59話 眷属の真意はドラゴンにわかるはずもない
睡眠、栄養、適度な運動――
なによりストレスをためないこと。
諸説あったが、男性が調べた結果、『身長を伸ばすためにやれること』はだいたいこの四つに集約されていた。
「妖精よ、貴様の尽力に私は報いることができたのだろうか……」
男性は目の前――来客用ローテーブルの上に寝転がる妖精を見る。
彼女はチェスの駒に抱きつくようにして眠っていた。
ちなみにその駒はナイトであり、木製で、男性が作ったものであった。
抱き枕ではないのだが――まあ、よしとしよう。
今日は妖精がなにをしようと許しそうな、そんな気分だったのだ。
睡眠はなんらかの方法で眷属の仕事量を減らしてやればいいだろう。
栄養は今でもかなり好き勝手とっている。自分用の家庭菜園さえ持っているほどだ。
適度な運動はそもそも主な仕事が『掃除』なのですでにしている気がするし、もしそれで足りないならば妖精と一緒に有酸素運動でもさせればよかろう。
だが――
ストレス。
男性がその言葉を思い浮かべた瞬間――
部屋のペット用ドアが開き、入ってくる物体があった。
犬だ。
赤くて丸くて首が長くて、尻尾が太くて翼が生えてて、角があってピコピコ足音を立てながらカーペットの上を歩む四足歩行の生き物。
「……出たなストレス」
「なんだ貴様、世界のアイドルに向かってずいぶんなあいさつであるな」
ドラゴンはバサァと羽ばたくと、来客用ローテーブルの上に乗った。
そして長い首をめぐらせ――
「こんなところにおったのか。少し妖精を借りていくぞ」
「なにをするつもりか知らないが、少し休ませてやってくれ。知能が退行するほど疲れている」
「しかし歌ぐらいは歌えよう。こやつの声を我の動画に合成することで、我の動画に謎の中毒性を生みだそうという寸法よ。そもそもこやつ、自分のトレーニング動画でいきなり歌い始めおってな……それが『脳が溶ける』『筋トレなのに力が入らない』と大絶賛されており……」
「ドラゴンよ、少しいいかね?」
「動画撮影のあとでかまわんな?」
「いや、かまう。そこに座りたまえ」
「我に『お座り』をさせようというのか? ならばオヤツを差し出せ」
「いいから座れ」
「……なにか気迫があるな。まあ、よかろう。オヤツはツケておいてやる」
ドラゴンがお座りをした。
男性は眉間を中指でもみほぐしながら――
「私はね、別に、君の性格に思うところはないのだよ。個人的に、君のその横柄な態度とか、傍若無人な振る舞いとか、傲岸不遜な顔立ちとか、過剰すぎる自信とか自意識とかは、『ああ、いつものドラゴンだな。世界は変わり果てたけれど、変わらぬものもあるのだ』と安心できる材料でさえあり、微笑ましく思っているぐらいだ」
「なんだか前置きくさいことを長々と……」
「まあ、だから、私にはいい。しかし、眷属や妖精を巻きこむのは、やめたまえ」
「どういう意味だ?」
「君の動画撮影という趣味に、眷属や妖精を無理矢理かかわらせるのはやめろ、と言っているのだ」
男性はキッパリ言った。
ドラゴンはしばし沈黙し――
「しかし――宿敵よ。我は眷属に無理強いなどしておらんぞ」
「嘘だ」
「本当だとも。だいたいにして、我が眷属に無理強いなどできるものか。あやつ、我の命令など全然聞かぬであろうが」
「……そういえばそうだったね」
たしかに、以前、ドラゴンが眷属に指示を飛ばしたことがあったが――
舌打ちされるだけでまったく従えることができていなかったようだった。
たしかに眷属が従うのは、基本的に男性の命令だけなのだ。
なぜならば、男性は吸血鬼であり、ただのコウモリに血を与え眷属とした、言わば『親』のようなものなのである。
世間的には『おじいちゃんと孫娘』に見えたとしても、その主従関係は非常に強固だ。
だから通常、眷属は主以外の命令に従わない――まあ現在、かなりそのあたりの縛りはゆるくしてあるので、勝手にヒトガタになったり、たまに説教したりする程度には自我に基づいた行動をされているのだが。
