45話 吸血鬼、通話する
「おじさーん、朝ですよー!」
男性はベッドからむくりと上体を起こす。
朝だった。
いつの間にかカーテンは開かれており、室内には朝日が差しこんでいる。
男性は窓のそばにたたずむメイド服姿の少女を一瞥してから、声の主に視線を移す。
「やあ、おはよう聖女ちゃん」
「はい! おはようございます!」
笑顔であいさつするのは、露出度の低いローブ姿に身を包んだ少女だった。
桃色髪に桃色の瞳の、どこからどう見てもニンゲンにしか見えない、その実ニンゲンに(たぶん)間違いない少女――聖女であった。
「なんだかお久しぶりですね! 来なかったのは二日ぐらいなんですけど」
「そういえばやけに久しぶりに思えるね。……そうそう、あずかった時計だけれど、もう少しかかりそうだ。いくつかのパーツが破損しているようでね。ついでだから老朽化した歯車を総入れ替えしようと思うのだよ」
「わあ、なんだか大変なことになってたんですね……あの、おじさん、あんまり無理はしないでくださいね?」
「いや、日用大工に妥協はできないのでね。お待たせしてしまって申し訳ないとは思うが」
「いえ、ありがとうございます! やっぱりおじさんは素敵な人ですよ! だって人の思い出の品に、こんなに一生懸命になってくださるんですから!」
「いやあ、どうかな?」
「これなら社会に出てもきっとみんなの人気者ですよ!」
「いやあ……………………どうかなあ………………?」
「そういうわけで本日は『音声通話』をしてみましょう! 社会に出る練習です!」
流れるような話題展開で社会復帰活動につなげられてしまった。
この口のうまさが『光の者』という感じである。
さすが聖女。
「それで、『音声通話』とはなんなのかね? まあ、なんとなくわかるが……いちおう私の想像と違うと困るのでね」
「はい! ものすごく大ざっぱに言うと、『顔の見えない相手とやりとりする方法』です! これならお互いに顔をさらさないので、恥ずかしがり屋のおじさんにもハードルが低いはずですよ!」
「……まあ、そうかもしれないが……うまくイメージがつかめないな。それに、いくらハードルが低いとは言っても、やはり知らない相手といきなり会話というのは……」
「大丈夫! 本日は『日向のひまわり亭』の方々とつながる予定です!」
「……どちら様かね?」
「えーっと……あ、そういえば名乗ってないんでしたっけ……えっと、『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』の子が家族でやっている宿屋です。なんでも弟くんの方もここに来たとか」
「おお! あの子たちか! ……しかしなんだか非常に光属性な名前の宿だったのだね……」
「はい。最近、急に宿が流行りだしてなかなかここに来ることができなかったようで……」
「そうだったのか」
「はい。わたしも、ここに来なかった二日間は宿のお手伝いをしていたんですよ!」
「『聖女』はそんなこともする仕事なのか」
「いえ、お手伝いはわたしの趣味ですね。お仕事がお休みの日には、そこかしこで困っている方をお手伝いしているんですよ」
「……いや、休みの日ぐらいは休みたまえよ」
「休んでいますよ?」
「しかし手伝いをしているのだろう?」
「お手伝いをして喜んでもらえたら、『ああ、よかった。こんなに喜んでくれたんだ』って心がほっこりして、休まりません?」
「君と私の価値観は相容れぬようだ」
「なんでですか!? みんなと笑い合えたら、心が落ち着きますよね!?」
「相容れぬ。君が光で、私が闇だ」
ボランティアで心が休まるとかいう発想がおかしい。少なくとも男性には理解できない。
まず休みの日にまで外に出るとかいう行動力があり得ない。
男性は吸血鬼である。
聖女はニンゲンである。
だが、そういった種族以上の隔たりを男性はあらためて感じた。
「やはり君の提供する方法で、私が『城から出よう!』と思うことはなさそうなのだが」
「そんなことないですよ! 多くの人とつながって、色んな人とお話しをして、世界の広さとか、色んな考え方とかに触れて、『ああ、社会は面白いなあ』って思っていきましょうよ!」
「そのルートで私が外出する未来が見えない」
「でも、おいしそうなスイーツの写真とかを共有したらそのお店に行ってみたくなることありますよね!? それと同じで、楽しそうな社会の様子を知れたら社会に行ってみたくなること、あると思います!」
「君の言葉がよくわからない」
男性は耳をふさいで首を横に振った。
聖女の言葉はよくわからなかったが、鼓膜から光が侵入してくる気がして、無意識にとった防御行動だった。
「おじさん、耳をふさがないで! お話しをしましょう!」
「……いや、ついね。それで、その、音声通話をやるのかね? 君の考えているルートで私が社会に出ることは絶対になさそうだが、それでもやるのかね?」
「『竜の末裔で吸血鬼の魔法使い』の子がおじさんとお話ししたがっているんですよ! 最近忙しくって会いに来れないから……会話だけ! 会話だけですから!」
「……まあ、そういうことならば、かまわないが……」
「慣れてきたら動画付チャットもしましょうね! 離れていても顔を見ながら会話ができる機能なんですよ!」
「……」
そんな機能があったら、人類はもう外に出る必要がないんじゃないだろうか?
