52話 ドラゴンは四足歩行を代表している
子犬の服がとどいた。
「なんだこれは!? ボタンで留めるデザインだと!? これでは子犬が自分で着ることが不可能ではないか! 作製者はなにを考えているのだ!?」
着用者はこのようにご立腹だが、そこで怒るのはほとんど言いがかりも同然であった。
なにせまず、子犬用の服を着ようとしている彼は犬ではない。
いや、世間様には『犬』と認識されているらしいのだが……
よく考えてみてほしい。
犬はしゃべらない。
「おのれ消費者センターに訴え出てやるからな! 神妙に沙汰を待て!」などという怒り方も、普通の犬ならばしないだろう。
犬ならばせいぜい咆えまわるぐらいだ。
体がウロコで覆われた犬もいなければ、翼が生えていたり角が生えていたりする犬だっていないに違いない。
ゆえに「あと箱がでかすぎる!」と男性の私室、応接用テーブルの上でダンボールに出たり入ったりしている生き物は犬ではないのだ。
ドラゴンである。
普段からめんどうくさい人格の持ち主であるドラゴンは、怒っていると五割増しでめんどうくさい。
だから男性は放っておこうかと思ったのだが――目の前、来客用机の上でウロウロされているのも目障りなので、なだめすかそうと言葉をかける。
「まあまあ……普通、子犬は自分で服は着ないものだろう。連中に着衣するほどの知能はないと思うのだがね」
「貴様に子犬のなにがわかる」
「……まあ子犬は知らないが、子狼ならば知っているよ」
「そうか。つまり子犬は知らないということだな」
「子犬も子狼も、知能レベルはどちらも一緒だろう?」
「たわけ! 生き物は、ひとりひとり違って、みんな素晴らしいのだ! それを形状が似ているからといって一緒くたにするなど、傲慢にもほどがある!」
「いや……」
「貴様らヒトガタの生き物はみなそうだ! 己が世界で唯一の知恵持つ者であるかのように振る舞い、自分以外の生き物を有象無象の馬鹿と思う! そういう不遜さこそ、人類が滅びる原因と知るがいい!」
「人類は今かなりすごい隆盛をほこっているではないか」
「滅びる! 千年後にはきっと人類など一匹もおらんわ!」
「千年後のことを言われてもねえ……それを言うならば、すでに滅びかけている我らは――吸血鬼やドラゴンはなんとする?」
「傲岸不遜だから滅びたに決まっているであろうが! これだから人型の生き物は頭が悪いというのだ!」
なんて傲岸不遜な物言いだろうか。
これは滅びる――男性は静かにそう思ったが、口には出さないことにした。
誰かと同居を長く穏やかに続ける秘訣は、同居人の誰かが大人になることである。
「ともかく君がひどく憤慨しているのはわかったよ。だが、落ち着こうか。服のことで私に当たられてもどうしようもない」
「……ふむ、それもそうか。だがな宿敵よ、我は四足歩行の代表として、二足歩行どもの賢しらぶった傲慢さには常に耐えてきたのだ。この無念をわかってもらいたい。それがな、この、『子犬が自分で着ることを想定していない服』のデザインを見て、噴出してしまったのだ」
「なるほど。君の不満は留意しておこう」
「我もカッとなった。今は反省している」
「君は本当に反省を覚えたのだね」
「最初から知っておったわ。ただしたくなかっただけだ」
「そうか、君は私の想定よりタチが悪かったのだね」
「褒めるな褒めるな」
「……ハハハ」
男性は笑った。
先の『褒めるな』という発言が、冗談なのか本気なのか判断できなかったので、下手に突っこめなかった。
もしドラゴンが本気で褒められていると感じていたなら、価値観が隔絶しすぎていてこの先の会話が思いつかないのだ。
隣人との話し方がわからないというのは恐怖以外の何物でもない。
だから男性は数百年『隣人』を作らぬよう引きこもってきた。
「しかしまいったぞ……我の手ではボタンを留めることができん。こんな服では全国のわんちゃんたちも困るであろう」
「そのための飼い主ではないのかね?」
「ふむ。なるほど。つまり誰かに服を着せてもらえとそういうメッセージがこの服にはこめられているのであるな」
「まあ、開発側がそんなメッセージを込めたかは知らないが、この服は第三者の手により着せられることを想定されたデザインなのは間違いないだろう」
「ふむ。第三者か」
「……」
「…………」
男性とドラゴンは室内を見渡した。
暗い部屋の中には現在、来客用ソファに座る白髪赤目の中~老年男性と、テーブルの上のダンボールにおさまるドラゴンだけがいた。
眷属と妖精はいない。
眷属が部屋にいないのは彼女の主な職務が『掃除』であることを考えればいつものことなのだが、妖精は普段どこをうろついているのかわからなかった。
「ゆーさんそうんどー!」と叫びながら歩いて部屋を出て行ったが、どこかで眷属に捕えられている可能性もないではない。
「二人きりであるな」
