79話 ドラゴンは飲酒する
「吸血鬼よ、今日は飲むぞ」
ゴトン。
酒瓶を持ってドラゴンが現れた。
『持って』とは言うが、その生物におおよそ『持つ』ことができそうな『手』はない。
ただの翼が生えて、首が長くて、角があって、ずんぐりむっくりした四足歩行の生き物なのである。
世間では子犬と思われているその生き物はだから、両前足で酒瓶を挟むようにして飛行し――
男性いる来客用テーブルセットへと、酒瓶を持ってきたのだった。
「どうしたねドラゴンよ、君は――酒を断ったのではなかったのかね?」
久しぶりになにもせずぼんやりしていた男性は首をかしげる。
最近はずっとツナギを着ていたので、こうして寝間着のガウンでただボーッとしていると、妙に申し訳ない気分だった。
そのうえ――昼から酒とは。
ドラゴンに付き合うのはやぶさかでなかったが、男性としては罪の意識をなんとかするためにも理由ぐらいは聞いておきたいところだった。
ドラゴンはパタパタと来客用テーブルに着地し――
「うむ」とうなずく。
「たしかに我は、同胞たちの――今は絶滅したであろうドラゴンたちの失敗から学び、酒をやめ、黄金集めをやめた……すべてはヒトにターゲットとされぬため、すなわち生き延びるためよ」
「そうだ。そして禁酒期間が長すぎて、最近は果物と野菜クズで生きていると聞いていたが」
「しかし――我とてたまには酔いたい時がある」
「ふむ。なにがあったのかね?」
「我が配下の七十二柱の犬猫ども全員に、飼い主が決まったのだ……」
「…………」
「我らはカワイさによりゴハンをねだる、現代のハンターであった……しかし、構成メンバーのほとんどは野良。その日暮らしの身であり、安定した生活は見こめぬ……そこで我らは飼い主を探していたのだが……ようやく全員、もらい手が決まったのだ」
「それはなんというか、偉業を成し遂げたものだね……」
「『愛玩業73』も昨日をもって解散したのだ」
「なんだねそれは」
「愛玩業とは、カワイさを売って日々の食事を得る我らのような者のことを言うのだ。そして愛玩業を営む者が我をふくめ七十三匹集まりできたユニットこそ、『愛玩業73』である」
「そ、そうか……」
「思えば苦心の日々であった。『ただカワイイ』――それだけに心血を注ぎ続けた日々よ。……片目に傷のある大柄な猫がおってな。そやつはなかなかもらい手が決まらんかったが、そやつも飼い主が見つかり……遠くの街へな」
「なんだかよくわからないが、わかった。私も禁酒して久しいが、今日は飲むか」
「うむ」
ドラゴンは酒瓶にしがみつくようにして、口で器用にコルクを抜いた。
そして瓶をかたむけ、酒を口に流し込み――
「グアアアアアアアアアア!? 強っ!?」
もんどりうってテーブルから落ちた。
男性は倒れかけた酒瓶を支え――
「大丈夫かね、ドラゴン!?」
「おい吸血鬼貴様、なんだその酒は! 強くないか!?」
「いや、普通の蒸留酒だが……まあ、割って飲まないと強いかもしれないね」
「喉が焼けるかと思ったわ! というか胃が焼ける……! 水、水を……!」
ドラゴンが床でじたばたしている。
男性は指をパチンと鳴らし、眷属を呼び出した。
すぐさま現れたメイド服姿の少女に、『彼と私に水を』と言う。
ほどなくして、眷属は安っぽい犬用の水皿と、高そうなガラス製の美しいコップに水を注いで戻り、一礼して去って行った。
ドラゴンは這うように床に投げ捨てられた水皿へ近寄り――
首をのばしてペロペロと水を飲んだ。
「……ふう。死ぬかと思ったわ」
「しかしドラゴンよ、君、昔は『樽』の単位で酒を飲んでいたとかいう話を聞いたが……しかも濃縮ワインなんかをガブガブと」
「今と当時では体のサイズが違う」
「なるほど……」
「というか吸血鬼よ、我は気付いたぞ」
「なににだね?」
「年齢とともにアルコールへの耐性が下がっている」
「…………」
どうやら。
耳の痛い話が始まりそうだった。
「ええとドラゴンよ……うーん、まあその、なんだ? いいではないか、歳のことは」
「いいや、よくはない。我は今思ったぞ……我らは幻想種呼ばわりされ、現代ではお伽噺の中にしか存在しない……それはとりもなおさず、その強さ美しさは劣化せず、ヒトの心の中で生き続けているということだ」
「君にしては美しい表現をするね……」
「しかし、現実の我らは劣化するのだ」
男性は反射的に耳をふさいだ。
ドラゴンが飛んできて、男性の耳のそばで言う。
「年齢から目を背けるなァ!」
「いや、違うのだよドラゴン。聖女ちゃんにおじさん呼ばわりされお年寄り扱いされるのと、君にリアルな感じで年齢を重ねる悲哀を聞かされるのとでは、私の心へのダメージが違うのだ。特に君に言われる方は適度に耳をふさがねば心が壊れてしまう」
吸血鬼とドラゴン――
両者はかつて、戦ったことがある。
激戦であった。
あれ以上の戦いはなかなかないのではないかというぐらいの名勝負であった。
その相手が――
――年齢とともに劣化する。
青春を過ごした相手の劣化は、同時に自分の劣化をも連想させる。
美しき若き思い出を共有する相手には若くあってほしいものなのだった。
「吸血鬼ぃ! 我の話を聞けぇ!」
「聞こえる、聞こえる! そんなに大声を出さなくても聞こえている!」
「いいかあ、貴様はなあ! 貴様はなあ! ……本当にすごいやつなのだ」
「……なんだと?」
ドラゴンが他者を褒める。
異常事態だ。
「ドラゴン、君、まさかもう酔って……?」
「我はな……このままずっと、一人で生きていかねばならんのかと思っていた……犬扱いされ、石を投げられ……このニンゲン社会で一人きりで……だというのに貴様が生きていてくれて……こんなに嬉しいことがあるかァ!?」
「酔っているね。水を飲みなさい」
「うぐっ……ぐすっ……えぐっ……我は……我はなあ……我は……美少女ではない……!」
「知っている」
「目前に絶滅を控え世をはかなんでいた時! 同じように絶滅を控えているくせに脳天気な貴様の姿を見て、どれほど奮起したことか! ああ、我もこやつのようになーんも考えずバカみたいにのんびり生きよう、それで許されるのだとそう思ったのだ!」
「わかった、わかった。酔いが覚めたら覚えていなさい」
「我は生きるぞ……生きて……たくさんの恵まれない犬猫を助けるのだ……そのためにはカワイさを磨き……我を愛護する団体を設立し……三食カリカリ……いや、そうではない……そうではない……! 我はただ、我はただ――」
「わかったわかった。興奮するな」
「――美人でいい体をした女に抱きしめられて毎日過ごしたいだけだったのだ……」
ドラゴンが羽ばたくことをやめて床に落下した。
ポテン、と落ちた丸い生き物を見て、男性は――
「――アルコール耐性の低下、か」
テーブルの上の酒瓶を見る。
そして――飲まずに眷属に下げさせることに決めた。




