61話 眷属は見てくれにとらわれない
「おじさーん、おはようござ――おじさんなにしてるんですか!?」
聖女がおじさんの部屋に入ると、そこには――
眷属と並んでエクササイズをする男性の姿があったのだった……!
「やあ、聖女ちゃん、おはよう」
ワンツーワンツーとケイタイ伝話から流れるリズムに合わせて手足を動かしながら、男性は言った。
今日はスポーティな格好をしている。
作業用のオーバーオールを着て、真っ白い長い髪を後ろで結び、足は裸足だった。
一方、その横で同じような動きを無表情でこなす少女の服装はいつもと変わらない。
ロングスカートのメイド服である。
超動きにくそう。
「それよりおじさん、どうしたんですか? え、エアロビ? エアロビなんですか?」
「いや、『ボクササイズ』というらしい。……ああ、ソファに座って待ってくれたまえ。もう少しでワンセット終わるのでね」
しばし男性は腕を突き出したり足を突き出したりしたのち――
ふう、と息をついて、聖女の対面のソファに腰掛けた。
「せわしない姿を見せてしまったね。おはよう聖女ちゃん」
「あ、はい、おはようございます……」
聖女の視線はメイド服姿でボクササイズをする眷属に釘づけられていた。
けっこう激しい動作をしているのだが、彼女は無表情だし、黒い髪の毛は接着剤でもつけてるみたいに片目を隠し続けている。
「……あの、なぜ急にボクササイズを?」
「いや、アレがね、身長を伸ばしたいらしいのだよ」
「眷属ちゃんが?」
「うむ。そして身長を伸ばすには適度な運動、栄養、睡眠がいいらしくてね。それで運動を色々探して、今はボクササイズを試しているところだ」
「はあ、なるほど……でもなぜおじさんまで……いえ、運動するのはいいことなんですけど」
「なぜかアレが私をジッと見ながら、わざわざこの部屋でボクササイズをするのでね……『一緒にやれ』と要求されているような気がして……」
「そうだったんですか……あの、運動は素晴らしいです。ヒキコモリ男性の七割以上が運動嫌いと答えているので、運動をすることはヒキコモリ脱却の第一歩だとは思うのですけれど……」
「君はそういうデータがパッと出てくるあたり勉強熱心だよねえ……」
「……でも、おじさんは年齢が眷属ちゃんほど若くないのですから、あまり激しい運動をいきなりするのは……」
「まあ、たしかに眷属ほど若くはないが……」
眷属ほど若くはないが、眷属も別に若くはないのだった。
推定五百年は生きている。
眷属というのはどうにも聖女の中で『個人名』になっているっぽいが、そうではなく――本当に吸血鬼に血を与えられた野生動物なのである。
ちなみに男性は吸血鬼だ。
まあ、アピールしても信じてもらえないので、最近は『吸血鬼じゃない扱い』をされた時に否定するぐらいにとどまっているが……
「……とにかく、大丈夫だよ」
「そうですか? このあいだみたいにギック……腰を大事になさってくださいね」
本来、吸血鬼の再生能力があればギックリ腰になんかなっても一瞬で治るのだ。
だが聖女の前ではどうにも吸血鬼的力が使えない。
その事実を鑑みれば、たしかに、聖女がいるあいだは激しい運動を控えた方がいいかもしれないなと男性は思った。
「……それで聖女ちゃん、今日はどのような用件だね?」
「それはもちろん外に出ていただくためのお話ですが――なんていうか、実はわたし、神がかり的なタイミングを感じているんですよ!」
「どういう意味だね?」
「今日は『思わず外に出たくなるスポーツウェア』のご紹介にまいりました!」
「……」
セールスマンみたいな口ぶりだった。
いや、聖女のふところに利益が入らないだけで、行動はいつもこんな感じだけれど。
「ね、ちょうどいいでしょう?」
「いや、うーん……まあ、そうかな。外に出るかはともかく、アレが今後もスポーツを続けるならば、メイド服は少々暑苦しいし」
「ですよね!」
「女児用を一着いただこうか」
「あの、別にわたしは販売元ではないので……」
