71話 そして犯人は誰もいなくなった
「妖精さんはもう筋トレができないのです」
なぜ、みんな絵を描いていると邪魔しに来るのだろう――
男性はそう感じながらも、絵筆とパレットを右側に設置した台に置いた。
もう時間は深夜か明朝だろう。
今日はさんざんゲームで遊んでしまったため、男性はちょっと焦りながら絵を描いていた。
別に〆切やノルマなどを設定しているわけではないが……
なんとなく『あ、今日は全然やってない』という気付きが男性を急かすのである。
そんなわけで目の前にはキャンバスがあり、男性はベレー帽とフレームの分厚い度なしメガネをかけ、ツナギを着て作業中だったのだが……
そこに、妖精が来たわけである。
妖精。
それは筋トレをする幻想種だ。
まあこうして実在するので幻想もなにもないのだが、少なくとも世間的には『お伽噺の中にいる空想上の生き物』ということになっている。
実際、家の中で見かけたら『幻だ』と思うだろう――美しい容姿、手のひらサイズの肉体。露出度の高い服装に、背中には透明な四枚羽根。
くすくす笑いながら部屋をブンブン飛び回り、知能はなくイタズラ好きというこの連中は、寝る前に発見してしまうと夢だと思いたくなるような不快な生き物なのであった。
昔の話だ。
今の妖精は『美しい容姿と手の平サイズ(中略)知能はなく』のあたりまで変わらないが、それなりに共存できるパーソナリティの持ち主にはなっている。
だから男性は、気遣うように、部屋の扉を入ったところでうちひしがれる妖精を見る。
そして席から立ち上がり、心配そうにそちらへ接近し、妖精のそばでしゃがみこんだ。
「どうしたのだ妖精よ……貴様が『筋トレできない』などと……なにがあったのかね?」
「……………………………………」
「まさか、貴様……!? 筋トレできない理由がわからないのか……!?」
「あ、そ、そうだったのです! さっき起きたら、こんなものが……」
妖精は胸のあたりに手を突っこんで、一枚の紙を取り出す。
そこには汚い文字でこんなことが書かれていた。
『筋トレをしてはならない』。
もうひとかたまり単語らしきものもあったが、そちらは汚すぎて内容が判別できなかった。
「脅迫なのです……!」
「……」
脅迫文章に見えなくもないが……
そもそも妖精の実在を知っているメンバーが妖精自身を含めても四人しかいない。
その中でこれだけ汚い文字を書きそうなのは――
文字そのものを書けるか怪しい妖精。
それから、四肢に『つかむ』機能がないドラゴンしかいないだろう。
となると犯人はドラゴンだろうか。
もう容疑者にのぼった時点で犯人はドラゴンでいいかという気もするのだが――
「このままだと妖精さんがエリートではなくなってしまうのです……! 知能が……! 妖精一族の未来が……!」
「一族と言えるほどの数はもはやいない気もするが……」
まあ、なににせよ。
妖精が納得して筋トレを再開するために、真相究明は必要だろう。
男性はそう考え――
「わかった。では、犯人を捜そう」
パチン、と指を鳴らして眷属を呼び出し――
証言を集め、推理を始めることとした。
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男性の部屋には城に住まうすべての住人が集まっていた。
まずは、城の主たる男性。
フチの厚いメガネはそのままに、キャスケット帽をかぶり、インバネスコートを羽織り、パイプ(無点火)をくわえた姿は小説に登場する探偵のようで、男性のノリのよさが垣間見える。
おどろくべきは、これら衣装がすべて手製だということだろう――嫁にほしい吸血鬼ランキングとかいうものがあればきっと上位に食い込むに違いないマメさであった。
探偵役の男性の正面には、三人の住人が横一列に並んでいる。
男性から見て一番右にいるのは、メイド服姿の少女だ。
まだ幼い子供にも見える、黒髪で片目を隠したその女の子は、眷属。
長い時を経て(なぜか)コウモリから人型に転じた、男性の従僕であった。
その横にいる子犬は子犬だ。
赤い体表を持つ、多少太った子犬サイズの子犬である。
傍若無人で自己中心的なその性格は、古い時代の性格の悪い成金のようでもあり、今のところ容疑者としては筆頭候補と言えよう――実際、だいたいの困った事態の背景には彼が存在するという印象さえある(印象だけだが)。
そして被害者兼容疑者の妖精。
彼女が犯人という可能性も、決して低くはない。
なぜならば――妖精の記憶は、長くはもたないのだ。
自分で寝る前に書き置きをして、その事実を忘れている可能性はとても高い。
「えー、今回集まってもらったのは他でもない。妖精のもとに、何者からか脅迫文章がとどいたのだ」
ざわざわと容疑者たちがざわめく。
妖精までざわめているのが少々気になるが……
「脅迫内容はこちらだ。『筋トレをしてはならない』――もうひとかたまり、なんらかの単語らしき文字列があるのだが、私の方では解読できなかった。文字が汚すぎて。そういうわけで、諸君らには、犯人の特定と文章の解読への協力を要請したい」
男性が言うと――
真っ先に息を荒げる者がいた。
「つまり貴様は、我らの中に犯人がいると、そう言うのだな」
ドラゴンである。
『最初から一番怪しいが怪しすぎて犯人に見えない』ムーブだ。
