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55話 吸血鬼はなにも人混みが怖いわけではない

「おじさん! 今日は暇つぶしになる物を持ってきましたよ!」

「!?」



 男性は思わず座っていたベッドから立ち上がった。

 しばらく、聖女の発言の意図がわからず呆然とする。


 男性はヒキコモリだった。

 それもそんじょそこらの意識の低いヒキコモリと一緒にされては困る。


 五百年物の熟成されたヒキコモリであった。

 ニンゲンの中に並ぶ者はいまい――なにせ、男性は吸血鬼である。その寿命はニンゲンをはるかに凌駕しているのだ。


 そして聖女は、そのヒキコモリをどうにか外に出そうと努力する立場のはずだった。

 もっとも、彼女は男性が吸血鬼であると認めていない――『吸血鬼を自称し国の財産である古城に勝手にすみついている困ったおじさん』ぐらいの認識であろう。

 なにせ現代、『吸血鬼』は幻想生物と思われ、『いないし、いなかったもの』という扱いを受けているのだから。



 それにしても、『暇つぶしになるもの』?

 ヒキコモリに暇つぶしをあたえることがどれほど危険なのかは、男性でもわかる。

 ただでさえ外に出ない者が、ますます内にこもりかねない。


 だから――

 男性は考えたすえ、言う。



「……なるほど、『暇つぶし』とは――『ジョギング』とか『ウォーキング』とか『ハイキング』とか、『表に出なければならないもの』なのだろう?」



 それならば納得だ。

 聖女の目的からブレていない。

 だが――



「いえ、今日は本を持ってきました」

「インドア趣味だと……!? それでは外に出る必要がないではないか!? ……ハッ!? まさか、『本を読む会合があるんですよ』という流れかね?」

「おじさん、警戒しすぎですよ……」



 聖女が苦笑している。

 たしかに、話を聞く前に色々心配しすぎたかもしれないな、と男性は思った。


 しかし、今まで色々とやられてきたのだ。

 言わば聖女には『男性を外に出そうとした前科』がある。

『外に出ろ』と『引きこもりたい』どちらが客観的に罪深いかはおいておいて、ともあれ男性にとっては警戒するに足る過去があるのだ。



「しかしね聖女ちゃん、私は――外に出たくないのだよ。改めて自覚した。『なんとなく』や『本気を出したら出られるから今でなくてもいい』ではないのだ。ああ、認めよう。私は人類に対し恐怖を抱いている!」

「そんな! 世界はおじさんに優しいですよ!」

「優しいことがいいこととは限らないのだ! ……いいかね聖女ちゃん、相手が敵ならば、私は戦うことに恐怖はないし、戦いの結果命を落とすことにも恐怖はない。相手が自分の信じた味方であれば、相手に恐怖するかなど言うまでもない。だが――世界には『それ以外』が大量にいるのだ」

「……えっと……?」

「いいかい聖女ちゃん、世界には『敵』でも『味方』でもないもの――『無関係な他人』が多すぎるのだ」

「……はあ、まあ、はい、そうですね……?」

「私がもっとも恐怖するものは、世間にあふれる『無関係な他人』との距離感なのだ」

「……えっと……普通にしてたらいいのでは?」

「『普通』とはなんだ!」

「『普通』は普通ですよ」

「みなそう言う! みな『普通』という概念を認識してはいても、説明を求められると窮する! ああそうさ、君たちは『普通』を普通にできているのだろう。だが――おじさんをなめるなよ」

「……ええっと……?」

「おじさんには『普通』がわからないのだよ。なにせ五百年間社会と接していなかったからね」

「……」

「だから――私は外に出ない。もし私を外に出したいのであれば、世にあるすべての『普通』をマニュアル化しよこしてくれたまえ。もしもそんなものを本当にもらえたならば、熟読したうえで検討したすえ外に出ることもやぶさかではない」



 男性は言い切り、ベッドに腰かける。

 聖女はしばしキョトンとしていたが――

 真剣な顔になって、うなずく。



「わかりました。がんばります」

「……いや、がんばらなくてもいい。そんなことは不可能だろうからね」

「でも、初めておじさんが、『外に出る条件』を明確にしてくれたんです! 今ここでがんばらなくって、いつがんばるんですか!」

「いや、君はいつもがんばっているではないか。ただ……私は君の期待に応えられないと、そういうことを言いたかったんだ。興奮して申し訳なかったね」



 男性は静かに笑う。

 ――心に恐怖が焼き付いてるせいだ。


 先日見た『世界の工具展』の会場を思い出す。

 あの人混み。

 他人の群れ。


 そうだ、男性が恐怖したのは、人の多さにでもなかった。

 ドラゴンに曰く、『アレはそんなでもない。世にはもっと人が集まるイベントがあるのだぞ』ということらしいが――男性にとっては膨大な数の人々に恐怖したわけでは、ないのだ。