「おっと、そうだったね。それで今日は」
「あ、はい。本日お持ちしたのはこちらの雑誌です!」
背中側から、聖女が一冊の雑誌を取り出す。
それは、表紙に男性の割れた腹筋が載っている、いかにもスポーティなものであった。
なんというか――光を感じる。
表紙に踊る文字も『今年の肉体トレンドは細マッチョ』だの『海で注目されるカラダの作り方』だの『差がつく! 体幹トレーニング』だの、いかにも他者との競争意識を煽るようなものばかりだ。
他者などいない闇の者向けではないのだろう。
世間に出て、人と交わり、モテたかったり注目されたかったりする光の者向けのニオイがぷんぷんするのだ。
「あー、聖女ちゃん、その雑誌はどうにも、私向けではないように思うのだが」
「おじさんはもう腹筋割れてそうですもんね!」
「そういう意味ではない」
「でも、ご安心を! この手の雑誌には必ずと言っていいほどスポーツシューズやウェアの広告、紹介が載っているんです。本日はそこを見せに来ました」
「ふむ。なるほど」
「ところでおじさん、スポーツウェアはなにか持っていますか?」
「いや、ないね。動きやすい服装といえば、今着ているこれしかないよ」
「その黒いオーバーオール、素敵ですよね。どこで買われたんですか?」
「いや、自作だよ」
「おじさん、お裁縫もできるんですか!?」
「六百年も生きていると気に入った服飾職人も次々死んでいくからね……自分でできた方が早いと気付いたのだよ」
「ああ、たしかに。腕のいい職人さんは高齢だったりしますものね。たまに特集されたりしますけど、跡継ぎ不足にみなさん悩まれているようですし」
「職人技というのは、なかなか身につくものではないからねえ」
「おじさんもどうです? 職人になってみたりは」
「いやいや。私はあくまで趣味でやっているだけだよ。職人のように他者から発注されたものを他者の希望通り作り出すなんて、とてもとても」
「そうですか……いけると思うんですけどね」
「ところで……」
「あ、はい。ではスポーツウェアのページがこちらです」
聖女が来客用ローテーブルの上に雑誌を開き、置く。
示されたページには、不思議な光沢のある、薄い素材でできた、色とりどりの肌着みたいな衣装が並んでいた。
というか――肌着以上だ。
男性の知る『肌着』は、ここまで人体にフィットするかたちをしていない。
「……鎧の下にでも着そうだね。これはなんというか――こんなに体のラインが出るのに、わざわざ着る意味があるのかね?」
「スポーツウェアってそういうものですよ。下着以上普通の服未満みたいな、動きやすさとか軽さとか、あと汗をかくから速乾性とかを突き詰めた服なんです」
「ふーむ……しかしここまで体に密着するようなデザインだと、どうせ家でやるなら裸でやった方がいいような……」
「最近のスポーツウェアは体の動きをサポートしてくれたりするみたいですよ! それに、おじさんと眷属ちゃんが並んで裸で運動している光景はちょっと……」
「いや、別に私は継続的に運動するつもりはないし、眷属は今日なぜかこの部屋でやっているだけで、あいつにはあいつのプライベートルームがあるのだが……」
「運動しましょうよ! 健全な精神は健全な肉体に宿りますし、おじさんだって室内運動でもしてれば、そのうち外でジョギングとかしたくなりますよ!」
「いや、ならないだろうね」
「なりますよ! 決まった場所でジョギングしてると、だんだん知り合いとかが増えてきて、最初は走っている最中に会釈を交わすぐらいのあいだがらでも、そういうのを繰り返すうちにお友達になったりして、人の輪が広がるんですよ!」
「それを聞いて私の決意は揺るがなくなったよ。ジョギングなどしない」
「なぜ!?」
このあたり、ずっとすれ違い続けているところなのだが……
聖女は『知り合いを増やす』とか『友達ができる』を『いいこと』と思っているのだ。
男性はそう思っていないのだ。
だが、根っからの光の者である聖女には、男性の闇が理解できず、だいたいすれ違う。