ドラゴンが言った。
男性はその言葉のあまりの気持ち悪さに気を失いかけた。
「あーその、誤解のないように君に言っておかなければならないのだけれどね?」
「なんだ。貴様が吸血鬼であることなら、我も覚えておるぞ」
「そんなことは今さら言わない。そうではなく――君も私も、いい歳だ」
「うむ。であるな」
「そして私は正直、君をずっとおじいさんだと思っている。設定はともかく、見た目もともかく、私の中で君は、『私より年上の同性だ』」
「ふむ。設定をともかくとするのであれば、間違いがない。だが公称で我は『十七歳の美少女が魔法で妙な生き物に変えられた姿』となっているので、外ではあまり我のことをおじいさん呼ばわりするでないぞ」
「大丈夫だ。外には出ない」
「そうであったな」
「……それで本題だが――私は、自分より年上のおじいさんに服を着せるという介護みたいなまねはしたくないのだ」
「全国の介護に苦労しているヒトの前でも同じことが言えるのか?」
「今日の君は主語が大きい。『四足歩行の代表』とか『全国の介護に苦労しているヒト』とか、私はそんな大組織を相手に発言はしていない。君に言っているのだ」
「しかし我は一にして全ゆえ」
「君のキャラはそんなんじゃなかったはずだ! ……たぶん」
「いや。これはまだ不確定ゆえに告げていなかったことだが――我は最近、『カワイさ』と『愛され』を兼ね備えた存在を発見し、それを目指すべきと思っているのだ」
「なんだね」
「偶像」
「……」
「なので我の一番身近に感じるアイドルであるところの『神』を最近は目指している」
「君にとって『神』はそんなに身近なのか……」
「まあヒトや吸血鬼よりは身近であるな。偉大さとかシンパシーを感じる」
「千年後には滅びそうなほど傲岸不遜な発言だね……」
「我は滅びぬ。賢いので」
「……ハハハ」
たぶん本気で言っているので、それ以上コメントしたくなかったから、男性は笑った。
何事もなかったかのように話題を戻す。
「とにかく、君に服を着せたくはない。なんなら普通に触るのも遠慮したい。あと最近の君はボディタッチが過ぎる」
「ボディタッチは基本であるぞ。四足歩行どもも、腹が減った時や、背中、腹などがかゆい時などは、そのへんのニンゲンにボディタッチして世話させるであろう?」
「犬猫どもはそんな計算尽くでやっていたのか……」
「貴様、犬猫の知能をなめる旨の発言をしたな! あまり言い過ぎると我らの決戦場が法廷になるぞ!」
「最近は犬猫も法廷に立てるのか……」
「馬鹿め! 本当に訴状を出したら貴様は出廷できまい! なにせヒキコモリだからなあ! 相手が出廷できなければこちらのものよ!」
「君も出廷できないではないか」
「犬猫の人権のためならば、我は公衆の面前で言葉を発することもいとわぬ!」
「君はいつの間にそこまで動物愛護の精神に目覚めたのだね……」
「我には七十二柱の臣下がいるのだ。王として臣下の権利は守らねばならん」
「前回聞いた時より減っていないかね?」
「出世し独立したのだ。具体的には里子に出されて他の街へ移った」
「そうか……悲しい別れだったね……」
「否定はせぬ。しかし、その別れは我をまた一つ大きくした」
「最近太ったものな」
「心の話だ。体の話ではない」
「君が求めるまま『カリカリ』を与えるのは間違いなのではないかと、私は思うのだけれど」
「体の話ではない! ともかく我は犬猫をなめるなと言いたいのだ!」
「まあ、冗談はさておき、話は以上だね?」
「そうだな、本題に戻ろう。……とにかく服を着せるのと、消費者センターに『この服、子犬が自分で着ることを想定していなくって、犬猫の権利を侵害しているので訴えます』と言うのと、どちらがいいか選べ」
「究極の選択だ」
「さあ、どちらだ!」
「第三選択肢の『ここで私と君の最終決戦を行う』というのも考慮してかまわないのかね?」
「まだ我が弱いので三百年待て」
「わかった。では三百年待とう。それまで選択は保留でいいかね?」
「うむ。……………は、はめられた!?」
「まあ結果的にそうなったね……」
意図したことではなかった。
はめたというか、ただドラゴンが自分で墓穴を掘っただけである。
けれど――
ドラゴンがなんかむかつくので、男性は勝ち誇ることにした。
「君の知能などこんなものだよ。悔しくば私と言い争う前に知恵を磨いて出直したまえ」
「おのれヒトガタの生き物め……! 今に見ておれ! 具体的には明日あたりに報復してやるからな……!」
「ハッハッハッハ! 君にできるかね!」
「できるとも! 吠え面かくなよ!」
ドラゴンがピューという音を立てて(実際に音が聞こえた)走り去って行く。
一人きりになった部屋で男性はもう一度「ハッハッハ!」と高笑いをして――
「勝利とは虚しいものだな……」
ため息をつき、歯車を削る作業を開始した。




