4話 だから眷属は会話したくない
「朝ですよー!」
ガッシャアア!
分厚く黒い遮光カーテンが一気に引き開けられる。
お部屋に容赦なく入り込む真っ白な朝の日差し。
「ギャアアアアアアアア!」
野太い叫び声。
声の主は天蓋付きのゴシックなベッドで転げ回るおっさんだ。
「おじさん、朝ですよ!」
にこにこと楽しそうに笑いながら、少女がベッドに近寄る。
そして、小さな体からは想像もできないほどの腕力で、ブランケットを引きはがした。
「おじさん、朝!」
「……ふう」
「どうしたんですか、おじさん」
「いやね、君を喜ばせようと朝日を浴びるたびに思い切り叫ぶのだけれど、叫ぶという行為一つが、今の私にはなかなかおっくうでねえ」
ため息をつきながら、体を起こし、ベッドのふちに腰かける。
そして枕元に手を伸ばし――瓶を手に取った。
「おじさん、またお酒ですか?」
「いいや。今日のはお水だよ。君の前でお酒やタバコをやると、怒られてしまうからねえ」
瓶の中身を飲む。
寝起きはいつもけだるいのだが、水を少し飲むだけでなんとなく体が軽くなる気がした。
「おじさんがだんだん健康的になってきていて、わたし、嬉しいです!」
「そうかい。それで、私は社会復帰などしないが、今日はどんな用事かね?」
「おじさんを社会復帰させにきました!」
しないってば。
というか――男性は吸血鬼である。
かつて『血も凍る血液の簒奪者』とか『ヒト牧場の主』などと蔑まれ忌み嫌われた男性が社会復帰をしてしまうと、人の社会は色々困ったことになるはずだった。
まあ、彼女はそんなこと考えてもいないのだろう。
吸血鬼が怖れられたのも昔の話だ。
かつて隆盛をほこった吸血鬼も今では男性を除いて絶滅しているようで、いつしかお伽噺に出てくる一山いくらのモンスターにされてしまっているらしかった。
だから、彼女は男性が吸血鬼であることを全然信じてくれない。
今日も『聖女の務め』とかで、社会不適合者の男性を一生懸命社会復帰させようとしてくるだけだ。
「しかしねえ、なにも困っていない私に働けというのは、なかなか難しいのではないかね?」
「働くのはいいことですよ!」
「そうは思わないけどねえ……たとえば、どのあたりが『いいこと』なのかな?」
「お友達ができます!」
「……それから?」
「…………お友達ができる以上に素敵なこと、ありますか?」
男性は曖昧な表情をするしかなかった。
彼女とは人種が違う――それはもちろん人間と吸血鬼なのだから当たり前なのだけれど、種族的な隔たりよりも、精神的な隔たりの方が大きいような気がした。
「お嬢ちゃん、聞きなさい。おじさん、今から大事な話をするから」
「わかりました」
「いいかい、お嬢ちゃん。世の中にはね――友達がいなくてもいい人がいるんだ」
「……まさか、そんな……」
「一人でも生きていける人は存在するんだよ」
「いえ、でも……でも、おじさんは違います! おじさんは一人では生きていけませんよ!」
「どうしてそう思うんだい?」
「幼い女の子に世話してもらっているじゃないですか!」
聖女が部屋の隅を指さす。
と、そこには、呼んでもいないのに眷属がこっそり立っていた。
いつもはいなかった。
昨日一日一緒に過ごしたことで、距離感が変わったのだろうか?
そういえば――
「聖女ちゃん、君、昨日は来なかったね? どうしたんだい?」
「話を逸らさないでください! おじさんは一人では生きていけないんですよ!」
逸らせなかった。
たしかに、眷属のことを言われると、言い返せない――彼女なしでは『ヒキコモリ生活』が『寝たきり生活』に変わる気は、大いにするのだ。
「まあしかしだね、あれは友達ではない。そんな浅い関係の相手ではないんだよ」
「お孫さんですよね?」
「違う。そういうのではなく――血のつながり、とでも言おうか」
「お孫さんじゃないですか!」
「そうではなく……血を分けた相手……」
「お孫さんですよ、それ!」
「……まあ、孫かな」
「やっぱり!」
男性は折れることにした。
吸血鬼を信じていない相手に『自分の血を与えた相手(物理)』とか言っても話がこじれるだけだと理解したのだ。
「お孫さーん、お孫さーん、こっち来て、お姉ちゃんと一緒にお話しましょ?」
聖女が猫なで声で言う。
眷属はチラリと男性を見た。
無表情なので、なにを考えているかはよくわからない。
ひょっとしたら『めんどうくさいなあ』とか思っている可能性も大いにあったが――
「来なさい」
ここで聖女の申し出を無視させると、今度は男性がめんどうくさい目に遭いそうだった。
なので、呼んだが――今一瞬、眷属が顔をしかめたような……
「お孫さん、かわいいね。いくつ?」
近場に来た眷属に対し、聖女が言う。
眷属は無表情のまま、五指を開いた片手を突き出した。
「五つ? それにしては大きいね?」
聖女はそう解釈したようだ。
たぶんゼロが二つ足りない。
「本当はいくつ?」
聖女が問いかける。
眷属は聖女から顔を背け、無表情のままため息をついてから、もう片方の手をぶっきらぼうに突き出した。
「十歳?」
眷属はクッソどうでもよさそうにうなずく。
聖女はにこりと笑った。
「そっかあ、十歳か。おじいちゃんのこと、好き?」
「…………」
眷属がものすごく男性を見ている。
その視線は『おじいちゃんでいいのか』と男性に問いかけているようだった。
男性は肩をすくめる。
そして、ため息まじりにうなずいた。
「……」
眷属は聖女へうなずく。
聖女は笑顔で眷属をなでた。
「そっかあ。偉いねえ。おじいちゃんのお世話、やってるんだ」
「……めんどくさ」
「うん?」
「…………」
眷属は首を横に振った。
聖女はさらに質問を続ける。
「お名前は?」
「……けんぞく」
「……ああ、なるほど、そういうことですか」
聖女が男性を見た。
そして――頭を下げる。
「すいませんおじさん、わたし、勘違いしていたみたいです」
男性は首をかしげた。
そして、たずねる。
「なにがかな?」
「おじさんが、この子のことを『眷属』って呼んだ時は、孫を妄想に付き合わせるなんてひどいと思いましたが……」
「君、結構言うねえ」
「でも、勘違いしちゃってたみたいです。つまり――『眷属』って名前なんですね?」
「……………………………………そうだよ」
「やっぱり! 本当にごめんなさい! 眷属ちゃんだったんですね!」
聖女がはしゃぐ。
男性は眷属と目を合わせて――ため息をついた。
今日の吸血鬼は、ベッドからさえ出ない。