こうして光と闇はわかり合えず、世界にはかりそめの平和しかおとずれないのである。
「……まあ、しかし、聖女ちゃんの言うことももっともだ。今後も眷属が私の部屋で運動をしたがるとすれば、メイド服は暑苦しいし、裸というのも少々まずいだろう。なんというか、そう、私の世間体が」
「そうですよ!」
「まあ、眷属には普段から世話になっているし、最初に言った通り、一着買ってやろう」
男性はパチンと指を鳴らす。
メイド服姿でボクササイズをやっていた眷属は、動きを止め、ケイタイ伝話を操作して音を止めると、男性の横に歩いてきた。
「……ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」
「まずは呼吸を整えなさい」
眷属は深呼吸した。
そして、男性をジッと見る。
「話は聞こえていたかね? 運動を始めるお前に一着買ってやりたいのだが、好きなデザインを選ぶといい」
「…………」
「そのメイド服でボクササイズをされると見ているこちらも暑苦しいのでね。どうかね? このピンク色のやつなど、ニンゲンの女児が好みそうではないか」
「……」
好まなさそうな顔をされた。
どうやらピンクはお気に召さないらしい。
「では、こちらはどうかね? 色は何種類かあるらしいが、見たまえ。速乾性とか運動補助機能とか色々と宣伝文句が踊っているよ。値段は少々張るが、長く使う物でケチケチする必要はあるまい。どうだね?」
「……」
「不満か。では、こっちの『一体型』とかいうのは――」
「…………」
「これもダメか。では、どんなのがいいのだね?」
男性は雑誌を眷属に渡す。
眷属はペラペラとめくり――
「……」
スッとある一ページを開き、男性に示した。
そこに載っているのは、男性も最近知った、絵画の新たなる一形態であった。
ようするに――漫画。
内容は、この雑誌の編集者が取材として様々なトレーニングに励み、立派な肉体を手に入れる様子を描いたものらしかった。
眷属の細い指は、そこに描かれている編集者――漫画の主人公を指さしている。
漫画の主人公が身にまとっているのは、サイズのゆったりした上下セットとおぼしき衣装だった。
男性はその衣装のことを詳しく知らないが、なんとなく、ださい。
「これがほしいのかね?」
「……」
眷属はうなずく。
聖女がおどろいたような声を出す。
「ええっ!? これ、普通のジャージですよ!? 学校とかで体育の時間に着るような……」
「ふむ。つまり通俗的に運動の時着られている衣装ということか」
「まあそうですけど……あの、暑いしそんなに動きやすくないし、『思わず外に出たくなるようなデザイン』でもありませんけど……」
「だ、そうだが? 眷属よ、他のにするかね?」
しかし眷属は首を横に振った。
どうやら意思は固いようだ。
「聖女ちゃん、眷属はこうなると意見を曲げない。こいつは誰に似たのか頑固でね……というわけで、これをいただこう」
「まあ、私は販売元ではないのですが……」
「そうだったね。では、これを購入することにしよう。通販はできるのかね?」
「うーん……これなら実物を見なくてもまあ……体にフィットするタイプだと、実物見た方がよかったりするんですけど……スポーツショップにおじさんを連れ出す口実になるかと思って、ウェアをすすめていたんですけど……」
「なんという邪悪なたくらみを……」
「じゃ、邪悪……いえ、楽しいですよ、スポーツショップ。見てるだけでも。おじさんと眷属ちゃんもどうでしょう?」
「いや、私はそのような誘いには乗らない。私は外に出ないのだ」
「……まあ、わかりました。では購入前に試着ということで、私の着ていたものを次来る時持ってきますね。それでやっぱり他がよかったら、スポーツショップに行きましょう!」
「いいや、行くことはないだろう」
「……眷属ちゃんはおじさんの影響を受けてますよね」
聖女は笑う。
男性は眷属を見た。
眷属は肩をすくめ、ニヒルに口元をゆがめていた。