男性はパイプを吸うフリをし――
「そうだ。妖精の存在を知る者は、我ら三人――妖精含め四人しかいない。必然、その中に犯人いると考えるべきであろう」
「我ではないぞ!」
「それを検証するためにも、証言を聞きたい」
「だいたい、『筋トレをしてはならない』と書いてあるだけで、したらどうなるかがないではないか! 無視すればよい!」
「『したらどうなるか』が解読不可能部分にある可能性も考慮せねばならんのだよ」
「このメンバーでそこまでひどいことをしそうな者など――」
ドラゴンがなにかを言いかけ――
眷属を、見た。
「――そういえば眷属よ、貴様……妖精が食糧に見えるのではなかったか?」
「!?」
眷属がびっくりしていた。
そして慌てたように首を横に振る。
「……けんぞく、ちがう。けんぞく、うそつかない」
「バカめ! このドラゴンの目はあざむけんぞ! 嘘はつかぬかもしれんが、隠し事はするであろう! なにせ貴様はしゃべるのが大嫌いだからなァ!」
ドラゴンが吠える。
見た目が幼いかわいい女の子である眷属をここまで勢いよく責めることができるのは、素直に尊敬である――ドラゴンは世間体をあんまり気にしないようだった。なかなかできることではない。
「たべたら、いけないと、いわれている。から、たべない」
「この賢いカワイイドラゴンをあざむこうとしてもそうはいかんぞ。よくしゃべるではないか。普段は全然しゃべらんくせに」
「……」
「たしかに貴様は吸血鬼の命令に従う。だが――我は知っているぞ。貴様が部屋に妖精を連れ込んで夜な夜なお人形遊びをしていることをなあ!」
「!?」
「あの文字が汚すぎて読めない部分は、きっとなにかアブノーマルな要求を書いたのであろう? 白状するなら今であるぞ。今、自分の罪を認めるならば、吸血鬼があんまり怒らぬよう、我からも口添えをしてやってもいい。ただしアブノーマルな遊びに我も混ぜよ!」
「ち、ちがう」
「動揺しておるな! アブノーマルな欲求自体はあると見た!」
「……ち、ちがう」
「普段なにかと我を加害者にしおって! ああ、有利な立場から他者を責めるのは楽しいなあ!」
ドラゴンの性格の悪さが露見し(とっくに露見しているが)――
眷属の夜の遊びが発覚し(ついでにアブノーマルな願望を持つ疑惑も生じ)――
男性がパイプをくわえてモゴモゴしながら、『知りたくなかったな』と思っていると――
「ああっ!?」
妖精が、急に大きな声をあげた。
三人はいっせいにそちらを見る。
すると、妖精が、わなわなと震え、視線を男性へ――男性の持つ『脅迫状(仮)』に向け、
「そ、その紙に書いてある文字が、読めたのです……!」
「なんだと!?」
男性は思わずパイプと紙を取り落とす。
ヒラヒラ舞い、カーペットの上に落ちた紙に妖精はフラフラ近寄り――
「この紙には、『筋トレをしてはならない』と、他に、もう一言――」
「……」
「『超回復』と書いてあるのです……!」
一同がザワザワする。
妖精は落ちた紙に覆い被さるように四つん這いになり、
「『超回復』……つまり、『筋トレをしてはならない』理由とは、運動で痛めつけた筋肉がより太くなるよう休ませる必要があるから、今日は筋トレをしてはならないと、そういう意味だったのです……!」
一同、しばし沈黙。
男性が動き、パイプを拾って――
「……つまり、その紙を書いたのは……」
「そ、そうなのです。この紙を書いたのは……」
「貴様か、妖精」
「いいえ、筋肉の神様なのです」
「……は?」
「妖精さんは書いた覚えがないのです。でも、筋肉についてこれほど的確なアドバイスを妖精さんにしてくれるのは、筋肉の神様と、もう一人の妖精さんなのです」
筋肉の神様(男性が演じた)。
もう一人の妖精さん(動画に映った妖精自身)。
つまり、妖精自身が書いて忘れ去っているだけ、というのが真相っぽいのだが……
「よかったではないか」
ドラゴンが言う。
ピコピコ歩いて、四つん這いになる妖精の肩に右前足を置き、
「筋肉の神だかなんだか知らんが、ようするに、貴様のがんばりを見ていた誰かが『休んでいい』と言ってくれたのであろう?」
眷属もうなずき――
「ようせい、がんばってる。よかった、よかった」
そう言って。
眷属とドラゴンが。
なにかをうったえるように、男性を見た。
男性は気付く。
「……まさか、お前たち……!」
真相は、みんなわかったのだ。
妖精の自作自演だと、みんな、わかっているのだ。
筋肉の神様も、もう一人の妖精も、実在しないことはみんな知っているのだ。
それでも――
みんな、妖精の夢を壊さないように、振る舞っているのだ。
……そうだ、犯人が誰かなんて、もうどうだっていい。
妖精がパーソナリティとも言える筋トレを再開できそうなのだ。
それだけが重要で、他はなにも、重要ではないだろう。
だから男性は微笑み――
「……よかったな妖精よ。お前の筋トレは無駄ではなかったし、これからもきっと、無駄ではないのだ」
「無駄ではないのです!」
「明日からも励めよ」
「励むのです! 知能のために!」
「ああ。知能のために、これからも筋トレをがんばりなさい」
「頭がよくなる!」
みんな笑っていた。
なんて平和な世界なんだろう――男性はなぜかこみあげてくるうすら寒いような気持ちをこらえながら、そう思った。