ともあれ――
無理強いしていないというのは、そうなのかもしれない。
でも。
「しかしドラゴンよ、君の言う通り無理強いされていないとしたら、おかしいのだ」
「なにがだ」
「君の付き合いで動画に出ている話を振ろうとした時、眷属はたしかにものすごい顔をした」
「ものすごい顔とは」
「筆舌に尽くしがたい表情だ。とにかく『平穏な老後を送りたいならその話はやめた方がいい』というような顔だった。思わず私が話題を言い切る前にひるがえすほど、すごい……」
「ふむ。まあ、あやつ、渋面するか舌打ちするかイヤそうな顔をするかしかせんものな」
「アレは『イヤだ』という感情はハッキリ顔に出すからね……」
「で、あるな」
「……話を戻せば、あの顔は、無理強いされていそうな顔だった。少なくとも、自分の意思で動画に出ているならばあそこまでの表情は見せまい」
「ふむ」
「そのあたり、君はどう説明するのだね?」
「動画の話題を出されるのはイヤがり、しかし誰の命令でもなく動画に出ている――」
「そうだ」
「――わかったぞ」
「本当かね?」
「ああ。つまりだな、眷属は――我のことが好きなのだ」
「………………いや」
それだけは絶対にないだろう。
根拠はないが確信できる。
「ドラゴンよ、君はなんと言おうか……うーん、柔らかい言い回しをがんばって探しているのだが、どうにも見つからない……少々手厳しい口ぶりになってしまうが、かまわないかね?」
「言ってみよ」
「調子にのりすぎだ」
「まあ待て宿敵よ。貴様はコウモリに血を分け与え眷属とした。そしてコウモリだったはずの眷属は、貴様が望んだ通り、可憐な少女の見た目となった。これを娘のように愛でる貴様の気持ちはわからんでもない」
「今のセリフだけで君が私の気持ちをまったく理解できていないことはわかった」
娘のように愛でてない。
なんなら、今の見た目にも、一言申したい気持ちがある――どうして人化したのか、男性にはこの理由が全然まったくわからないし、もちろん男性の意思でもない。
腕とか脚とかだんだん生えていったのだ。
あの過渡期の恐ろしさ、おぞましさといったらもう、なんていうか、暗闇の中で遭遇すると完全にただの化け物だった。
それはともかくとしたって――
「ドラゴンよ、話がつながらんではないか。『君を好き』だと、なぜ『動画に出ていることを知られてイヤそうにする』のかね? そもそも君が好きなら、眷属は君の命令をあれほどイヤがりはねつけもしないと思うのだが」
「簡単だ。眷属はな、『ツンデレ』なのだ」
「……なんだねそれは」
「『ツンデレ』さえ知らんのか。もはやこの言葉が生まれて幾星霜、一般教養のおもむきさえあるというのに」
「それほど古い言葉なのか」
「うむ。概念自体はおそらく千年前にも存在したであろうな。言語化されたのはここ数十年の出来事ではあるか」
「それで、その『ツンデレ』の意味とは?」
「言葉というのは時代とともに意味が変わるが――我がここで用いる『ツンデレ』は原初の『ツンデレ』、言わば『ツンデレ・オリジン』とも呼べるもので、『好きな相手にはついツンツンした態度で接してしまうけれど、それは好意の裏返しであり、本当は相手にデレデレである』という意味であるな」
「ちなみにオリジンではない『ツンデレ』とは……」
「他には『最初はツンツンしているがストーリーが進むとデレていく』や『細かい周期でツンとデレを繰り返し第三者から見て情緒不安定に見える』や『暴力的』『ツンデレという設定ではあるが別にデレないので第三者からデレろと願われているただのツンツン』といった意味があるが、今は忘れてかまわん」
「……オリジンからだいぶかけ離れた意味も見受けられるようだが……」
「細かいニュアンスが違うだけで、おおむねすべて『初等科男子がクラスメイトの気になる女子にする態度を、かわいい女の子がやった場合ツンデレと呼称される』という感じである」
