82話 ミミックにも歴史がある
中から出てきたのは、オレンジ色の触手の集合体みたいな生物だった。
『たしかに宝箱を開けていきなりこんなのが現れたらびっくりして心臓止まるな』というほどの、それはそれはおぞましく冒涜的な姿であった。
そいつはウネウネと解放を喜ぶようにのたくり――
男性に、触手の一本を伸ばした。
「む?」
男性は、触手の先にからめられている一冊の書物に気付く。
それは古びたハードカバーの――
「日記帳か? 読めと?」
ミミックはうねうねするだけで、しゃべらない。
どうやらしゃべるタイプの人外ではないらしい。
男性は日記帳を手に取る。
そして、少しヌメッとする表紙をなでて、その感触に顔をしかめつつも、開いた。
「……古い代物だね。言葉遣いから見て、私が人類の敵として現役だったころのものか」
ザッと読んでいくと、どうにも冒険者の日記らしい。
冒険者――かつてモンスターたちと戦い、日銭を稼いでいた日雇い労働者である。
昔は『冒険者ギルド』というものがあって、そこが仕事を斡旋していたが……
現代では、モンスターそのものがいないのか、『冒険者ギルド』もすでに存在しないようだった。
男性は過去を懐かしみながらその日記を読み進めていく。
たまに吸血鬼に触れる文章が出てくると、『ほう、ニンゲン側からはこう見えていたのか』と妙に嬉しい気持ちになる。
そして――
記述はようやく、ミミックのことに入る。
『いつものようにダンジョンで宝箱を開けていたら、ミミックと遭遇した。
そのミミックを倒して宝物は手に入れたのだが、中にもう一匹、手のひらに乗るほど小さなミミックを見つける。
どうやらミミックの子供らしい。
俺はそいつをなんとなく拾って、育ててみることにした。
うまくいけば金にできるかもしれない』
『小さなミミックは狭い場所を好むようだ。
また、食事をとろうとしなかった。
そういえばミミックがなにかを食うという話は聞いたことがない。
襲われた冒険者だって、宝箱の前に転がされたままで、食われている様子はなかった。
ひょっとしたら食事がいらないモンスターなのかもしれない。
植物のようなものか?』
『ミミックは食事をとらないが、狭い場所にいる限り元気だった。
ただし、容器から出そうとするとひどく弱る。
だんだん大きくなっていくこいつを、体の大きさに合った容器に移し替える作業は不安になるものだった。
とりあえず手近にあったツボに移し替えることにする』
『ミミックはだいぶ俺に懐いているようだった。
手を差し出すと、その触手でいたわるように吸い付いてくる。
ただ、俺がツボの前を通りかかるといきなり飛び出しておどろかせようとしてくるのだけはどうにも心臓に悪い。
なぜこんなことをするのか考え、ある日発見したのだが、俺がおどろいた様子を見せると、嬉しそうにウネウネするのだ。
ミミックの生態なのだろうか。
ここで一つの仮説が浮かぶ。
ひょっとして、ミミックどもに害意はないんじゃないのか?
連中は誰かをおどろかせることを生態としているだけで、それ以上は望んでいないのでは?
ただ、冒険者はちょっとやそっとじゃおどろかないから、だんだんスキンシップが過剰になり、大型犬がじゃれているつもりで子供を殺してしまうことがあるように、冒険者を殺してしまうだけなのではないか?
……どうやら、疲れているようだ。
ミミックはモンスター。
神に存在を許されていない害獣だ。
あまり肩を持ったような考えはよそう』
『ミミックとの生活もだいぶ長くなる。
手放す機会はおとずれそうになかった。
そもそも、モンスターを飼っているなんて知られたら、俺が人からどう言われるかわからない。
だけれど不思議とこいつを拾って失敗したという気持ちにはならなかった。
無邪気にツボから飛び出して俺をおどろかせようとしたり、ツボの中に手を入れるとマッサージするように触手で吸い付いてきたりするこいつとの触れあいは、俺に癒やしを与えている。
こいつはモンスターだけれど、害獣ではない。
俺はもうそう思っている。
けれど、人はきっと、そう思わないだろう。
それだけが不安だ』
『モンスターもかなり減ってきたので、冒険者はやめ、新しい商売を始めた。
結婚し家族も持った。
家族にはミミックのことを隠している。
ミミックとは倉庫内でたまに触れ合っているが、妻が不審がるなどしたら、こいつとの触れあいもやめねばならなくなるだろうか?
どうすればいい?
