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73話 妖精は妖精の地位向上を狙っている

「文字の練習……つまり、トレーニングなのですね」

「そうだな」



 どうだろう。

 男性の中には一抹の違和感がないでもなかったが、深く考える気にはなれなかった。


 なにせ相手は妖精である。

 現代で『妖精』という言葉は、『小さくてかわいらしい』『幻想的で美しい』などという比喩として用いられるようだが――


 目の前にいるのは『妖精のような存在』ではない。

 手のひらサイズで、背中の四枚羽根で飛ぶ、本物の妖精だ。


 そして妖精やら吸血鬼やらが『いないもの』とされた現代には伝わっていないようだが……

 妖精はバカである。


 それはもう、悲哀を感じるほど知能がない。

 なので妖精を相手にする時は、なるべく言葉短め、真実よりもわかりやすさ優先でいくべきだと男性は学んでいる。



「……まあ、そういうわけだから、とりあえずやってみなさい。効果がありそうだと思ったら続けるといい」

「わかったのです」



 そういうわけで、妖精が美文字検定のテキストをこなすことになった。

 男性は来客用ソファから、妖精の文字練習の風景を見る。


 来客用ローテーブルの上――

 妖精は広げられたテキストブックに乗って、一生懸命に文字を書いている。


 持っている物はただのエンピツだ。

 しかし妖精が小さいので、普通のエンピツでさえ槍のように見える。

『持っている』というよりも『抱えている』という方が、表現として適切だろう。


 その動きも『文字を書いている』という感じではない。

 ゆったりとしたダンスのステップを見ているかのようだ。



「どうです?」



 一文字書き終えたらしい。

 男性は「どれ」と妖精の書いた文字をのぞきこみ――



「……うまいではないか」

「妖精さんは文字なのです」

「いや、貴様は文字ではなく妖精だが……」

「しかし筋肉なのですよ?」

「……」



 うかつに言葉を拾うと妖精時空に取り込まれる。

 男性は口を閉ざし、じっくりと妖精の書いた文字を見た。


 テキストブックは、『横にあるお手本を見ながら自分で書いてみましょう!』という形式になっている。

 なので、妖精が文字を埋めた空欄の横には、手本となる綺麗な文字があるわけだが……


 見ながらやったにしても、うますぎる。

 寸分違わぬコピーと言えるだろう。



「ふむ……手本を見ながらその通りにはできるのか」

「吸血鬼さん」

「なんだ」

「妖精さんは、文字なのです」

「いや、貴様は妖精だが」

「しかし」

「筋肉でもない」

「妖精さんはエリート妖精なので、一族の期待を一身に背負っているのです。なので賢くあらねばならず、文字は賢いのです」

「……まあ、貴様が言語を解し会話ができるだけでも、他の妖精とは一線を画すな、たしかに」

「妖精さんは頭がいいですから……」



 フッ、とインテリジェンスが高そうな笑みを浮かべる妖精であった。

 今の表情はとても賢そうだったので、ひょっとしたら妖精は賢いんじゃないかという夢を男性は見た。



「……しかし、となると妙だな……前に見た貴様の文字は明らかに汚かったが……」

「妖精さんはこのお城に来てから文字を書いてないですよ?」

「いや……まあその、なんだ……」

「……?」

「……貴様の肉体を見ていると文字が汚そうだと思ったのだ」

「つまり吸血鬼さんは、妖精さんの体幹の鍛え具合を見て文字の綺麗さを判別したですか?」

「そうだな」



 いや、どうだろう?

