77話 吸血鬼はキャッチフレーズを探している
「……よし、これで完成だ」
チュンチュン……チュンチュン……
キシャー……キー……
ガタガタガタガタ……
気付けばすっかり朝になっているようだった。
男性は目の前のキャンバスを見る。
そこには鮮やかな色合いの、翼の生えた少女が描かれていた。
「我ながらファンシーな仕上がりになったものだ……」
顎をなでながらつぶやく。
ちょうどそのタイミングで、部屋の扉が開けられる。
「おじさん、おはようございます!」
入って来たのは、桃色髪の少女だった。
色気はないが快活そうで健康的な彼女は『聖女』であり――
――男性が描いていた絵のモデルであった。
「やあ聖女ちゃん、おはよう。今、絵が描き上がったところだよ」
「あ、完成ですか!?」
「いや、描き終わったのが今なので、これから絵の具を乾燥させねばならないのだけれどね」
まあ、それほど時間はかからない。
普通だと完全に固まるまで半年とかかかる場合があるのだが、男性はなんやかんやでどうにかしている。
なので――
「絵の具が完全に固まるまでは、そうだね、一週間ぐらいかな」
「へー……長いんですね……」
「これでもだいぶ短い方だがね……」
「でもおじさん、じゃあ、けっこう早くから起きてらしたんですか?」
「いいや、徹夜だよ」
「徹夜!? その年齢で!? 無理はダメですよ!」
ところで男性は吸血鬼である。
現代ではほぼ絶滅してしまっていて、世間的には『お伽噺に出てくるやべーヤツ』という程度の扱いだが、男性はたしかに吸血鬼なのだった。
なので、見た目年齢よりは若いつもりでいるが――
聖女は現代っ子なので、『私は吸血鬼だから大丈夫だよ』とか言っても通じないだろう。
「あの、おじさん、ごめんなさい……無理をさせてしまって……」
「いやいや。没頭すると時間が気にならなくなる性分でね。君のせいではない」
「でも、おじさん、徹夜はよしてくださいね? おじさんが体を壊したら、医療費を眷属ちゃんが支払わなければならなくなるんですから……」
「……」
思っていた以上にリアルな心配だった。
心配されているのにやるせなくなってくる。
「……まあ、たくわえはあるし……それにほら、ええと、なんだ、私は……」
「……『私は』?」
「その、ええと……」
念のため注釈すれば、言いたいことがあるのに言葉が出てこないアレではない。
男性は言おうとしているのだ――『私は吸血鬼だからね』と。
だが――なぜか言えない。
……そうだ、先日からだんだん、聖女に吸血鬼アピールをしづらくなってきている。
心情の問題だ。
若い女の子に変なおじさんだと思われたくない――そういう見栄みたいなものが、ニンゲン社会に慣れていくにつれ、だんだんとわきあがってきているのだ。
――これではいけない。
変なおじさんだと思われたくない――なるほど、その見栄はいい。格好をつけるのも大人の男のたしなみだ。
しかし、真実を偽るのはよろしくない。
人に気に入られるために、真実を曲げ、虚言をろうし、体裁を取り繕うのは――ちっとも優雅ではない。
だから男性は探す。
格好をつけつつ、嘘を言わない。
優雅でありつつ、自分をさらけ出す。
そんな物言いはないものか――
「――そう、私は、不死身だからね」
「不死身、ですか……?」
「そうだ。なんだ、ええと……見た目で判断しないでもらおうか! こう見えて私はまだまだ若いのだから!」
「あ、そ、そうですよね! ごめんなさい、お年寄り扱いしてしまって……」
聖女がしゅんとする。
そういう反応がほしかったのではない。
「いや、謝らなくてもいいのだ。謝られたかったわけではない。よし、今のなし。不死身は忘れてくれたまえ」
「は、はあ……」
「私は……そう、私は大丈夫だ。なぜなら私はお金持ちだからね」
「……ええっと」
「うん、今のも違ったようだね」
男性は渋い笑顔を浮かべた。
なんだろうこの、言葉を重ねれば重ねるほど傷が広がる感じは。
男性は思う――吸血鬼という言葉を使わずに、病気にならず、頑健で、健康的にも金銭的にも心配がないと若い子にさりげなくアピールするような言葉はないものか?
考えているが、おどろくほど考えがまとまらない。
だから男性は言う。
「まあとにかく、私は大丈夫だ。今はちょっと――徹夜明けだからね」
「えっと……寝てください」
聖女は言う。
男性はもっと聖女を心配させないような言葉はないかと探したが――
「……はい」
――なんにも出てこなかった。
吸血鬼は『吸血鬼』に代わるキャッチフレーズがほしい。




