38話 妖精は悲しい生き物なのかもしれない
「………………」
視線を感じる。
ベッドで寝ていた男性は目を開いた。
どうせまた眷属がもの言いたげにこちらをのぞきこんでいるのだろうと思ったが――
「……妖精か。なんだね?」
寝ている男性を上からのぞきこんでいたのは、妖精だった。
よく耳をすませば、かすかに妖精が羽ばたく音がする――聞くだけで反射的に不快な気分になるあたり、妖精という種が今までしてきた悪事がわかろうというものだった。
まあ――進化したらしい。
たしかに男性の知る妖精は、知恵がなく、言語を解さない、虫同然の存在だった。
見た目がカワイイのは昔からだが、四肢があって半端に知恵があってなおかつ『イタズラ好き』というアイデンティティがあるぶん、虫よりたちが悪かった。
今、妖精にはほんの少しだけ知恵がある。
妖精もまた、時代に適応したということだ。
つまりは――『吸血鬼』『ドラゴン』『妖精』。
今はお伽噺の中に名を残すのみとなった幻想種。生存が確認できたそれら三種の中で、どうやら時代に適応する気がないのは吸血鬼だけのようだった。
男性としては――吸血鬼としては、泣きたいような、笑うしかないような、そんな気持ちだ。
「……」
「おい、なんだね? あまり目の前でブンブンされると、反射的に払ってしまいそうになるのだが……」
「妖精さんは筋肉の声を聞いているのです」
「……」
妖精はたしかに知恵を持ち、言葉を解するようになり、虫同然とは呼べなくなった。
しかしそれを進化と呼んでいいかどうか、男性は判断に困る瞬間が多々ある。
「あーその、いちおう忠告するが……筋肉はしゃべらない」
「でも吸血鬼さんの筋肉さんとお話しをしていたらですね、妖精さんには声が聞こえたのです」
「私の筋肉がしゃべるのか……」
怖ろしかった。
というか――
「なぜ私の筋肉なのかね? 筋肉の声を聞きたいのであれば、自分の筋肉とどこか私の見ていないところで勝手に語らってくれたまえよ」
「あっ、あっ、あっ」
「どうしたね」
「吸血鬼さんの言葉がよくわかんなくなってきたのでスクワットするです」
「……いや」
「頭にパワーを!」
妖精は寝てる男性の胸の上でスクワットを始めた。
止める暇もなかった。
「一回……うーん! はい、頭がよくなった! もう一回言ってほしいのです」
「いや……」
「早く! 妖精さんの頭がいいうちに!」
吸血鬼化しそうになっている元ニンゲンみたいな言い分だった。
『私がヒトでいるうちにトドメを!』的な。
「……君はなぜ、私の筋肉の声を聞いていたのだね? 自分の筋肉の声を聞くのではいけないのか?」
「筋肉の声? 筋肉がしゃべるです? その発想、素敵!」
「もう休め。貴様の知能はもう限界のようだ」
「あっ、そうなのです! 妖精さんは毎日ちょっとずつ筋トレしているうちに、筋肉と対話できたらきっと早くシックスパックになれるかもしれないという夢を見たのです!」
「夢だったのか……」
「でも妖精さんの筋肉は、しゃべってくれないのです。だから吸血鬼さんの豊富で潤沢で……じゅんたく?」
「知能知能」
「はっ! スクワット! スクワァァァァットォォォ!」
「かけ声の勢いと動作の勢いがかみ合っていないのだが……」
遅い。
ノロノロプルプルと膝を曲げる様子は見ているだけで生まれたての子鹿を思い出す。
妖精はゼイゼイと息をして直立し、
「はい! 頭がいい!」
「三×四は?」
「数式!」
「……まあ、間違ってはいないのだが……」
「ああああああ妖精さんの知能が消費されてしまうのです……! 筋力量が……頭の筋肉が足らないのです……早くノーキンにならないと……! 危機的状況なのです……!」
「貴様の焦燥感にも危機感にもさっぱり共感できないな……」
「とにかく筋肉と筋肉が集まり筋肉に見える吸血鬼さんの筋肉なら一声かけてくれるかと思ったのです!」
「いや、筋肉はしゃべらないのだが」
「量が多くても?」
「量の問題ではないはずだが……だいたい、私の筋肉と対話できてどうなるね。貴様がシックスパックになりたい……まあシックスパックは『成る』ものではない気がするが……なりたいのであれば、それは、私の筋肉ではなく、貴様の筋肉と対話しなければならないのではないのかね?」
「わかるー」
「知能知能」
「はっ!? スクワッ――ふとももに乳酸!? この疲労感はいったい……!?」
「貴様、今二度ほどスクワットをした記憶さえ、もうないのか……」
「オーバーワークは肉体を壊すだけなのです。次の運動にいくのです。腕立てなのです。曲げる時には肘をきちんと外側に張って上腕と前腕を直角に! 伸ばす時は肩甲骨を意識してピンと腹筋と背筋を真っ直ぐに伸ばすことで……」
「貴様の知能リソースの使い方はおかしい」
妖精という種の進化の果て。マナの少なくなった世界に適応するため妖精は数ではなく質を求め一つの個体の性能を上昇させた。
その果てに産まれたのが、知識を筋肉で埋め尽くしたこの妖精である。
存在が悲しい。
知能が筋肉となった悲しき存在は、男性の胸の上で腕立てを開始した。
他の場所でやれと思いつつも、彼女が全力で行うたった一回の腕立て伏せを、男性は温かなまなざしで――もとい、生温かなまなざしで見つめた。
なにも言えなかった。悲しくて。
「はい! 頭がいい!」
「…………ああ、本当に。お前は頭がいいね」
「吸血鬼さん、泣いてるですか?」
「涙腺にたたみかけに来るのはやめてくれ。その無垢な瞳が突き刺さる」
「わかるー」
「もう貴様がなにを言っても泣きそうだ」
「悲しいですか? 筋トレするですか?」
「……それで、貴様は何がしたかったのだね?」
「…………」
妖精はまじめな顔になった。
そして――
「頭よくなりたいです」
「そうか」
男性は笑った。
それからさめざめと泣いた。