 そもそも冷静に考えれば、アレ以上の人混みを見た記憶があったのだ。

 ――戦い。

 吸血鬼とそれを討伐しようと送られる神殿戦士の軍との戦いには、大量のニンゲンが動員されていたはずだ。


 その戦いの詳細は歴史の彼方に消えてしまったが――

 一万人ぐらいはいた気がする。

 いや、千人だったかもしれない。

 百人ということはなかった気がする。


 ともあれ、いっぱいいた。

 けれど、男性はそのヒトの群れに恐怖しなかったのだ。


 ではなぜ『世界の工具展』に恐怖したのか。

 それは――



「……『世界の工具展』にはね、好き者ばかりが集まると思っていたんだ」

「え? そうですよ? あんまり大規模じゃない、マニア向けのイベントですけど……」

「私は規模におどろいたが、今の時代、あの程度の集会は珍しくもないのだろう。だがね――同好の士が集まるイベントというのは、もっとわきあいあいとしているものではないのかね?」

「……ええっと」

「私は少なくとも、こう……もっと、周囲の知らない相手と雑談したり、初めて出会った同士が盛り上がったり、そういうのを予想していたのだ」

「そういう人もいると思いますけど」

「たしかに、いたのかもしれない。だが――私の見た動画は、そういう雰囲気ではなかった」

「すいません、今日のおじさんのお話は、いつもより全然わからないのですが……」

「すまない。だが、誰かに話したくてたまらないのだ。もうちょっと聞いてくれ」

「わかりました」

「ええっと…………そう、私の見た動画は、期待と違ったのだ」

「と、言いますと?」

「全員が号令のもと整列し、無駄話なく指示のもと行儀良く並んで会場入りし、そして会場に入ると同時に一目散におのおのの目的地へ向かうというものだった」

「……はあ」

「軍隊か!」

「……」

「周囲にいるのは同好の士ではないのか!? それはもちろん、ハンマーがほしかったり、ノコギリがほしかったり、細かな目的は違うだろう! けれど、もっとこう……はしゃぎたまえよ!」

「……」

「私はあの中にまじって彼らに合わせる自信がない! あの空気の緊迫感に耐えられる気がまったくしないのだ!」



 男性は語り終え、ハァハァと息をあらげる。

 聖女は話の終わりかどうか判断に迷っている顔で沈黙し――



「……あの、おじさん、最初は戸惑っても、じきに慣れると思いますよ」

「その『最初』のハードルが高いのだと私は言いたいのだ」

「でも、こればっかりは失敗しながらでも慣れていかないと」

「私があと五百八十年ほど若ければそれもいいだろう。しかし――私は、おじさんだ」

「……まあ、はい……?」

「不慣れなせいで挙動不審なおじさんが、場に慣れた、『ある種の連帯感』さえある若者の中に一人だけ混じっている図を想像したまえ」

「別にいいじゃないですか」

「心が壊れるだろう!?」

「壊れませんよ! 心は強くて美しいものなんです!」

「そういう綺麗な表現で押し切ろうとするのはやめたまえ! いいかね聖女ちゃん、君は若いし、ヒトとコミュニケーションをとることに抵抗がないからわからないのだ。だから、君が私をここから外に出すことは不可能だろう。なにせ、私の闇を君は理解できない!」

「がんばりますよ! 私、おじさんのこと、もっと知りたいです!」



 そういうところがすごく『光』。

 男性は静かに口の端をあげる――やはり闇と光は相容れぬもの。


 たとえば同じピザを頼んでも、一人でもくもくとスマホを見ながら片手間にピザを食べるようなのは『闇』で――

 仲間と一緒に『ウェーイ』とか言いながらみんなでピザを食べるのが『光』。


 光と闇には、ここまでの隔たりがある。

 同じ『ピザ』という食物を介してすら、まったく雰囲気の違う食事風景が展開されるのだ。



「私はもう無理だ……」

「……わかりました。おじさんの精神は今、とてもショックを受けているんですね」

「……まあ、そうかもしれないが」

「じゃあ、今日は持ってきた本だけ置いて帰ります」



 聖女が来客用テーブルに数冊の本を置いた。

 それは――



「『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』の子のお母さんが書いた、小説です」

「……」

「おじさんに渡してほしいって頼まれていますので、読んだら感想を教えてくださいね」

「……ああ」

「おじさん」

「……なんだね?」

「おじさんは社会を怖がっているのかもしれませんけど――『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』も、その弟くんも、そのお母さんも、私も、『社会』の一部なんですよ」

「……」

「社会を信じてください。……それでは!」



 聖女が去って行く。

 男性はテーブルの上に残された一冊の本を見た。


 ハードカバーの分厚い本だ。

 表紙には角と翼と尻尾の生えたヤンチャそうな男の子と、その横で不敵に、けれど優しくも見える顔で笑う、白髪の中年男性が描かれている。



「社会を信じろ、か」



 男性は立ち上がり、聖女の置いていった本を手にする。

 社会を信じることは、できそうもないが――

 とりあえず本だけは読もうと、男性は思った。


 ちなみに、男性は弟くんから聞いた情報をすっかり忘れているが――

 ラストシーンで表紙の二人はキスをする。

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