68話 吸血鬼はドラゴンと戦う
「……戦いたい」
男性はボソリとつぶやく。
ベレー帽とフチの厚いメガネ、ツナギをまとった彼の目の前には、キャンバスがあった。
イーゼルに乗せられたそれには翼を生やした少女が描かれていた。
まだ未完成だが、色調は明るい。
後光を受け両腕を広げるその姿には、神聖なものさえ感じられた。
だが、男性はつぶやくのだ。
「座って絵ばかり描いていると、体を動かしたくなってくるものなのだな……」
「我の出番か」
ピコピコ――
軽快な、そしてカーペットの上ではどうやったって鳴りようもないような足音を立て、男性の足元でうごめく生物がいた。
赤い体表を持つ、翼と角と太い尻尾の生えた、四足歩行のずんぐりした生き物――
ドラゴンである。
最近、少々太めになってきたが、それでもサイズは太った子犬程度だろう。
実際世間ではどうにも犬に見えるらしいので、現代のニンゲンの目は節穴なのだろう。
その生き物は翼を伸ばし、前足を曲げ、尻を振っている。
そして長い鎌首を伸ばし「ワンッ!」と鳴いて――
「さあ来るがいい」
「…………なにがかね?」
「貴様、今、戦いたいとつぶやいていたではないか」
「ああ、そんなこと言っていたか……いや、戦いたいとは言ったかもしれないが、実際に戦いたいわけではなく、『動きたい』という程度の意味でしかなかったのだがね」
「しかし戦いはいい。血が騒ぐ」
「なんの血が」
「空の王たる我の血が騒ぐのだ!」
――どらごーん!
そのようにドラゴンは咆えた。
ドラゴンの咆え方は果たして『どらごーん』でよかったのか男性は少し悩んでから、
「あーその、君はなんだ、カワイさを極めるのではなかったのかね? カワイければなんかこう強い感じだからカワイイ方向に行くとかなんとか」
「フッ……たしかにそうだ。我は世界一カワイイし、カワイければ戦闘能力などいらぬと思っている。カワイイ生き物をヒトは攻撃しない。戦わなければ敗北はなく、戦闘意欲を奪うカワイささえあれば、それはすなわち無敵である」
「ではなぜ、戦おうなどと……」
「いいか吸血鬼よ。我は――ドラゴンだったのだ」
「……そういえばそうだったね」
「今でこそこのようなカワイイ生き物になってしまったが、かつての我は山のような巨体をほこり、気に入らぬものすべてを灰と化し、えーっと、なんかそう、とにかく怖かった……」
「……わかるよ。歳のせいで過去の自分がどんなんだったかがフワフワしているのだね」
「そう、それが問題なのだ」
ドラゴンは立ち上がる。
後ろ足二本で立ち、ふらふらと三歩歩いて(たぶん動作に意味はない)――
「――我はたびたび、己のキャラクターを見失うのだ」
「…………そうだね。定期的に刷新している趣さえあるかな」
「そのせいで最近は『ドラゴン』というのがなんなのか、イメージができなくなりつつある……」
「自業自得だと思うが」
「言うな。アイドルを目指していた我も、神を目指していた我も、それはそれで必死であったのだ。常に我は生き残るために戦いを続けている……そしてたびたび本来の目的を忘れる。年齢のせいで……」
「いや、それは性格のせいだと思うが」
「そう、怖ろしきは年齢なのだ」
「……もうそれでいい」
この自分に都合の悪い話を一切聞き入れないあたりは、昔から変わらないところである。
ドラゴンはバサァッ! と意味もなく浮遊し――
「いいか、我はカワイイ生き物であると同時にドラゴンだ。しかし、ドラゴンとはなんなのか、それがどうしても思い出せん……」
ドラゴンが顔をうつむける。
なぜだろう、その言葉は男性の胸にも突き刺さった――吸血鬼とはなんだったのか。なんとなしにイメージはできるのだが、最近どうにもフワフワしてきている。
「……吸血鬼よ、貴様もきっとそうであろう?」
「!? き、君、心でも読んだのか!?」
「いいや。心を読んだわけではないが、我にはわかるぞ。なぜならば、貴様と我には共通点があるのだ」
「どんな……?」
「お年寄りという共通点がな……」
「やめろ……! 君ほど年寄りではない! 私は、君よりは全然若い!」
「クックック……! バァカめ! 貴様も我も、若者から見ればどちらもお年寄りに相違ない!」
「なんだと……!?」
「いいか吸血鬼よ! 我らの現状を正しく認識せよ! 我らはなあ、年寄りなのだ! 年寄り同士でどちらが若いかなど競っている場合ではない! もっと視野を広く持て!」
「まさか視野狭窄の代表格みたいな君に、視野が狭いと指摘をされるとは……」
「――ほしいか?」
「…………な、なにを?」
「若さが、ほしいか?」
「……私は……私は別に、若さなど……」
「なにもかもが新鮮に感じていたあのころ」
「!」
「見るものすべてが楽しかった」
「!?」
「失敗をおそれず、興味があるものにはためらいなく飛びこんでいける元気とフットワークのあったあのころ……」
「!!」
「――取り戻したくはないか?」
ドラゴンが笑う。
なぜだろう――咄嗟に拒否できない。
男性は、若さに執着はないはずだった。
年齢を重ねることに抵抗はなかった。
見た目年齢だって、趣味で重ねたフシさえある。
だというのに――
――世界の工具展。
ちょっと、行きたかった……!