 だが妖精が納得しているので、もうそれでいいかなと男性は思った。


 まあ、文字が汚かった理由は不明だが……

 なんか綺麗な文字を書けてしまった以上、もう妖精を拘束する理由もなかろう。

 なので男性は『文字を書くのはもういい。あとは好きにしなさい』と妖精を解放しようと思ったのだが――



「妖精さんは吸血鬼さんに認められたいのです」

「……なんだ急に」

「もう、妖精さんはいっぱい筋トレをしてきたのです。腹筋運動が、背筋運動が、プッシュアップが、スクワットが、妖精さんの中で息づいているのです……」

「貴様、昨日以前の記憶を維持できたのか……」

「そろそろ妖精さんも次のステップに進むべきだと思うのです」

「つまりどうしたい?」

「吸血鬼さんに勝って、妖精の地位向上を目指すのです!」



 妖精が片腕でエンピツを抱えながら、右手で吸血鬼を指さす。

 男性は困惑しつつ――



「しかし、私に勝つとは、なにで勝つのかね? まさか殴り合いをするわけでもあるまいし」

「妖精さんの筋肉は人を傷つけるためにあるのではないのです。頭をよくするための筋肉なのです」

「まあその、なんだ、色々言いたいことはあるが、いい信念だと評価しておこう。それで、どのように私に勝とうというのかね?」

「やはり筋肉と知力の総合芸術――文字の早書き勝負なのです」

「……文字の早書きと、筋肉の因果関係が見出せないのだが……」

「文字を書くのは全身運動なのです」

「貴様にとってはな」

「そして文字は知能なのです」

「貴様にとってはそうかもしれんな」

「なので、知力と体力を………………」

「妖精?」

「…………」



 妖精は無言のままエンピツをテーブルの上に置く。

 そしてスクワットをして、



「……勝負!」

「貴様、すでに知能が限界のようだが大丈夫か?」

「有酸素運動で鍛えた妖精さんの持久力が空のように広く花のように甘い花蜜おいしい!」

「休め」

「ぬうううん……勝負!」



 妖精は男性に背を向け、背中や腕の筋肉を見せつけるかのように両腕を曲げるポーズをとった。

 彼女が『ここぞ』という時のため、その日一日の知能と引き替えに今この瞬間の知能を爆上げするボディビルダーのポーズである。


 つまり――妖精は本気だ。

 そして覚悟をして挑んでくる相手を邪険にするのは、男性の美学に反する。



「わかった。貴様の覚悟に私も応えよう!」



 男性は座ってたソファから立ち上がり――

 バサァッ! と着ていたガウン的パジャマを脱いだ。


 その下から現れたのは、黒いオーバーオールに身を包んだ姿である。

 仕込んでいたわけではない――物質具現化能力によるオーバーオールの具現だ。


 ガウンだと袖が邪魔で文字を書きにくい。

 そして着替える時間、妖精の知能がもつかわからない。


 それゆえの緊急措置であり――

 ようするに。

 男性は着衣に見えるが全裸であった……!

 男性は袖口から仕込んでいた数本のエンピツを取り出し、



「紙は――よし、ベッドの上にメモ用の紙があるな。制限時間は三分でよかろう。動画で見た『紳士のスポーツ』らしい『ボクシング』とかいうのの一ラウンドと同じだ。ちょうど三分少しあとに時計が鳴るだろから、そこで終わりだ」

「よう! せい! さん!」



 妖精が男性に正面を向け、がに股になって腰のあたりに両拳を添えるポーズになった。

 彼女の知能はそう長くはもつまい。

 男性は細かいルール設定をしている時間はないと感じる。



「ではなんだ、ええと、とにかく、このメモ用紙に文字を多く書いた方が勝ちでいいな!」

「ふううう……いえす!」

「では――始め!」



 ダァン!

 男性はメモ帳をテーブルに叩きつけるように置いた。

 そしてローテーブルのそば、床に直接座り――

 一心不乱に文字を書き始める。


 カッカッカッカッ――

 硬いテーブルの上で、紙にエンピツを走らせる音が響く。


 二人とも呼吸も忘れるほどの真剣さだった。

 あっというまに量産されていく文字。


 男性にとってはたかが机上の文字書き勝負。その戦闘の規模は今まで行ったどの戦いよりも小さいだろう。

 しかし心にゆるみはなかった。

 たかが文字を書くだけでこの熱量。第三者が見たら『ついに気が狂ったか』と思うほどの、ドン引きするほどの真剣さである。


 実際のところ、真剣にならねばいけなかった――勝負は拮抗しているのだ。

 ……そも、この勝負は、男性側圧倒的有利のはずだった。


 ひと文字書くのに全身の力を使わねばならない妖精と、肘から先だけで文字を書くことができる男性。

 メモ用紙の交換だって、男性にとってはたかがペラ紙一枚。されど妖精にとっては自分と同じ大きさの、しかも空気抵抗を受けて舞う扱いにくい物体。


『体の大きさ』というアドバンテージがある。

 そのはずなのに――戦いは伯仲していた。


 なぜ、引き離せない?

