64話 ドラゴンは己を取り戻す
「はあ……」
そんなため息をつく生物がいた。
犬である――太めの尻尾と長い首を丸い体に巻き付けるようにして、木製の椅子の上にいた。
「……はあ」
耳の奥に響くような低音のため息だった。
その声にのってドラゴンの感じている憂鬱さが体に浸透してくるかのような錯覚すら覚える、それはとても低い声だった。
ここは――男性の私室である。
ゴシック&アンティークな調度品のある、暗い部屋だ。
そこにはベッドやタンス、来客用ソファ&ローテーブルセットなどの他に、新たな家具が加わっていた。
それこそが、ドラゴンが現在体を丸めている木製の椅子であり――
その椅子は、男性が絵を描くために用意したもので、椅子の目の前にはキャンバスと描きかけの聖女の絵があった。
つまり――
「ドラゴンよ、ため息をつくのはいいのだが、他の場所にしてはくれないかね? 私は今からそこに座るのだが」
「……はあ」
「ドラゴンよ」
「なんだ貴様、我の話を聞きたいのか?」
「いや」
「…………はあ」
ドラゴンは何度目かのため息をついた。
男性はしばし沈黙したあと――
ドラゴンをがしりとつかんで――
持ち上げて――
床に捨てた。
「よし」
「なにが『よし』かァッ!」
ドラゴンが羽ばたきながら抗議してくる。
男性は椅子に座って――
「いや、君が邪魔だったものでね……私は基本的に気が長い方だし、他者を乱暴に扱うこともしないのだが、日用大工や絵画などの趣味を邪魔されるのは我慢ならない方なのだよ」
「それにしたって貴様、五百年来の付き合いのある我が、いかにも悩ましげなため息をついておるのだぞ。心配とかせよ」
「……」
男性は眉間にシワを寄せ半眼になり下唇をとがらせた。
超めんどうくさそうな顔だった。
「ほう、吸血鬼よ、ずいぶんな顔をするではないか」
「ずいぶんな顔などしていないが……」
「自覚がないのか……まあいい。貴様はしかし、我の悩みを聞きたいのではないか?」
「いいや」
「貴様が我の悩みを聞くまで、我が貴様のまわりをバタバタ飛び続けるとしても?」
「……つまり君は、聞いてほしいのだね」
「違う。我が聞いてほしいのではない。貴様が我の悩みを聞きたいのだ」
「……まあそれでいいよ」
謎のプライドがあるらしい。
男性は座ったまま、ドラゴンの方向に体を向けた。
右肘を椅子の背もたれにかけながら――
「それで、ドラゴンよ、悩みとはなんなのだね? 手短に頼むよ」
「語れば長くなるのだがな……」
「手短に」
「我は、神である」
「最近は信仰もゆるくなったようだしね。そこここに新たな『自称神』が興っているという話も聞くね」
「我は、アイドルである」
「まあ、名乗るだけならば誰でもできるからね」
「なにより我は、カワイイ子犬である」
「諸説あるが、まあ、そういった説も確認できるね。あまり有力ではないかもしれないが」
「ところが我は、ドラゴンだったのだ」
「……………………いや、そうだけれど」
「カワイイ子犬でも、アイドルでも、神でもなく――ドラゴンだったのだ!」
「すまないが……君がなにを悩み、なにを訴えたいのか、私にはさっぱりわからない」
「我は我を見失っていた」
ドラゴンは羽ばたきながら顔をふせる。
男性はコメントに困った。
ドラゴンは床に着地し――
後ろ脚二本で立った。
そしてのけぞるようにしながら、両前足を突き出すようなポーズ――犬で言うところの『ちんちん』の状態――となり、
「ドラゴンである!」
「いや……それは……みんな最初からわかっていたのだが……」
「思えば我は、生き残りたいだけであったのだ」
「……」
「カワイさを求めたのも、カワイイ生き物ならば、石とか投げられないと、そう思って……黄金を捨て、酒を断ったのと同様の理由で、我は生存のためにカワイさを求めた」
「ああ、そんな時期もあったね……」
「ところがだ! 最近の我はなんだ!? アイドル!? 神!? バカか!」
「そうだね」
「我はようやく思い出したのだ。我はカワイイだけでいい。目立たなくてもかまわん。すべての者に評価されずともよい」
「そうだね」
「我は高望みはせんぞ。一部有力団体に保護動物指定されれば、それでいい……」
充分高望みのような気がしたが、男性は「そうだね」とうなずいた。
ドラゴンは「よっこいしょ」と四足歩行に戻り――
「そういうわけで――我は動画撮影をやめるぞ」
「なんだと!? 本気かね!?」
「ああ、本気だとも。『生き残る』という単純明快な目的を思い出した今、動画などに出て露出を増やすのは得策ではないと思い出したのだ」
「おお、ずいぶん遠回りをしたものだね……」
「今まで撮影した動画もすべて消そう。コピーされてしまったものは流出してしまうかもしれんが、それは仕方がない。ともあれ我は生き残り続けるために、『目立たない』『欲張らない』『カワイイ』の三本柱でいこうと思う」
「そうか、そうか……いや、なぜだろう、私はとても嬉しいよ。別に秘してもいなかったかもしれないが、最近の君の迷走っぷりは見ていて痛々しいものがあったのだ。正直、君を見るたびに重苦しい諦念が私の胸を圧しつぶさんばかりだったよ」
「貴様の大きな胸が……」
「言い方」
「……まあ、ともあれ、そういうことをな、言いたかったのだ。この決意表明をな、自ら聞いてくれる誰かを探していたのである」
「私が直前まで座っていた椅子の上でか」
「で、あるな」
「つまり私に聞いてほしかったのか」
「いや、我は貴様が直前まで座っていた椅子の上にいたが、その我に声をかけたのは貴様だ。貴様は自分の意思で我の話を聞きたがったのだ。我が聞いてほしかったわけではない」
「そのよくわからないプライドの保ち方も、今思えばなんだか『昔のドラゴン』という感じがするよ。いや、めでたい。どうだね今日は、久しぶりに酒など」
「フッ。酒か……もうその味など忘れてしまった。我は果物と野菜クズとカリカリによって生きるのみよ……」
「カリカリは続行なのか……」
「続行するとも。アレはな、すごいのだ。カリッとした外殻を噛み破ると中から自然の旨みを不自然に凝縮させたエキスが出て来てだな……」
「わかった、わかった。カリカリは続行したまえ……」
「貴様も食べてみればわかる」
カリカリを食べる吸血鬼――
聖女あたりが見たら病院に連れ出されそうな姿である。
「……まあ、ともあれ、君も己を取り戻せたようでよかったよ……取り戻せた……カワイさを求め続けるドラゴンか……取り戻せたのだよね、己を?」
「取り戻せたに決まっているであろう。もとより我は時代に適応する生き物よ。カワイさが最強たるこの時代において、カワイさを求めることは最強種たるドラゴンとして適切である」
「そうか……うむ……そうか。そうだね。そうだな。ああ、そうだとも!」
「ああ!」
ドラゴンと男性はうなずきあった。
己の正しさを認めるように――
己は正しいのだと思いこむかのように、何度も何度も、うなずきあった。




