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62話 吸血鬼は聖女をじっくりながめている

 すべての発端は来客用ローテーブルの上に置かれていた。

 つまりは『老後から始める油絵入門』というコレである。


 だから男性は、ジッと長い桃色の髪を見ていた。

 それは胸のあたりまでの長さがあって、結われたりはしていない。

 手入れが行き届いているのか、それとも若さなのか、暗い室内だというのにその髪はツヤツヤとした光沢があった。


 顔立ちは『美しい』よりも『かわいい』寄りだろう。

 幼いとまでは言えないかもしれないが、まだまだ子供だ――まあ、男性から見れば、たいていのニンゲンは子供に見えるから、この評価はあまり客観性がないかもしれない。


 男性は聖女をジッと見ていた。

 彼女は男性の寝室の入口付近で、両腕を羽ばたくように横に広げ、直立不動でいる。


 その顔には緊張の色が見えた。

 目尻の垂れた大きな桃色の瞳はせわしなく動き、口元は笑いをこらえているのか、それとも腹でも痛いのか、一文字にひき結ばれ、少しだけ震えている。


 注視すれば彼女の唇は意外と薄いことに気付く。

 上唇と下唇、強いて言えば上唇の方が若干厚みがあるだろうか。


 今まで知らなかったことだ。

 やはりなんとなく見るのと、細部に気を遣い注視するのとでは認識できるものがまったく違うようだった。


 男性の視線は一度小ぶりな鼻へあがり、丸い顎へと下がり、体の方へと動く。

 首筋と手以外の露出があまり見られない、薄いピンク色のローブ。


 ボディラインのわかりにくい服装ではあったが、それでも完全にラインを隠すまでにはいたらない。女性であるから、胸のあたりがささやかにふくらんでしまうのは、仕方ないことだろう。