「そうか……」
すごく詳細に説明された気がするのだが、男性には理解ができなかった。
きっと男性の中にはない、新しい概念なのだろう――千年前には存在した概念という話も若干疑わしい。
「……それでドラゴンよ、君は、眷属がその『ツンデレ』だと?」
「他になかろう」
「いや……」
「眷属が我の食事をゴミのように投げてよこすのも、散歩の時リードを持ってガンガン進むから我を引きずるのも、我の存在が目に入っただけで舌打ちするのも、すべて『ツンデレ』以外のなにで説明できるというのだ? これで裏側に好意がなければただ我を嫌いなだけではないか」
「……いや、その……『ただ嫌い』なだけの可能性はけっこう高いと、私は思うよ?」
「眷属が我を嫌い? まさか!」
「なんだねその自信は」
「眷属から嫌われる理由が思いつかん」
「好かれる理由は思いつくのかね?」
「我が我であるだけで、すべては我を好きになるのだ」
「本当にそうか? 本当に嫌われることはしていないか? 眷属の部屋に黙って入ったことはあったのだろう? それをやめてほしいと、眷属から私に陳情が来ているのだが?」
「黙って入ったことはあるが、別に入っただけでなにもしておらんぞ」
「……」
「いちいちその程度で嫌われるほど、我の好感度は低くない」
「デリカシーというものをご存じかね?」
「知っているぞ。生きるのに一番邪魔なものであろう?」
「……」
声も出ない。
このぶんだと他にもデリカシーに欠けた行動をしてそうだった。
「………………ともあれドラゴンよ、いいかね、他者の私室に勝手に入るのは禁止だ。私の部屋はかまわんが、特に眷属のパーソナルスペースには侵入しないでもらいたい」
「馬鹿な! 我のにおいが消えてしまうではないか!」
「爬虫類のにおいなどつけて回るな。私の城だ」
「ドラゴンの香りはフローラルなのだが?」
「どれほどフローラルであろうと君のにおいというだけで嗅ぎたくもない」
「そんな他者の鼻に障るほどのものではない。我や他の犬猫がわかる程度のものである」
「フローラルではなかったのか……」
「我や他の犬猫にはフローラルだと評判になるに違いない香りである」
ようするに『言っているだけ』らしかった。
ドラゴンはバサッとはばたき――
「ともあれ――この城の主は貴様である。敬意を払い、貴様の言いつけは守ろう。妖精も、寝かせておいてやる。ありがたく思え」
敬意とは……
男性は言葉が出なかった。
「だが、吸血鬼よ、貴様はいずれ、知るだろう。眷属が心の底では我を好いており、我との触れあいに本当は心を癒やされているのだと。その時は我と眷属との関係を祝福するのだ」
「すごいな、君の発言は。いちいちド外道だ」
「ド外道カワイイ?」
「余分なものをくっつけるな。君はカワイくなんかない」
「ハッハッハ! やはり貴様こそが我が宿敵よ! 我に面と向かってカワイくないと言えるのは、もはや世に貴様ぐらいのものだ!」
「みんないちいち言うまでもないと思っているだけだとは考えないのかね?」
「馬鹿め! 我の動画には『カワイイ()』や『カワイイ! 子犬なのにおじさんのニオイがしそう!』や『なんだこのあざとさは、たまげたなあ……』といったコメントがついているのだ! 世間は我のカワイさを認めておる!」
「なにかこう、ニュアンスが……」
「ツンデレ主従め! 待っていろ、いずれ貴様らを素直にさせ、我の世界支配は完了するのだ。我は永遠に生きるぞ! 世のすべてからカワイがられてなあ!」
「君の野望はきっと成就しない……! 私がいる限りとかではなく、なんかこう、普通に……!」
「ハッハッハ! そのツンデレ、心地いいぞ!」
ドラゴンが飛び去っていく。
まあ、途中で降りて、歩いてペット用ドアから出て行ったのだけれど。
ともあれ――
眷属の真意はドラゴンにわかるはずもなかった。
男性はその事実を改めて噛みしめるのだった。




