6話 今日も吸血鬼は証明できない
「おじさん、朝――まあ! 今朝は起きてたんですね!」
部屋におとずれた聖女は、嬉しそうに言った。
そうだ、起きている――起きて、カーテンを開けて、応接机横のソファに座って待ち構えていたのだ。
なにせ今日は、最後の日になるかもしれない。
吸血鬼を信じない今時聖女に、ようやく吸血鬼という存在を認めさせ――社会復帰をあきらめさせる日になるかもしれないのだ。
なにせ、今日、男性には秘策があった。
「やあ、いらっしゃい。まずはお掛けなさい」
男性は正面のソファを手で示した。
聖女は戸惑った顔をしつつも――
「失礼します。……あの、おじさん、今日はなんだかいつもと雰囲気が違いますね。どうなさったんですか?」
「まあまあ。まずは――そうだな、飲み物でもいかがかね? 眷属が城の蔵でフルーツティを作っていてね。スコーンなども、出そうか」
「あ、いえ……施す立場なので、逆に施されるのは……」
「なに、かまうまい。『このめでたき日を祝して』というやつだ。――なにせ君との関係は、今日が最後になるかもしれないのだからね」
「え?」
おどろきの声を無視し、パチンと指を鳴らす。
待ち伏せをしていたかのようなタイミングですぐさま部屋の扉が開く。
入ってきたのは、黒髪で片目を隠した幼いメイドだ。
手にはトレイを持っている。
よく冷えていることが見た目でわかる、透明なデキャンタに入ったフルーツティ。
それから、最初から仕込んでいたことがわかる、ぬくもりあるスコーン。
メイド服の少女――眷属は一礼すると聖女の前にお茶とスコーンを置く。
そしてさらに一礼し、その場にとどまった。
聖女は目の前の料理に視線を落とし――
手はつけずに、男性へと視線を戻した。
「おじさん、今日でお別れ、なんですか?」
「そうなる可能性が高いと私は思っているよ」
「つまり――社会復帰をするんですね!?」
「いいや。しない」
陰のある笑みで述べる。
言っていることが『社会復帰しない』なので格好はついていない。
「今日こそ君に、私が吸血鬼であることを納得させようと思ってね」
「おじさん……」
「そこ、かわいそうな老人を見る目で私を見ない。……いや、今日これからやろうとしていることは、言葉遊びやただの主張ではない。しっかりとその目で見て、簡単にわかる方法だ」
「そんな方法があるなら、どうして今までやらなかったんですか?」
「やる気の問題だねえ」
基本的にあらゆるモチベーションが低いのだった。
そしてこれからやる方法は――ちょっと覚悟が必要なのだ。
「ところで聖女ちゃん、君、吸血鬼についてはどのぐらい調べたのかな?」
「どのぐらいというか……世間で言われる吸血鬼の設定については、そこそこでしょうか。いくつかオリジナル設定としか思えない設定もありましたけど、おおむねはおさえてると思います」
「オリジナル設定……」
そういう表現はなんかイヤだった。
自分の存在が本当に創作物にしか出なくなってしまったんだと痛感する。
男性は肩をわずかに落とし――
それでも、続けた。
「それでは君に、私が吸血鬼であることを証明しよう。――おい」
パチン、と指を鳴らす。
眷属はうなずき――背後からなにかを取り出した。
それは、眷属の身長の倍はあろうかという、巨大な剣だった。
「吸血鬼には再生能力があるというのは、調べたかね?」
「は、はあ……あの、剣はどこから出したんですか?」
「背中に隠していたのだろう」
「身長を超えてるものを背中に!?」
「そんなことは重要ではない。今は、私が吸血鬼とわかってもらうための時間だ。いいかな聖女ちゃん。君はどうしても私を吸血鬼と信じないが――あの剣で真っ二つになっても再生したならば、さすがに認めるだろう」
「認めますけど……! そ、そういう危ないことはやめてください! あの、あとに退けないだけなら、認めますから! そんなことしなくっても、認めている感じできちんと接します」
「そうじゃあない。そうじゃあ、ないんだ」
『認めている感じ』って――けっきょく痛い人のままではないか。
男性は心の底から吸血鬼という存在を信じてほしいのだ。
信じている感じで腫れ物に触れるような扱いをされたいわけではない。
「聖女ちゃん、君は私を本気にさせてしまったようだね」
「本気を出すなら自殺じゃなくて社会復帰に本気を出してくださいよ! あなたの助けを待っている人も、この世のどこかにはいるんですよ!」
「そんなありきたりな言葉でヒキコモリが社会復帰したら、苦労はないんだよねえ。いいかい聖女ちゃん、私ができることは、誰かにもできる。そして誰かにできることなら、それは私でなくていい。ならば私は私にできることをしよう――おい、やれ」
男性の命令に従い、眷属が剣を振りかぶる。
だが――聖女が立ち上がり、男性と眷属のあいだにわりこんだ。
「ダメです! 命を大事に!」
そのセリフは君に言いたい。
男性はヒヤリとしつつそう思った――幸い、割りこまれたことで、眷属は剣を止めていたので、聖女に刃が降ってくることはなかった。
「聖女ちゃん、君ねえ、危ないだろう? 剣を振りかぶった人の前に立つなと大人に教わらなかったのかね?」
「教わりませんよそんなこと! とにかく、早まらないでください! ダメですからね! 絶対にダメです!」
「しかしだね……」
「おじさんは自分を吸血鬼と思いこんでいるかもしれませんが――人は、真っ二つになったら死ぬんですよ!?」
「だからこそ、真っ二つになっても死なないところで人ではないアピールをしようと思うのだけれど……」
「おじさん」
聖女がしゃがみこむ。
そして、男性の手をギュッと両手で包みこむように握った。
「おじさんは、歳をとっているし、今さら社会に居場所なんかないと思っているかもしれませんけど――おじさんを求めている場所は、きっとありますから」
「……はあ」
「だから、早まらないで。どうか、その命を大事にしてください。大丈夫ですよ。不安がらないで。おじさんの社会復帰の居場所は、わたしが責任をもってきちんと探しますから。命を懸けるなら、吸血鬼設定にじゃなくて、社会復帰した第二の人生に懸けてください」
「……いや……」
「一緒にがんばりましょう? わたし、おじさんのこと、応援してますよ。大丈夫、安心してください。元気しか取り柄のないわたしでも、聖女なんていうお仕事がもらえているんです。おじさんを求めてくれる場所も、あります。だから死なないで。あなたが生きてくれるなら、わたしは嬉しいし、全力でサポートしますから。ね?」
なぜか涙が出そうだった。
男性は自分を吸血鬼だと思っている。
だが、本当にそうなのか? 社会復帰を怖がる孤独な老人なのではないか?
そんな気さえ、してきて――
「……いや、私は吸血鬼だからね!」
「はいはい。わかっていますよ」
優しいまなざしだった。
聖女は男性から手を放し、立ち上がる。
「また来ます。今度は、具体的な『おじさんを求めている場所』を見つけてから来ます!」
「……いや」
「死なないでくださいね! 大丈夫、寂しくないですよ! わたしがいますから! また来た時におじさんが死んでたら、わたし、一生泣きますからね!」
グッと拳を握りしめて、聖女が去って行く。
男性はあっけにとられ――それから、ため息をついた。
今日も吸血鬼は吸血鬼であることを証明できない。