俺はこの指に吸い付く愛しい感触を忘れられない。
しかし、妻も子も愛している。
どちらかを選ばねばならないとしたら、俺は、どちらを選べばいい?』
『久々に手にした日記は、すっかり埃をかぶってしまっていた。
この古ぼけた表紙を見ると、昔日の思い出がよみがえるかのようだ。
長い人生だった。
冒険者として生き、ミミックと出会った。
妻に出会い、冒険者をやめ、質屋を始めた。
幸いにして経営は順調であった。
幼かった子供たちは立派に育ち、妻と私、私とミミックとの関係は、薄氷一枚挟んでいながらも、長く、そして平穏に続いたと言えよう。
つい先日、妻が亡くなった。
幸福な顔をしたあれを見送ることができたのは、私の長い人生の中でも、一番に誇るべきことであろう。
しかし、あれの死が私の忘れていた自分の天命を思い出させたことは事実だ。
人はいつか死ぬ。私も、いずれ死ぬのだろう。
そうしたらミミックはどうなるか、ふと考えてしまった。
今はもうモンスターというものは駆逐され尽くしている。
神殿はモンスターにまつわる情報を口にするのをかたく禁じ、モンスターにまつわる資料を次々焚書している。
モンスターがいたという事実そのものを消し去ろうとしているかのようだ。
もし、このような情勢で私のミミックが神殿や、信仰篤い信徒に見つかれば、どうなるか。
私はおそろしくてたまらない。妻が亡くなり、子供が独り立ちした今、私が頭を悩ませるべき唯一の事柄は、ミミックのことだけと言ってもよかった。
私の寿命は尽きようとしているが、ミミックが私の手を吸う力は変わらない。
ひょっとしたらこいつらには寿命というものがないか、あっても我ら人間よりかなり長いのであろう。
こいつの面倒を最期まで見るつもりでいたが、どうにも、最期を看取られるのはミミックではなく私の方らしい』
『この日記をミミックを入れたツボに入れておく。
ミミックにかたく言い聞かせ、こいつを解放する者あれば、まずこの日記を差し出すよう教育しておく。
だからどうか、この日記を読んだ人へ。
これは見た目こそ無気味だが、悪い生き物ではないのだ。
かつて地上には、このような生き物がたしかに存在し、連中にも生態があり、命があった。
忘れないでほしい。あなたの目の前で名状しがたく冒涜的にのたくるこいつもまた、あなたと同じ一個の命なのだ。
だからどうか、こいつを怖がらず、死なせずに、たまにこいつの目の前でびっくりしたふりをしてやってはくれまいか。
それだけでこの生き物は、たいそう喜ぶ。
食事もいらぬ、排泄もせぬ、ただ、体がぴったりはまる容器と、ほんの少しのおどろきだけで、こいつは生きていける。
だが、今、世間はモンスターに敏感だ。
だから、未来へたくす。
いたずらに開けられぬよう、この容器はかたく封印しておく。
数々のいわくをつけて語り継がせておくので、そのようなものを好む、まだ見ぬ未来の好事家の方ならば、この生き物にも理解を示してくれると信じている』
「うおおおおおおお!」
日記を読み終えて、男性は咆えた。
年齢のせいでゆるみっぱなしの涙腺はとうに決壊していて、赤い瞳からは止めどなく涙があふれている。
「名も知らぬ冒険者よ……! あなたの遺志は私が継ごう! ミミックは私に任されよ!」
男性は日記帳をかたく握りしめて誓った。
そして、ツボから顔(比喩表現)を出す、オレンジ色の、触手の束みたいなおぞましい生き物に視線をやった。
そいつはウネウネしていたが――
急にツボの中にひっこみ――
バッ! と勢いよく飛び出した。
「うわあ、びっくりしたあ!」
男性はおどろいたふりをしてしりもちをつく。
触手は嬉しそうにウネウネ打ち震えた。
男性は立ち上がり――
「……そういうわけだ、ミミックよ。貴様は今日から、我が城の一員となるのだ。客間をあたえよう。好きに人をおどろかせるといい」
――ウネウネ。
「ただし、眷属はダメだ。アレはあまり冗談が通じないので、怒らせないように」
――ウネウネ!
「あとおどろかせすぎてケガなどさせないよう注意しなさい。そのあたりさえ守れれば、あとは好きにしてよい」
――ウネッ!
「ではお休み」
――ウネウネ~
ミミックはガタガタとツボを揺らしながら去って行った。
男性は手にした日記を見下ろし――
「……うーむ、ミミックはいいのだが、ヌメッとするのは困ったな」
手にこびりつく粘液を見ながら、ためいきをついた。