 意外な妖精の速度に、男性はつい、チラリと妖精を見てしまう。


 ――失敗だ。

 そこにいたのは一心不乱に文字を描く妖精。

 けれど、一見して文字を描いているようには見えない。


 まるで舞踊だ。

 よどみなく繰り返され続ける円運動。

 エンピツを抱え、ステップを踏み、汗をきらめかせ、カッカッとリズムを刻む小さな彼女の姿には、思わず魅了されてしまう美しさがある。


 男性は見惚れた。

 三分という時間制限、拮抗した勝負の状況において、たとえわずかな時間でも、見惚れて、手を止めてしまう。


 ――鳴り響く終了の鐘の音。

 ゴーンゴーンと余韻を残す柱時計の音を聞きながら――妖精は倒れた。


 だけれど意識は失わない。

 弱々しくはいずりながら、彼女は男性の方へ近付いてくる。



「ようせいさんは……かずを、かぞえられない……」



 そうだ、集計しなければ。

 彼女の意識が――知能があるうちに、結果を集計せねばならない。


 男性はそれぞれの書いたメモ用紙を拾い集め、書いた文字数を計算していく。

 ……その結果、文字数はなんと、妖精の方が多かったのだ。

 しかし――


 ――汚い。

 妖精が後半に書いたと思われるそれは、おおよそ文字とは判別できない、謎の模様のようであった。


 おそらく、疲労のせいだ。

 全身運動。知能のフル稼働。――たかが『文字を書く』という動作は、事前に彼女が言っていたように、筋肉と知能の総合芸術に他ならなかった。


 これを、文字と認めていいのか。

 文字と認めることは――その甘い採点は、妖精に対する侮辱にならないか?


 悩む男性の耳に――

 声が、とどいた。



「――ようせいさんたちは、ちのうを、てにいれた」

「貴様の勝ちだ」



 男性は反射的に述べていた。

 なるほど、圧倒的有利な条件だったにもかかわらず、純粋に『線を引く速度』で負けていた理由がわかった。


 ――背負うものの差。

 妖精は、妖精という種族を背負い、吸血鬼に挑んでいた。

 吸血鬼は――彼女の心意気を買って、勝負に応じただけだった。


 ……そもそも、勝負開始の条件がイーブンではなかったのだ。

 妖精はすでにいくらか発言をしていた――限りある『知能』という資源は、勝負開始時点ですでに枯渇気味だったと言えよう。


 これで『字の美しさ』などという主観的にしか判断できないものまで判定基準に入れるのは、いささか以上に条件が男性側に有利すぎる。

 そのような判断だった――勝ちをゆずったわけではない。互いの条件を可能な限り平等にそろえたうえで、妖精は勝利したと、男性は決定したのだ。



「ようせいさんは――かった」

「そうだ。貴様の勝ちだ。……だから今は休め。この勝利を明日の貴様が覚えていないとしても――おめでとう小さき者よ。貴様が私を圧倒したという事実だけは消えない」

「……」

「勝利の美酒でも捧げたいところだが、今は睡眠の方がよかろう。休め。貴様は――君はもう、生物として私に勝利したのだから。勝者には願望を叶える権利がある」

「…………」



 最後に妖精は、安らかに笑った。

 男性はテーブルの上で目を伏せる妖精を一瞥し――

 天井を仰いだ。



「……ああ、これが敗北というものか」



 知らなかったソレを味わうように、目を閉じる。

 ソレはすがすがしく、胸にストンと落ち――少しだけ苦い、蜜の味。

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