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50話 吸血鬼は妖精を啓蒙する

「ひょっとして、筋肉を鍛えても頭はよくならないのでは……!?」



 なんの前触れもなく妖精が真実に気付いてしまった。

 男性はつい、今までしていた作業の手を止めて固まる。


 今までなにをしていたかといえば、暗い部屋で木材を歯車型に加工していたのだった。

 聖女の時計の修理作業である。


 だから応接用テーブルの上、男性が作業をしている横で、さっきから腕立てをしていた――腕立て二回目をしようとしてずっとプルプル震えていた妖精は正直目障りだった。

 さっぱり集中できない。


 過日であれば叩き潰して終了だっただろう。

 しかし、昨今の妖精は知的生命体なのだ。


 時代への適応の結果――吸血鬼やドラゴンや妖精が幻想生物になってしまったこの時代、彼ら彼女らもまた、生き残るために進化を遂げているのである。

 だから男性は、かつて殺し合った宿敵だろうが、かつてブンブンうざったかった害虫だろうが、今を生きる『幻想生物』たちには、可能な限り敬意を払って接するよう心がけている。


 なので叩き潰さず我慢し――

 ようやく集中力が高まって、メガネをかけて作業を開始したら、このざまだ。


 今日は作業をするなということだろう。

 男性は歯車をなくさないよう道具箱にしまい、メガネを外し、



「どうしたね、妖精、いきなりそんなことを言って……」

「妖精さんは気付いたのです。筋肉と知能には関係がないのではないかと」

「……」



 関係ないのは、みんな最初からわかっていた。

 そもそも『頭に力をこめれば頭がよくなる』→『筋肉を鍛えれば頭がよくなる』→『シックスパックを目指して筋トレを続ける』という思考方式で妖精は筋肉を鍛えていたわけだが……

 端的に言って、意味不明なのだ。


 だが、それには誰も突っ込まなかった。

 眷属は無口だし自分の職務以外には怠惰なのでなにも言わなかったのだろう。

 ドラゴンは自分のこと以外に興味がないので気にもしていなかったのだろう。

 男性は――吸血鬼的には、いちおう、『意味はわからないが妖精がそうしたいならそうすればいい』と、妖精の考えを尊重して真実を語らなかったつもりだ。



「教えてほしいのです。筋肉と知能は関係ないのです?」



 妖精が真剣な目で問いかけてくる。

 男性は答えに詰まった。


 関係ない。

 そのはずだ。


 だが――男性はその真実を告げてしまっていいものか、迷うのだ。

 だって、妖精は一生懸命だった。

 彼女は今まで、一日も欠かさず、非力なその体を鍛えようと汗を流し続けて来たのだ。


 それは『頭をよくしたい』という目的を達成するには、無意味な努力だっただろう。

 だが、『お前の努力は無意味だった』という真実を語って、誰が得をするのか?


 妖精がムキムキになっても、誰も困らない。

 妖精がバカのままでも、誰も悲しまない。


 彼女は『妖精』という種の命運を一身に背負い、できることをやり続けた。

 それを徒労と告げるのは、あまりに残酷――たとえ、かつては『悲鳴に微笑む者』と呼ばれた残虐無慈悲な吸血鬼であろうが、ためらうほどに、残酷だろう。


 男性はどうにか真実を告げずにいられないか考える。

 そして――



「あーその、なんだ。筋肉と知能の相互関係は不明だが、貴様の努力はそう無駄でもないと思う。なぜというとだね、えー……そう、ドラゴンを見たまえ。アレもアレでよくわからんことをやっているが、本人の中にはちっとも迷いがないだろう? つまり大事なのは、自分が満足できるかというか、そういう感じだと私は思うのだがね」

「わかるー」

「……ッ!」



 男性は目頭をおさえた。

 ――なにもわかっていない!


 進歩をしているかしていないかで言えば、しているのだろう。

 最初に比べて、かなり会話は成立するようになった。


 だが、そのことに筋肉量が関係しているかは、一切不明だった。

 たぶん関係していないだろう――ドラゴンや眷属などとコミュニケーションをとり続けることによって知育されただけではないかというのが、男性の中で有力な説だった。



「吸血鬼さんどうしたのです?」

「いや……」



 なにかないか。

 なにか――妖精の今までの努力を無駄だと悟らせぬ方法は?


 だってこのままでは妖精が悲しすぎる。

 歳とともに涙もろくなるので、このままだと十年後ぐらいには妖精を見るたび滂沱たる涙を流しそうな気がするのだ。


 そうなったら涙の海で溺れ死ぬ――吸血鬼は流水に弱いのだ。

『自分の涙で死んだ吸血鬼』とかいうオシャレな死因は少し憧れないでもないが、まだ死にたいとは思わない。


 かといって『関係あるよ』と嘘を言うのもためらわれた。

 その言葉を信じて筋トレを続ける妖精を見たら、それはそれで涙が止まらなさそうである。

 だから男性は、嘘をつかず、真実も告げないような方法を考え――



「……妖精よ、たとえば私が『筋肉と知能には関係ない』と言ったとして、貴様はそれで満足なのかね?」

「…………」

「貴様は『筋肉を鍛えれば頭もよくなる』と思い努力を続けてきたのだろう? その努力は、他者の勝手な意見一つで覆るようなものなのかね?」

「………………」

「人の意見などに左右されない努力を、貴様はしてきた――その様子を私は見てきたつもりだ。だから、貴様は貴様のやりたいようにすればいい。他者の意見などに左右されるな」

「……………………」

「……」

「…………あ、わかるー」

「……」



 相手の頭が悪すぎて玉虫色の回答ができなかった。

 責任を負わないよう、まわりくどくすると、妖精にさっぱり伝わらないのだった。


 一言で言わねば。

 男性はさらに頭を悩ませて、



「…………自分を信じろ!」

「!?」

「いいか妖精よ、自分を信じろ!」

「わ、わかったのです! 妖精さんはエリートとして自分を信じるのです!」

「そうだ、自分を信じるのだ!」

「自分を信じる!」

「自分を信じろ!」

「自分を信じる!」

「よし、行け!」

「行ってくるのです!」



 妖精が勢い良く飛び上がり、ペット用出入り口に向かった。

 出入り口の目の前で、妖精は男性を振り返り――



「信じる!」



 拳を握りしめ、真剣な顔で言うと、去っていった。

 パタン、とペット用ドアが閉じる。


 男性はソファに深く背をあずけ、息をついた。

 ――どうにか、勢いで押し切った。

 あのぶんだと、最初になにを質問したかさえ、妖精はもう忘れているだろう。


 よかった、誰も不幸にならなかった。

 残酷な真実を突きつけられて絶望する者はいなかったのだ。

 だというのに――



「……私は……私は、これでよかったのか……?」



 男性の胸中には途方もなく苦いものが広がった。

 こうして心は歳を重ねていくのだなと、吸血鬼は静かに嘲笑した。

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