかせようとしているのだ。

 救いがたい失礼である。

『おじさんが女の子に触手でイタズラしようとしている』と言い換えれば、いっそう失礼な感じだ。



「とにかくわかりました。おじさん、わたし、一度外に出ればいいんですね?」

「ああ、すまないね、本当に」

「では扉の外で待っています」



 聖女が部屋から出て、扉が閉められた。

 男性はツボを軽く指先でコツコツ叩く。

 反応がない。



「やはり寝ているのだろうか……」



 らちがあかないので、ツボを上からのぞきこむと――

 バッ!

 なんの前触れもなく、オレンジ色の触手を束ねたような生き物が、ツボから飛び出してきた。



「うわあああ!?」



 ソファを倒しながら飛び退く。

『寝ているんだろうな』と思い、油断しながらのぞきこんだ直後、鼻先にせまるヌメヌメウネウネ。普通にびっくりした。



「おじさん!? どうしたんですか!?」



 あられもない叫びとソファの倒れる物音のせいだろう、聖女が部屋に入ってくる。

 そして――



「!? テーブルの上にタコが!?」

「タコォ!?」



 思わず男性の声が裏返る。

 聖女は不可解そうな顔を男性に向け、



「え、タコですよね!?」

「いや、そいつはミミックだ!」

「ひょっとしておじさん、タコに名前をつけてるんですか!? 飼いタコ!? 食用でなく!?」



 食用と言われた瞬間、ミミックがシュッとツボにひっこむのが見えた。

 そしてツボごとガタガタ移動し、ソファごと倒れた男性の背後に回りこむ。



「ああ、タコさんが逃げた!? わたしが『食用』だなんて心ない言葉を使ったから!?」

「違う! こいつはタコではない! タコが人語を解してたまるか!」

「でもおじさん、タコは『海の賢者』と呼ばれる、とても賢い生き物なんですよ!」

「それはっ! それはなにか、違うだろう!? 賢者っていうのは、なんていうか、そういうことではないだろう!?」

「あっ、それよりおじさん、大丈夫ですか!?」



 聖女が駆け寄ってくる。

 そして倒れたままの男性を支えるように立ち上がらせてくれた。

 堂に入った介護術である。



「……あ、おじさん、ひょっとして、テーブルの上に意味ありげにツボを置いてたのって、タコさんをわたしに見せるためですか? えっと、ミミックちゃんでしたっけ?」

「まあ見せるためなのだが……」



 おどろかせるためだったんだよ、とは今さら言えなかった。

 変なところで発動する男性のプライドが、真実を包み隠さず語ることを許さないのである。



「へー、タコって陸上でも大丈夫なんですね……でも、怖がられちゃいましたね、わたし」



 聖女が寂しそうな顔をする。

 男性は、すぐそばでうつむく彼女と、背後でガタガタするミミックを交互に見て――



「……まあ、気にすることはないさ」



 ここから『ミミックという不思議生物なんだよ』と紹介し直す雰囲気ではないな、と悟った。

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