 腹のあたりのラインはよくわからない――が、太くはないし、きっと細いというほどでもないのだろう。

 強いて言うのであれば『健康的』と評すべき体型を服越しに想像する。


 胴体を見て、それから腕へ視線を動かす。

 肩、上腕、前腕となぞるようにして見ていき、細い手首を通り過ぎて、手にたどりつく。

 体型に比すれば小さめに見える手。

 しかし、その白い指は、長いように見受けられた――微妙に震えているのは、緊張ゆえか。


 視線を下半身に動かす。

 ローブ姿のせいでわかりにくいが、腰の位置は高そうだ。


 なるほど、だからか――そう男性は勝手に納得する。

 実は、聖女に正面に立たれた時、いつも違和感を覚えていたのだ。

 言語にするほど明確な違和感ではないし、どうしてそんなものを抱くのかわからなかったのだが、今ここに来てようやくその正体がわかった。


 それは頭身から受ける印象と、実際の身長との差異だった。

 聖女は頭身が高いが、身長がそう高くない。

 だから遠目に見ると長身に見えるのに、近くに立たれるとそうでもなく、その違和感を男性はずっと感じていたのだ。


 一つの謎が解けたことにうなずきつつ、男性は聖女の足を見る。

 履いているのは、くるぶしぐらいまである、浅めの靴だ。


 どうやらヒモで留めるようになっている革製のもので、見た目の印象は少々無骨。

 彼女のまとう、薄い桃色のローブとはミスマッチのようにも見える。


 だが、聖女の活動を回想すれば、なるほどと思うような履き物のチョイスであった。

 なにせ彼女は普段からあちこち回って色々な人を手伝っているらしいのだ。

 第一、この城だって、街からはやや遠い――なるほど、歩き回るゆえに丈夫な革製品であり、同じ理由で、蒸れにくく疲れにくい浅めのものを選んでいるのだろう。



「……あの、おじさん」



 聖女が口以外を動かさないで言う。

 男性は――シャッシャッと目の前のイーゼルに置かれたキャンバスに木炭をはしらせながら、



「どうしたね、聖女ちゃん」

「えっと、もう大丈夫でしょうか?」

「ふむ」



 男性はキャンバスに視線を動かす。

 そこには両手を真横に広げて立つ聖女の様子をデッサンした絵があった。

 着色や顔など細かいものはまだまだ描かれておらず、骨格だけを大まかに写し取った程度ではあったが――



「まあ、そうだね。いつまでも両腕をあげて立っているというのは、疲れるだろう。大まかなデッサンは終わったしもう動いても大丈夫だ」

「そうですか……ふう」



 聖女は息をつき、腕をおろした。

 いつも元気な彼女がなんだかグッタリしているように男性からは見えた。



「さしもの君でも、モデルは疲れると見えるね」



 男性は笑う。

 聖女は苦笑し――



「はい……動かないだけなのにこんなに大変だなんて思いませんでしたよ」

「こう言ってはなんだが……」

「?」

「いつも君の元気さに圧倒されている身としては、グッタリしている君の姿はなかなか新鮮に感じるね」

「もー! おじさんったら!」



 聖女は頬をふくらませた。

 しかし、すぐに笑顔になる。



「あの、おじさん、おじさんの描いたデッサン、見てもいいですか?」

「ああ、かまわないよ」

「わあい!」



 聖女が小走りで男性の後ろまで駆けてくる。

 そして座っている男性の肩越しに、キャンバスをのぞき込み――



「わあ、おじさん、すごいじゃないですか! 絵を描けてますよ!」

「……さっき君が『老後から始める油絵入門』を出した時にも言ったが――昔少しかじったのでね。それにまだまだ下書きという段階で『描けている』と言うのは早計だと思うがね」

「でもデッサンだけでもちゃんと人間だってわかりますもん!」

「……」



 どうやらニンゲンだとわからないレベルの画力を想定されていたらしい。

 男性は肩をすくめ――



「……まあ、こういうわけだから、君の持ってきた『老後から始める油絵入門』という本は必要ないし、絵画教室に通う気もないのだよ。絵の方面で私を外に出そうとするのはあきらめたまえ」

「じゃあおじさん、この絵を完成させて、展覧会に出品しましょうよ!」

「君が私を外に出すためいくつのルートを考えているのか知らないが、私は外に出ないし、この絵がたとえ完成しても人目にさらすことはないだろう」

「うーん……残念です」

「それに――聖女ちゃん、君ね、モデルは君なのだよ? もしこの絵が完成した時、絵の中の君が全裸だったら、それでも展覧会に出せと言うのかね?」

「ええっ!? 全裸なんですか!?」



 まあ。

 全裸ではない。

 若い女の子をモデルにして絵の中で服を剥く趣味は、男性にはなかった。



「……まあ、完成図はきちんと服を着ているものを想定しているけどもね」

「ああよかった……あの、ちなみにどんな絵になる予定なんですか?」

「そうだねえ、現在のところ、君にこう、翼を生やしてみようかなと思ってね。宗教風に」

「あ、神殿で見たことありますよ! 神の遣いモチーフですね! なんか聖女みたい!」

「君は聖女だろうに……」

「そうですけど、なんていうか、歴史の授業で聞く方の聖女みたいだなって……わたしの活動って宗教的っていうより福祉的ですし、歴史上の聖女とはなんか違う気がするっていうか」

「……まあ、君は昔の聖女とはだいぶ違うね」



 かつての聖女はなんていうか――すごかった。

 人外絶対殺すウーマンである。

『神よ』とか言いながらニンゲン以外の種族を皆殺しにしていく聖女の姿は怖ろしく、また美しかったものだ。


 月光の下、血煙の中に踊るアレはアレで美しかったが――

 現代の聖女にはああいう大人にはなってほしくないな、と男性は思った。



「……時代の流れ、かねえ」

「そうですねえ。今は戒律とか守ってたら生活できませんし」

「……そういうことではないが、そういうことでいい。世界は平和になったということだ」

「えっと……はい!」



『このおじさん、またわけのわからないこと言い出したよ』みたいな応対だった。

 最近は聖女も慣れてきて、男性が『私は吸血鬼だ』とか『六百年前は』とか言っても普通にスルーされるので、言葉に詰まられるのが逆に新鮮に思える。



「あ、そうだ、おじさん、この絵、完成させてくれるんですか?」

「うん? まあ、そうだね。始めてしまったものを途中で放り出すのもおさまりが悪いし、なにより暇だ。しばらくは絵でも描いてすごそうか」

「あの、でしたら、完成品、わたしにくださいませんか?」

「別にかまわんよ。物に執着のある方でもない。私は完成品よりも、完成にいたる過程の方を大事にするタチでね。ほしいならばあげよう」

「わあ、ありがとうございます!」

「その代わり、しばらくモデルとして協力してもらうよ。顔立ちなどは、やはり実物を見ながら描いた方がやりやすいからね」

「わかりました!」

「では、再開しようか。動いてはならないよ」

「……わ、わかりました」



 聖女がちょっとだけ怯む。

 彼女はジッとしていることが苦手らしい。


 その意外な弱点に男性は笑い――

 もうしばらく、木炭がキャンバスをこする音だけが、室内に響くのだった。

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