若ければ。
若ければ、たぶん、行っていた……!
ああ、いつからだろう、新しいことをやるのがめんどうになったのは……!
行動しないストレスが、行動するストレスを下回ったのは……!
『挑戦』より『現状維持』を自然に選ぶようになってしまったのは、いったい何歳からだ……!?
「うううおおおお! 私は……私は……!」
「フッ、恥じるな。歳を重ねれば大抵のものは手に入る。だがな、若さだけは、どれほどあがこうとも手に入らんのだ。手に入らぬモノを求めるのは、知的生物として間違っておらん」
「……だが、だが、仮に今さら私が若さを求めたところでどうなる!? ソレはもはや手に入らぬモノではないか!」
「そこで戦いだ、吸血鬼よ」
「……どういうことだ……?」
「いいか吸血鬼、我らとヒトとの最大の違い、それは――寿命や肉体年齢がテキトーなことだ!」
「!」
「貴様だって本気を出せば若返ることぐらい可能であろう!」
「いや、しかし、まあ、できなくはないだろうが……!」
できなくはないだろうが……
すごく疲れそうだから、めんどうくさい……!
「……そ、それにだねドラゴンよ、いくら見た目が若返っても、中身はもう、変わらないのだ。私は今さら若人のようにいちいちはしゃぐことはできないし、新しいものでも興味があればすぐさま挑戦できるような行動力もない……! モチベーションが、手に入らないのだ……!」
「そうだ! だからこそ我らは戦い、そして、精神のアンチエイジングを行うのだ!」
「精神のアンチエイジング!?」
「我らに足りぬものは、情熱である。貴様との戦い! あの時の血湧き肉躍る『感じ』が、我らにはないのだ!」
「た、たしかに……」
「実際に、今、あの時のような激戦を繰り広げろと言われたら、『楽しい』より『めんどうくさい』という気持ちになるであろう!?」
「たしかに!」
「だからこそ、我らは戦い、あの時の熱さを思い出す必要があるのだ! つまり――過去を繰り返すのだ!」
「だが、だが、今の私と君では、戦いにならんぞ……! 君の体が元に戻るまでは、三百年かかるという話だったではないか……!」
「そこで本日お持ちしたのがこちらだ!」
ドラゴンは背中側からなんか出した。
いったいどこに隠していたというのか、どうして聖女も眷属も妖精もドラゴンもそんな手品みたいなことができるのか、男性は悩みつつ――
「それはなんだね? ええと……箱?」
「これはな、『ゲーム機』だ!」
「……ゲーム機?」
「そうだ! これは一人プレイ用の携帯機だが、分解すると二人プレイもできるのだ」
「私は私の年齢が憎い……君の発言の意味がわからない……!」
「まあとにかく、今の我と貴様の性能差を埋め、疑似戦闘を行える装置と思え」
「なんだと……!?」
「さあ、大人げなく盛り上がって、若さと熱さを思い出そうではないか……! まずは操作方法を説明してやろう……!」
「まさか君、私とそれで疑似戦闘をするためだけに今までずっと前フリをしていたのか……!?」
「いいや偶然だ! 眷属を誘った時に舌打ちされ、妖精では操作方法を覚えられんとかではないからな!」
「正直な嘘だなあ!」
「さあ始めよう……! 心躍るゲームを!」
そうしてゲームは始まった。
ちなみに運動したくて『戦いたい』とかつぶやいたわけだが――
――別に運動にはならなかった。