男性は思ったが、また光属性の言葉で色々言われそうなので疑問を呑み込んだ。
「ではおじさん、ケイタイ伝話をよろしいでしょうか?」
「ああ」
「……やっぱり通話履歴ゼロですね。まあ、でも、今日からは違いますよ! アプリを取得してもよろしいですか?」
「……ケイタイ伝話に通話の機能はないのかね?」
「アプリだと複数人と同時会話も可能なんですよ」
「……可能だからなんなのだね?」
「え? 可能だから、可能なんですが……ケイタイ伝話を通して世界中の人たちとワイワイ盛り上がれますよ?」
「君は『ワイワイ盛り上がれる』を素晴らしいことのように言うが、世の中には『ワイワイ盛り上がれる』というのをマイナスに感じる者もいるのだよ?」
「え、盛り上がれるのに、マイナス……?」
心底理解できないという顔だった。
光と闇のあいだには途方もない隔絶があるらしい。
「あ、おじさん、さっそく向こうから連絡が来ましたよ。おじさんの『ID』を教えた途端にすぐです。ふふ、よっぽどお話ししたかったんですね。あ、おじさんの名前は『吸血鬼』にしておきましたから。もしお気に召さないようでしたら、設定から名前を変更してくださいね」
「……今、私と会話しながら、『ID』を教えたり、名前を設定したりしていたのか……よくそんなに素早い操作が可能なものだね。私など、動画アプリのアカウント取得でもだいぶ苦労したというのに」
「まあ慣れてますから。あ、でも利用規約はごらんにいれた方がよかったですかね……」
「いや、動画アプリの際に見たが、なにを言っているかわからなかったからいい。簡単なことを難しく言うと妖精が筋肉痛で死ぬのだがね」
「『簡単なことを難しく言うと妖精が筋肉痛で死ぬ』? なにかの慣用句ですか?」
「いや。……それより」
「あ、はい。じゃあ、通話開始しますね」
聖女がなんらかの操作をした。
次の瞬間――
『真祖さま、お久しぶりです』
という少年の声が聞こえてきた。
男性は身を乗り出す。
「おお、君か。君の姉の方と会話するという話だったからおどろいたよ。久しぶりだね」
『えっと、今日はですね、その予定だったのですが、急にお客様がいらしたもので、姉はその接客に追われていまして、タイミングが合わず』
「そうなのか」
『申し訳ありません。最近、姉の看板娘っぷりに磨きがかかってきているのですよ』
「そういえば、聖女ちゃんの話だと、最近急に宿が流行りだしたとか……どうしたのかね?」
『もちろん、真祖さまの御利益です!』
「……どういうことかね?」
『少し前まで普通の宿屋だった我が「日向のひまわり亭」は、コンセプトを変えたんですよ』
「と、言うと?」
『えっと、聖女さま、いらっしゃいます?』
「隣にいるが」
『そうですか……ちょっと説明が難しいんですが……あの、吸血鬼はいません』
「なんだね唐突に」
『吸血鬼はいませんが、我が宿は「吸血鬼と会える宿」として売り出したのです』
「…………?」
『外装を古いお城風にしてみたり、仲居を「眷属」と呼んでコスプレさせてみたり、朝食に「新鮮な血液」と称して赤いジュースを提供してみたり、まあ、その、そういう感じでやったら大ヒットしたわけでして……吸血鬼はいませんし、僕ら家族が吸血鬼ということはないんですが、ないんですよ聖女さま? ないんですけどね。まあそういう感じなんです』
「なんだかわからんが、なんだかはわかった」
彼らは吸血鬼であることを隠さなければならないのだ。
社会での立場とかあるのだろう。
男性は自分を吸血鬼と称し、そうアピールもするが、他者にまで強制するつもりはない。
ドラゴンとか妖精とかももう勝手にしろという感じに思っている。
なので、相手の事情を忖度する。
「君も色々と板挟みで大変なのだね」
『そうなんです……えーっと、そういうわけで、姉も「あの感じ」で人前に出られるのです。今では立派な看板娘ですよ。それもこれも真祖さまのお陰です』
「私はなにもしていないように思えるのだが……謙遜ではなく」
『いえ! 真祖さまの堂々たる振る舞いに、姉や母がえらく元気づけられまして。「あのぐらいファンキーにやらねば」ということで、宿の吸血鬼化に踏み切ったのです! つまり、すべて真祖さまのお力です!』
「……」
ファンキーな人扱いされていた。
どのあたりがか詳しく聞きたいが、隣に聖女がいるせいで壁一枚隔てたような立ち位置のはっきりしない話しかできないだろうと男性は判断した。
「まあ、私はファンキーではないが、がんばりたまえよ」
『はい! 今度、仕事中の姉を動画に撮って送りますね! 最高の動画を!』
「いや……」
『手始めに画像を一枚送りますね! 姉のじゃないですけど!』
「誰のだね?」
『送ってからのお楽しみです! それでは!』
通話は切れたようだった。
しばらくして、ケイタイ伝話の画面になにかが表示される。
それは吸血鬼のコスプレをした聖女だった。
黒を基調としたミニスカートの衣装で接客をしている。
男性はなんとなくケイタイ画面を聖女から隠し、思わず聖女を見た。
「どうしました?」
「いや……」
こういう感想は、男性にとって初めてのことなのだが……
本人が横にいる時に、その人のコスプレ画像を送られるととても気まずい。
技術の進歩は時に新しい感慨を人にもたらすのだと男性は学んだ。




